随筆 永遠なれ創価の大城 22 未来部と共に成長

随筆 永遠なれ創価の大城 22   (2017年8月1日付 聖教新聞)

未来部と共に成長

広布のバトンを「正義の走者」へ!
「従藍而青」を信じ 師子を育てゆこう


 新たな生命が、この世に生まれることは、何という希望であろうか。
 門下の子どもの誕生を喜ばれた御聖訓が、私の胸にこだまする。
 「法華経流布あるべきたね(種)をつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ」(御書1109㌻)
 わが未来部は一人ひとりが妙法の宝塔であり、広宣流布を担い立つ「玉の子」として、今この時に躍り出てくれた。
        ◇
 恩師・戸田城聖先生の出版社で私が働き始めたのは、21歳の時である。大変な毎日だったが、楽しくて嬉しくて仕方がない仕事があった。
 少年誌の編集である。
 〝全ての子らが、正義を愛し、平和を愛する、よき人生を〟と願った。
 よき言葉、よき物語を、子どもたちに届けようと、日本を代表する作家たちのもとを勇んで訪れ、誠心誠意、思いを伝えて、執筆や連載を快諾してもらった。
 依頼した作家の原稿が締め切りに間に合わず、自ら「山本伸一郎」のペンネームで、大教育者・ペスタロッチの伝記を書いたことも懐かしい。
 ペスタロッチは叫ぶ。
 「少年・少女が成長して、花咲いてゆくのをみることは名状し難い喜びではないか」と。
 私も同じ思いだった。ありがたくも今、「未来ジャーナル」や「少年少女きぼう新聞」を通して、若き宝友と心の対話を続けることができている。
 使命の花を咲き開かせていく未来部の友の姿に接する時、私の胸は、はち切れんばかりの喜びに満たされるのだ。

歌声に誓い込め
 7月の本部幹部会で、少年少女部、中等部、高等部の代表メンバーが、力強い演奏と共に、創価の希望の歌声を爽やかに響かせてくれた。
 一人ひとりが、勉強に、クラブ活動に、親孝行にと、挑戦を重ねて迎えた、感動のステージであった。家族の病や、学校でのいじめなどに負けず、祈りと勇気で勝ち越えた友もいると伺った。
 合唱してくれた歌は未来部歌「正義の走者」。
 第一次宗門事件の渦中の1978年(昭和53年)7月、私が岡山の地で作詞した歌だ。
   
 〽君も負けるな いつの日か
 共々誓いし この道を
 嵐も吹雪も いざや征け……
   
 「君よ」ではなく、「君も」と綴った。
 若きメロスよ! 君には、同じ志を抱き、嵐に挑む友がいる。
 君たちが進む道を開きゆかんと、苦難の道を走る創価の父母がいる。
 君たちの成長と勝利を厳然と見守り、楽しみに祈り待つ人がいる。
 ゆえに絶対に負けない。負けてはならない。同志と共に、父母と共に、「君も」また、断じて正義の道を踏破するのだ!
 私は、この万感の思いを歌詞に託した。
 誓いのバトンを受け取ってくれた当時の未来部の友は今、広布と社会のリーダーと光っている。
 未来部躍進月間――。「学会の永遠性の確立」の急所は、まぎれもなく、未来部の育成にある。
 伝統となった「E-1グランプリ」をはじめ、読書感想文や作文のコンクール、また「少年少女希望絵画展」も、皆で最大に応援していきたい。
        ◇
 人間教育において大事なポイントに、一方的に教えるのではなく、「共に学び、共に成長する」ということがある。これは、創価教育の父・牧口常三郎先生が先駆的に示されていた点でもある。
 学会の庭には、先輩も後輩も一体となって前進するなかで、人づくりの智慧が蓄積されてきた。
 各地の創価ファミリー大会なども、子どもたちと一緒に学会の歴史や活動の意義を学び、信心を深められるようにと、多彩に工夫されている。
 特に、壮年・婦人部の未来本部長、青年部の21世紀使命会、学生部の進学推進部長をはじめ、育成に尽力してくださる方々には、心からの敬意と御礼を申し上げたい。教育本部や国際本部等の尊いサポートにも、いつも感謝している。

「将棋」の思い出
 今、世界中で未来部世代の活躍が目覚ましい。
 2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向け、奮闘する10代のアスリート(競技者)たちの姿も眩いばかりだ。
 将棋界でも、中学生棋士の連勝記録が日本中の話題となった。
 実は、戸田先生も将棋がお好きだった。折々に、私も相手をさせていただいたものである。
 思い出深いのは、戦後の混乱の不況下で、戸田先生の事業が暗礁に乗り上げ、私が編集長を務めていた少年誌などの休刊が決まった日のことだ。
 先生は、いつものように、親しい来客に「一局どうだ」と、愉快そうに将棋を指しておられた。
 その泰然自若とされた王者の雄姿に、私も「何があろうと変わるまい。自分の今なすべきことを、なすまでだ」と、腹を決めたものである。
        ◇
 将棋の駒の「歩」は、じっと動かなければ、「歩」のままだ。しかし、一歩また一歩と、前へ進み、ひとたび敵陣に突入すると「と金」に成り、「金」と同じ働きをする。
 「桂馬」の動きは、面白い。いざという時まで動かないことで、敵の攻めを封ずることもある。
 駒それぞれに特性がある。一つとして意味のない駒はない。戦い続けていくならば、本来備わっている偉大な力を発揮することができる。
 人間も同じであろう。
 仏法は、桜梅桃李すなわち、一人ひとりが己の個性を伸ばし、開花させていく生き方である。
 未来部時代、また青春時代は、鋭敏であるゆえに、人と比べ、一喜一憂してしまうこともあるだろう。だが、決して悲観などすることはない。
 妙法と共に、広宣流布という偉大な誓願の人生に生き抜く時、誰もが、自分にしかない無限の可能性の花を、必ずや悔いなく咲かせ切っていくことができるからだ。

理想の人華の園
 将棋の起源は、古代インドの「チャトランガ」という盤上ゲームにあったとされる。それが中国をはじめ東アジアに伝わる中で、日本では「将棋」へと姿を変えていった。
 「仏法東漸」――インド発祥の仏教が東へ伝来してきた歴史と重なるようで、興味深い。
 先日、大発展するインドの地涌の若人200人が、「先駆」の誉れも高き九州を訪れた。
 各地での交流交歓会で、歓迎の歌声や笑顔を広げてくれたのは、凜々しき未来部であった。
 国を超え、民族を超えて、同じ志を分かち合い、励まし合って進む、桜梅桃李の人華の園よ! 人類が願ってやまない理想の人間共和の縮図が、ここにこそあるのだ。
 この歓喜を、崇高さを、希望を、私たちは、自信満々と若き世界市民に伝えていきたい。

親子の心は感応
 御書には、「譬えば鳥の卵の内より卵をつつく時・母又同じくつつきあくるに・同じき所をつつきあくるが如し、是れ即ち念慮の感応する故なり」(810㌻)と仰せだ。
 親が懸命に力を尽くし抜いた時、子も、その祈りに応えようとして、硬い卵の殻を割ることができる。生命の次元で、心と心は感応し合う。
 親の信心は、必ず子に伝わる。たとえ、時間がかかっても、回り道を重ねても、絶対に伝わる。
 飾る必要はない。失敗を恐れなくてよい。信念を曲げず、自ら決めた道を朗らかに進む。その親の生き方こそ、子に贈る「最上の宝」なのだ。
        ◇
 植物の「藍」から生まれ出る「青」は、重ねて染め抜くことで、藍にも増して色鮮やかに光る。同様に、後継の友を、自分以上に立派に、そして陸続と成長させるのだ。
 この「従藍而青(青は藍より出でて而も藍より青し)」の法理を、関わる側が信じ抜くことだ。
 「師子」を育てられるのは「師子」だけだ。
 「子どもを育てること、それ自体が平和のための仕事である」
 これは、忘れ得ぬ平和研究の母・ボールディング博士の信条であった。
 一人の未来部の生命を輝かせゆくことは、地球社会を希望で照らす平和の大事業なのである。
 いよいよ「未来部夏季研修会」が、八王子市の創価大学で始まる。
 世界各国でも未来部員が一堂に会し、有意義な研修会が行われている。 
 イタリアの研修会では、皆で御書を学んだ。教材は、かつて私が高等部に講義した「生死一大事血脈抄」。講師は、当時、講義を受けた高等部第1期生のリーダーである。半世紀を経て、滔々たる人材育成の大河は全世界に広がり、その伸展は世界同時進行である。
 さあ、創価の宝、人類の希望の未来部を励まそう! 共に成長しよう!
 広宣流布の永遠の流れを確立する聖業に連なる誇りを胸に前進し、充実と鍛えの夏を、健康第一で送ろうではないか!
    
 地涌の義は
  未来部にあり
   世界まで
  誉れの人材
    育つ嬉しさ
 
ペスタロッチの言葉は『ペスタロッチー全集1』長田新訳(平凡社)。
2017-08-14 : 随筆 永遠なれ 創価の大城 :
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随筆 永遠なれ創価の大城 21 大東京に凱歌の朝

随筆 永遠なれ創価の大城 21   (2017年6月17日付 聖教新聞)

大東京に凱歌の朝

「いまだこりず候」と今日も前へ!
感激の同志と綴る誉れの歴史は不滅


 戸田先生と私との師弟の語らいは、常に御書と共にあった。
 1957年(昭和32年)の7月、「大阪事件」の渦中、関西本部で先生と拝した一節がある。
 「今の世間を見るに人をよくな(成)すものはかたうど(方人)よりも強敵が人をば・よくなしけるなり」(御書917㌻)
 先生は、私と一緒に難に立ち向かってくれた関西の同志を讃えられ、「これで、ますます強くなるぞ。福運に満ち満ちた、大境涯への飛躍を遂げた」と微笑まれた。
 私は申し上げた。
 「『いまだこりず候』――この仰せ通り、いよいよ強く朗らかに、民衆の正義の大連帯を拡大してみせます。どうか、ご安心ください」と(御文は御書1956㌻)。
 東京に舞い戻り、私は直ちに常勝不敗の〝東の錦州城〟を築き始めた。けなげな宝友たちが、私と同じ不屈の闘魂で、汗を流し戦ってくれた。
 それが、愛する庶民の都・荒川であったのだ。

牧口先生と郷土
 以来60年となる、この6月6日、私は懐かしい荒川へ向かった。西日暮里、町屋へと進み、わが友が模範の近隣友好を進める商店街の賑わいも、うれしく拝見した。
 牧口先生の生誕146周年の日であり、荒川文化会館では、先師の遺徳を偲び、懇ろに勤行をさせていただいた。
 思えば、牧口先生の故郷は新潟の荒浜(現・柏崎市内)。荒川と同じ「荒」の字を含むことに、不思議な縁を感じる。
 先生は大著『人生地理学』において、郷土こそ「自己の立脚地点」なりと着目なされている。人が長じて国家、世界で活動しゆく〝源の力〟が郷土であるとされ、その大恩に報いていくべきことを強調されたのである。
 先生ご自身が、身近な縁を大事にされていた。同郷の集い「東京荒浜協会」の会長も務め、後輩たちに尽くされている。1928年(昭和3年)7月に、現在の東京・調布にあった京王閣で総会を開き、会長として挨拶されたことは、郷土の新聞でも報じられた。
 それは、牧口先生が、日蓮大聖人の仏法と巡り合われた直後であった。
 6月に先生は、豊島の池袋に住む紹介者のもとへ約10日間、通われた。そして57歳のこの年、日蓮仏法の実践を開始された。以来、ここ大東京を本陣として、広宣流布の対話の波を起こし、仏縁を広げ抜いていかれたのだ。
 まさに、「仏種は縁に従って起る」(御書1467㌻)である。
 東京中に留められた先師と恩師の足跡に思いを馳せつつ、私は荒川からの帰り道、思い出深き足立を回り、さらに隅田川沿いに進んだ。
 葛飾、墨田、台東、江東など、いずこも共戦の地涌の友らが走る街並みに題目を送りながら!

人生勝利の要諦
 日蓮大聖人は、大難の佐渡で綴られた。
 「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり」(同1357㌻)
 この御文を拝し、戸田先生は「法華経の行者」たる私たちの広布と人生の勝利の要諦を教えてくださった。
 第1に「信心に退転無く」である。「進まざるは退転」という。題目で元初の太陽を昇らせ、勇敢に、弛まず前へ進むのだ。
 第2に「身に詐親無く」とは、自らの行動にウソ偽りがないことだ。誰人にも誠実を貫き、真実を語り切る。それが仏の慈悲に通ずるのだ。
 第3に、「一切法華経に其の身を任せて」いくことである。何があろうとも、全てを御本尊への祈りに入れて、一つ一つ勝ち切っていくのだ。「法華経に勝る兵法なし」である。
 最後に、「金言の如く修行」である。如説修行であり、「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(同502㌻)と、折伏精神を燃やして打って出るのだ。
 創価学会は、この通りに戦ってきたからこそ、「勝妙の大果報」を得て、世界広宣流布の大願成就へ大前進してくることができたのだ。

師弟共戦で勝つ
 わが故郷であり、創価の源流である東京――。
 牧口先生と戸田先生は暴走する国家主義と対峙し、共に巣鴨の牢獄に囚われ、先師は殉教された。
 恩師は敗戦直前に移送された中野の獄舎から出獄し、戦後の焼け野原にただ一人立ち、「妙法流布の大願」を高く掲げられたのである。
 学会再建への第一歩を踏み出したのは、目黒駅の近く、品川の上大崎に借りた事務所からであった。戦前に創価教育学を実践した時習学館があった地域でもある。
 私は大田で、この師と出会い、立正安国の戦いを起こした。
 東京には、仏意仏勅の教団たる学会の指揮を、三代の師弟が厳然と執ってきた不滅の歴史がある。それがゆえに、常に、障魔の嵐は我が東京に襲い掛かってきた。
 だが我らは、師と共に、「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同1448㌻)と胸張り、全ての強敵に打ち勝ってきた。
 師と同じ誓願、師と同じ責任感、そして師と同じ威光と勢力で、万年の創価の勝利を決するのが、本陣東京の永遠の誇り高き使命なのである。
 「東京は強い根っこだ。東京は徹して断じて強くあろうよ」と、東京・北区の十条で語り合った思い出がある。1979年(昭和54年)の7月のことだ。
 偉大な婦人部の献身に感謝を込め、東京の歌「ああ感激の同志あり」を、皆で声高らかに歌った。
 「感激の同志」との異体同心の前進ある限り、感激の逆転劇を必ず創っていける。師弟誓願の魂が燃える大東京は明るく、底抜けに朗らかだ。今こそ、創価家族の模範の団結で進むのだ。
 わが新宿・信濃町には、広宣流布大誓堂が、威風堂々と聳え立つ。
 時折しも、2020年の東京オリンピック・パラリンピック会場は、間近で建設されている。
 今、この時、世界広布の本陣で戦う我らには、どれだけ大きい使命があることか。計り知れない宿福深厚の人生を歩んでいるのである。

青年が立つ時だ
 6月から7月へ、学会は燃え上がる「青年」の勢いで進む。それが創価の栄えある伝統である。
 6月30日には、男女学生部が結成60周年の佳節を迎える。英知と智慧の若き諸君が、民衆勝利という父母の願いを胸に、希望の突破口を開いてくれていることを、私はよく知っている。
 さらに7月11日は、わが後継の闘将・男子部の結成の日。
 7月19日は、平和と幸福の門を開く女子部の結成の日――。いずれも66周年の節を刻む。直前の8日は、「白蓮グループの日」でもある。
 青年が立つ時だ。青年が戦い勝つ時だ。
 君よ、貴女よ、新時代の地涌の若人たちよ、創価の完勝を担いゆけ!

夜明けが来た!
 今、何よりも有り難いことは、尊き多宝の父母が学会精神を満々と漲らせ、意気軒昂に奮闘してくれていることだ。
 「肉体は老いても、精神の若い老人がいる」
 これは、戸田先生が「妙悟空」の筆名で執筆された小説『人間革命』の一節である。
 私はこの一書を恩師より直接、賜った。
 60年前(1957年)の7月3日――恩師の「出獄の日」より12年。奇しくも私の「入獄の日」のことであった。
 「夕張炭労事件」を皆で勝ち越えた北海道から、大阪に向かう途中、羽田空港で飛行機を乗り換える待ち時間である。
 この折、権力の魔性が牙をむく「大阪事件」の嵐に突き進む私に、文京支部の婦人リーダーが必死の声で言った。
 「同志へのご伝言を!」
 私は一言、贈った。
 「『夜明けが来た』と伝えてください」
 獄中闘争は、約2週間に及んだ。7月17日、中之島の中央公会堂で行われた大阪大会で、私は烈々と訴えた。
 ――最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!
 この師子の確信を、今、21世紀の後継の直弟子が、厳然と受け継いでくれている。
 いかに困難が立ち塞がろうが、最後は勝つ。断じて勝つ!
 これが我ら創価の信念であり、誓願であり、本懐なのだ。
 さあ、いよいよ世界広布新時代の本門の「夜明け」が来た!
 師弟の日「七月三日」の晴れやかな凱歌の朝を共に! 歓喜と感激の同志と万歳を共々に!
     
 後継の
  元初の生命よ
     勝ち昇れ
  万年照らす
    凱歌の朝に
2017-08-14 : 随筆 永遠なれ 創価の大城 :
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随筆 永遠なれ創価の大城 20 世界一の学会家族

随筆 永遠なれ創価の大城 20   (2017年5月31日付 聖教新聞)

世界一の学会家族

我らには「異体同心」の信心がある
広布の父母に最敬礼! 共に人生の凱歌を


 わが師・戸田城聖先生の言葉が今日も蘇る。
 「我らは、久遠元初からの麗しき同心の友である。法華経の会座で共に誓い合って、今また娑婆世界に涌出したのだ」
 学会は、広宣流布の仏勅に立ち上がった、世界で唯一の異体同心の和合僧団である。「創価家族」と言われる通り、ここには、いずこにもまして温かな人間連帯がある。
 実の父母に限らない。壮年部・婦人部という、学会の父母が、男女青年部や未来部を「わが息子、わが娘」と、大切にしてくれている。真心の応援に包まれ、中部、北海道、関東、関西と、各地の青年大会も大成功である。
 多宝会・宝寿会・錦宝会の大先輩方の存在もまた、どれほど大きいか。
 さらに目を世界に転ずれば、192カ国・地域の同志が万人尊敬の励ましの輪を広げている。
 人類が夢に見た共生社会の縮図がここにある。この団結と和楽をもって、「立正安国」の建設に今日も走りゆく同志の皆様を、恩師も笑顔で見守られているに違いない。

白ゆりに幸光れ
 婦人部誕生の6月は〝女性の月〟である。
 6月4日に、世界の華陽姉妹の記念日を迎える女子部との、婦女一体の大前進の報告を、妻と嬉しく伺っている。
 1951年の6月10日、婦人部の晴れの結成に際して、戸田先生は和歌を贈ってくださった。
 「白ゆりの
   香りも高き
     集いかな
  心の清き
   友どちなれば」
 たとえ今、どんなに苦しくとも、悩みが深くとも、白ゆりのような清らかな信心があれば、断じて負けない。
 先生は草創のある日、涙ながらに苦悩の来し方を語る下町の母を、全力で励まされた。
 「信心で勝とう! 時が来れば、全て懐かしい思い出になるよ」
 この母は、庶民の都・足立で、恩師の指導通りに懸命に祈り、戦い、そして勝った。
 苦楽共に「今生人界の思出」となり、永遠の「心の財」を積んで生命の凱歌を轟かせる。これが信心の極意である。
 日蓮大聖人は、苦難の渦中にあった池上兄弟と夫人たちに、団結の大切さを教えられながら、どこまでも信心第一に生き抜けと指導なされた。
 「たとえ、どんなに煩わしい苦難があっても、夢の中のこととして、ただ法華経のことだけを思っていきなさい」(御書1088㌻、通解)
 苦しい時も題目、嬉しい時も題目、何があっても題目――誓願の祈りを根本に戦ってきたのが、広布の母たちなのだ。
        ◇
 現実社会では、憎悪や反目の争いが絶えない。その悲劇の流転に終止符を打つ希望は、いずこにあるか。
 それは「哲学と勇気と慈愛」で結ばれた女性の連帯にこそある。
 私と妻は、ノーベル平和賞受賞者のベティ・ウィリアムズさんと、友情を結んできた。北アイルランド紛争の解決へ、対立する双方の女性を結集して、奇跡的な平和運動を成し遂げた母である。その聡明な眼は、〝ウソは対立を煽り、民衆を分断させる元凶である〟と見破ったのだ。
 彼女は語っていた。
 「『真実』はいつまでも隠すことはできません。人々の努力でウソの飾りがはぎ取られた時に、美しき心の泉から『希望』がわき出てくるのです」
 我らの創価の母が動き語る、賢明にして誠実な言葉は、どれほど幸の仏縁を結んでいることか。
 ある初期の仏典には、こう説かれている。
 釈尊は「離反した人々を結びつけ、仲よくしている人々をさらに仲よくさせ」「和合を喜び、和合をもたらす言葉を語っている」と――。
 私たちの勇気の対話もまた、信頼を固め、友情を結び、乱世にあって、真実と希望の安全地帯をつくり広げているのだ。

君よ師子の如く
 6月6日は、殉教の先師・牧口常三郎先生の生誕146周年である。
 先生は常々、「羊千匹よりも獅子一匹」と言われ、壮年門下に一人立つ師子たれと示された。
 御書に、「師子王は前三後一と申して・あり(蟻)の子を取らんとするにも又たけ(猛)きものを取らんとする時も・いきを(勢)ひを出す事は・ただをな(同)じき事なり」(1124㌻)と仰せだ。
 眼前の戦いを、〝ここが我が勝負なり!〟と腹を決め、全力を尽くす。それが師子だ。
 壮年部は、社会のため、地域のため、広布のためにと奮迅の勢いを出す。
 あの真剣な広宣の父の雄姿を見よ! 壮年部の堂々と戦う姿を見れば、家族も地域の皆も、安心する。勇気をもらう。
 日蓮大聖人が佐渡流罪中のことである。
 中興次郎入道という年配の壮年がいた。裕福で心根も立派であり、地域からの信頼も厚い長老格の人物であった。
 この壮年が、世の風評などに惑わされることなく、自らの曇りなき心で大聖人の人格に共鳴し、「この方は、何かいわれのある方に違いない」と正義の声を上げたのだ。
 この一言に一族の人びとも従い、さらに大聖人を憎み、危害を加えようとする周囲の動きも収まった。まさに重鎮の一人の声――大確信の師子吼によって、皆の心を一気に善の方へ動かしていったのである。(御書1333㌻など参照)
 この次郎入道の夫妻が逝去した後も、子息(中興入道)夫妻は、大聖人門下として強盛な信心を貫いている。
 「声仏事を為す」だ。なかんずく、壮年の声の力は計り知れない。ゆえに、断じて声を惜しむまい。声の限り、力の限り、創価の勇将が正義を叫んで、必ずや国土世間を仏国土に変えていくのだ。

「兄弟会」の誓い
 「学会家族」の団結を語る上で、私が常に思い起こすのが、「兄弟会」の存在である。
 慣れ親しんだ地を離れ、新天地で苦境に直面した時、懐かしき同志からの激励で、立ち直ることができた――。
 そんな報告を、幾たび伺ってきたことか。今、北海道から沖縄まで全国各地に兄弟会があり、その友情の水脈は世界中に流れ通っている。〝支部兄弟会〟などとして交流を深めている地域も多い。
 同志と結んだ「心の絆」は、環境や場所が変わろうと、切れはしない。物理的な距離は離れても、心はいよいよ近い。
 この「兄弟会」の模範の原点といえば、東京・中野である。
 スポーツの集いと記念撮影会を行った折(1973年2月4日)、参加した青年たちを「中野兄弟会」と命名し、毎年、集い合うことを提案した。一人ひとりが30年後の目標をメモに記し、誓いを共々に果たそうと呼び掛けたのである。
 同じころ、東京の港、渋谷、世田谷、杉並、目黒、大田等でも兄弟会が結成され、新宿、千代田等にも仲良きグループが誕生した。後年、品川、豊島、北、足立、江東、墨田、荒川、また村山、町田、調布等々、新たな兄弟会が発足している。
 地涌の兄弟姉妹は、民衆の幸と平和を築く広布の誓いを貫いてきた。今や学会でも、社会でも、地域でも、欠かすことのできない大事な要の存在となってくれている。
 つい先日も、私と妻は目黒方面を走り、題目を送った(7日)。若き日に夫婦して住んだ三田も通った。地域に根差し、信頼と友情を広げる友の奮闘が、嬉しくてならなかった。
 石と石を打ち合えば、火が生まれる。大使命に生き抜く意気と意気が共鳴すれば、生命の底から感激が湧き上がる。
 東京の歌「ああ感激の同志あり」を初めて会合で声高らかに歌ったのは、1978年の夏、場所は忘れもしない荒川文化会館であった。
 そこには、東京の支部長・婦人部長、男女の部長の代表が集っていた。誰もが歓喜に胸を高鳴らせ、声も限りに歌った。
 「仏の使いに 誇りあり/ほまれの東京 光あれ」と皆が心を一つにし、まさに“感激の同志”として勝利へ総立ちの出陣となったのである。

栄光の峰へ雄飛

 大切な広布の父母よ!
 〝黄金柱の壮年部〟と〝太陽の婦人部〟が、ガッチリと心を合わせ、青年と共に「空飛ぶ者の王」鷲の如く進みゆくのだ。そうすれば、いかなる群雲をも突き抜け、旭日に輝く栄光の峰に到達できないはずがない。
 我らには、異体同心の信心がある。あらゆる壁を打ち破る、不屈の負けじ魂がある。無限の価値創造の大空を飛ぶ、慈悲と智慧の翼がある。
 さあ常勝のスクラムをさらに強く、勇気の前進、また前進だ!
    
 未来まで
  凱歌の物語
     綴りゆく
  我らは地涌の
    兄弟なるかな


仏典の引用は『パーリ仏典〈第2期〉1 長部・戒蘊篇Ⅰ』片山一良訳(大蔵出版)から。
2017-08-14 : 随筆 永遠なれ 創価の大城 :
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随筆 永遠なれ創価の大城 19 我らの凱歌の五月三日

随筆 永遠なれ創価の大城 19   (2017年5月3日付 聖教新聞)

我らの凱歌の五月三日

王者堂々と広布の峰へ前進!
「師弟共戦」「異体同心」の信心は無敵なり


 日蓮大聖人の仏法は、全人類を永遠に照らす「太陽の仏法」である。
 御聖訓には、「一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」(御書1467㌻)と仰せである。
 ゆえに時代の闇が深いほど、いよいよ鮮烈に、智慧と希望の陽光を放って、我らは進むのだ。
 久遠よりの誓願である広宣流布を断行するために! 民衆の幸福を勝ち取り、平和の未来を創り開きゆくために!
 誇り高き使命の大行進の中で迎える栄光の五月三日、誠におめでとう! 皆、本当にありがとう!

師匠を偲びつつ
 一段と勢いを増しゆく学会の大発展の様子を、創立の師父に御報告したい――その思いを込め、私は、豊島区巣鴨の東京戸田記念講堂を訪れた(4月26日)。
 同じ区内には、かつて牧口先生と戸田先生が、暴走する軍国主義と国家神道に抵抗して投獄された東京拘置所があった。師弟して「立正安国」のために戦い抜かれた魂の決戦場である。
 この師弟の殿堂を守り荘厳されている豊島区・北区をはじめ地元の方々に感謝は尽きない。
 遠来の友を「当起遠迎、当如敬仏」の精神で迎えてくれる創価班、牙城会、白蓮グループにも、また音楽隊、鼓笛隊、ドクター部、白樺の皆様、栄光会など役員の方々にも、さらに王城会、香城会、会館守る会、サテライトグループなどの方々にも、心から御礼申し上げたい。
 御書には、「日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか」(1113㌻)と記されている。
 学会の会館は、御本仏の不惜の精神に直結して殉難した、創価の師弟の崇高な魂魄を留める広布の法城である。ゆえに、集い来る地涌の闘士たちが皆、「心の財」を無量に積みゆけることも、また絶対に間違いないのだ。
 師弟共戦の歴史を綴ってきた講堂を訪問した意義を刻み、ここでは不滅の学会精神を3点にわたり確認し合いたい。

勝利は祈りから
 1つ目は、一切の勝利は「祈り」から始まる、ということだ。
 牧口、戸田両先生の肖像が見守る講堂で、私は妻と厳粛に勤行・唱題し、死身弘法の御徳に報恩感謝の祈りを捧げた。とともに、慈折広宣流布の大願成就を、そして大東京をはじめ、全国、全世界の宝友の幸福勝利を真剣に祈念した。
 大聖人は、「多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし」(御書1194㌻)と仰せである。
 大聖人の仏勅である広宣流布、立正安国を誓願し、我ら創価の師弟が唱えてきた自行化他の題目が、どれほど莫大であることか。その功徳は、今や壮大に青き地球を包んでいるのだ。
 女性門下に送られた御文には、「教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(同1187㌻)と説かれる。
 まさしく、仏天をも揺り動かす絶対勝利の祈りで、一切を勝ち開いてくれているのが、世界一の太陽の婦人部である。
 5月3日は「創価学会母の日」――私たちは、尊き広布の母に、最大の賞讃と深謝を捧げたい。
 母たちを中心に、我ら創価家族の祈りは「異体同心」の祈りである。
 いずこでも、悪戦苦闘の友がいれば、励まさずにはおかない。共に祈り、同志のために動かずにはいられない。
 「自他彼此の心なく」結ばれた、この最高に麗しい絆が日本中、世界中に張り巡らされている。だから、御本仏の大生命が脈々と流れ通うのだ。

自ら人間革命を
 2つ目は、広宣流布の全ての戦いは、自分自身の「人間革命」のためにあるということだ。
 戸田講堂の恩師記念室では、貴重な広布史の展示を拝見した。
 丹精込めて復元された豊島公会堂の模型も、誠に懐かしかった。
 戸田先生は、先師が獄死された拘置所の間近にある、この公会堂を正義の言論戦の舞台として、御書や法華経を講義していかれたのだ。
 60年前の8月、私が荒川区で広布拡大の指揮を執った直後にも、先生は、この豊島の会場での本部幹部会で全国の飛躍を讃えられた。そして、新入会の友らを温かく励まし、皆に「信心してよかった」という喜びを味わわせてほしいと念願されたのである。
 「各人が幸福をつかむ信心」の確立にこそ、先生の鋭き焦点があった。
 そのためには、労苦をいとわず「地涌の菩薩」の行動を、と教えられた。
 我らの地球が正確に自転しつつ太陽の周りを公転するが如く、「人間革命」と「広宣流布」は絶妙に連動して、無限の価値を創造していくのだ。
 「唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ」(御書33㌻)とは、「立正安国論」の結論である。
 日々、「行学の二道」に励みながら、大法弘通のため、立正安国のため、勇んで戦っていく。このダイナミックな学会活動こそ、皆が宿命を転換し、絶対的な幸福境涯を開きゆく、最も確かにして速やかな「一生成仏」の軌道であることを、先生は明かされたのだ。
 展示の中に、1973年の5月5日、豊島の友3400人との記念撮影や子ども運動会の写真もあった。この折、皆で「勝利」の意義を語り合ったことも思い出深い。
 ――新しき前進への活力は、勝つことである。勝利は、新しき希望を生み、新しき勇気を育む。ゆえに、一つ一つの課題に断固として勝ち続けていくことが、広宣流布の原動力である、と。
 当時の可愛らしい未来部の友も、皆、立派に成長して、「人間革命」即「広宣流布」の勝利のために、団結し、奮闘してくれていることが、何より嬉しく、頼もしい。

巌窟王の精神で
 3点目に、「巌窟王の折伏精神を忘るるな」と訴えたい。
 学会が「広宣流布」という言葉を公の場で使った最初の記録は、75年前(1942年)の5月、創価教育学会の総会での牧口先生の発言であった。既に太平洋戦争の渦中である。
 牧口先生は、軍部政府からの弾圧も覚悟されていたのであろう。この総会で、嵐に立ち向かうが如く、我らは国家社会を大善の方向に導くのだと師子吼されている。
 そして一対一の折伏によってこそ、「家庭を救い社会を救い、そうして広宣流布に到るまでの御奉公の一端も出来ると信ずる」と断言された。
 ここに「広宣流布」という学会永遠の使命と責任が定められたのだ。
 正義の師を獄死せしめた権力の魔性に憤怒した戸田先生は、妙法の巌窟王となって、1945年の7月3日に出獄した。
 必ず広宣流布することこそが、師の仇討ちなりと覚悟された戸田先生は烈々と叫ばれている。
 「私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします」
 「私の手で」と、先生は言われた。誰かではない、自ら人生を懸けた誓願として言い切られている。
 そして戸田先生は、牧口先生と寸分違わず、「一対一の膝詰めの対話」によって、広宣流布の道を切り開いていかれたのである。
 一対一で、勇気をもって正義を語る、真心込めて友を励ます――この折伏精神に、人間一人ひとりの無限の可能性を開きゆく広宣の直道がある。
 日本も世界も、激動と不安の中にある。誰もが心から信頼できる何かを求めている。だからこそ、私たちは、目の前の一人を大切にし、相手の仏性を信じ、確信を持って語るのだ。
 粘り強い大誠実の対話は、悪意や偏見も打ち破る。確かな友情を結び、仏縁を広げていくのだ。
 恩師・戸田先生は水滸会や華陽会の折々に、「巌窟王の心」とは、何があっても巌の如く信念を貫き通す折伏精神であると教えてくださった。
 この心で、私は恩師の出獄から12年後の7月3日に入獄した。全く無実の罪であった。本年夏で60年となる。「師弟共戦」と「異体同心」の信心は無敵なりと、満天下に示し切ってきた。
 そして今、わが愛弟子たちが一切を受け継ぎ、師弟の正義を、巌窟王の如く威風堂々と勝ち示してくれることを、私は大確信してやまない。

凱旋の鐘を打て
 戸田講堂の平和ロビーには、2001年の「五月三日」を記念する第1回東京総会に際し、私が鳴らした「七つの鐘」のオブジェがあった。
 今回、湧き上がる思いのまま、「わが全同志に勝利の鐘よ響け! 大東京に凱歌よ轟け!」と、再び強く、また強く鐘を打ち鳴らした。
 鐘の響きには、深く共鳴しつつ、はるか彼方まで届いて、魂を呼び覚ます力がある。
 我らも大歓喜の生命の躍動を、一人また一人と伝え、社会へ、世界へ、未来へ、大いなる希望の波動を広げていくのだ。
 さあ、広宣流布の峰を目指し、共に、共々に、勇気凜々と、晴れやかな凱旋の暁鐘を、打ち鳴らそうではないか!
2017-08-14 : 随筆 永遠なれ 創価の大城 :
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随筆 永遠なれ創価の大城 18 師弟の大桜は爛漫と

随筆 永遠なれ創価の大城 18   (2017年4月13日付 聖教新聞)

師弟の大桜は爛漫と

試練を越えて 凱歌の花は咲く
君よ 対話の春を舞いに舞いゆけ


  父母と
  試練の坂を
    勝ち越えて
  咲き誇りゆく
     若桜かな
     
 熊本地震から1年――愛する郷土の復興へ奮闘しゆく不撓不屈の若人の連帯を、諸天も寿いでくれたのであろう。
 熊本での全国男子部幹部会は、異体同心の九州家族の祈りに照らされ、暖かい陽光に包まれた。
 会場は、1年前、被災された方々の一時避難所となった熊本平和会館だ。
 今年は3月の寒さの影響か、桜の開花が平年より遅く、折しも当日は満開の桜に包まれ、日本一の弘教を飾った九州の丈夫たちを祝賀した。
 引き続き、桜花舞う熊本では、けなげな九州女子部の総会も行われる。
 「さくら(桜)はをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書1492㌻)と、日蓮大聖人は桜を愛でられた。
 固く、ごつごつとした樹皮に覆われた桜の木。その中から清らかな花が咲き出る。それは、凡夫の生命に清浄にして偉大な仏の生命が具わることの象徴でもあろう。
 また、桜の大樹は風雪の苦難に耐えるかのように、太い幹を曲げられながらも、毅然と枝を伸ばし、花を咲かせる。
 その凜たる姿は、「負けんばい!」と胸を張る熊本の宝友たちと二重写しに思えてならない。

「誓い」を新たに
 今年の桜(ソメイヨシノ)は、開花宣言も満開も東京が最も早かった。
 総本部を訪れるSGIの友も、万朶と咲き誇る「青年桜」や「華陽桜」に、世界広宣流布への誓いを新たにされている。
 春季研修で来日された世界の同志と共々に、清新な心で、新出発を切っていきたい。
 先日、私は、桜花爛漫の中を、創価学園から久方ぶりに立川文化会館へ走った(5日)。
 道すがら、目に入った聖教新聞の販売店にも、題目を送りつつ、シャッターを切った。「無冠の友」の皆様と一丸となり、たゆまず地域広布を推進する大事な城である。
 この立川文化会館では、昭和53年(1978年)、女子部の歌「青春桜」を友と一緒に作り、3・16「広宣流布記念の日」に発表したことも懐かしい。
 私は歌詞に詠んだ。
 「あなたと語りし
      あの誓い
  いかに忘れじ
  この道を この道を
  手に手をとりたる
      青春桜」
 立川文化会館の「元初の間」で、私は妻と、全世界の創価の女性に、幸と勝利の〝青春桜〟が、永久に、馥郁と薫りゆくことを真剣に祈念した。
多摩川に沿って
 「桜」で蘇るのが、25年前(1992年)の4月、八王子から大田に向かう途次、調布文化会館に立ち寄った時のことである。
 多摩川に沿って、美しい桜が咲いていたが、それにも増して見事だったのは、館内のロビーいっぱいに花を広げた手作りの大桜であった。
 聞けば、花びら一枚一枚に、誓いの祈りが込められていたという。
 真心の労作業に胸中で合掌しつつ、仰ぎ見た。
 会館の窓から多摩川を望むと、河川敷にいた家族連れが目に留まった。
 わが創価家族ではないかと思い、声を掛けてもらうと、やはりそうだった。男の子は河川敷で遊んでいたままの姿で、お母さんは恐縮されていたが、館内に入ってもらい一緒に勤行を行った。
 今、その少年は大学院の博士課程で学びつつ、創価学園で教壇に立ち、男子部のリーダーとしても奮戦してくれている。
 この折、私は調布と狛江の友に熱願した。
 「仏法は勝負。勝つか負けるかだ」「功徳と正義を示せ! ここから火の手を上げよ」――と。
 私の心には、愛弟子たちが〝常勝の錦州城〟を築き、功徳満開の無数の花を咲かせる姿が、今もありありと映っている。
 調布を出て、車で狛江、世田谷と抜けると、わが故郷城・大田である。
 大田にも、桜の思い出は数多い。戦災の焼け野原に一本残った桜が、皆に希望と勇気を送ってくれたことを、童話『少年とさくら』に綴りもした。
 地域貢献として私が提案し、大田区に1000本の桜の若木を寄贈させていただいたこともある。大切に守り支えてくださる地元の方々に感謝は尽きない。
 私の心を心として、大田の青年部が〝千本桜〟のごとく、誠実と信頼光る人材の若木を地域に植えてくれていることも、嬉しい限りだ。

「人華」を広げよ
 桜は世界に友情の花を広げてきた。
 中でもアメリカの首都ワシントンのポトマック河畔の桜は有名だ。淵源は100年以上前、〝憲政の神様〟尾崎行雄が東京市長の時に苗木約3000本が寄贈されたことにある。
 わがアメリカSGIの友も、ロッキー山脈を仰ぐデンバーなどで桜の植樹を重ね、多くの市民に喜ばれている。
 世界には、〝紫の桜〟ジャカランダなど、桜を彷彿させる花樹がある。
 たとえば、この時節、インドでは、桜によく似たアーモンドの白い花が満開になる。
 インドの創価の友は、今や15万人を超える〝人華の園〟となった。
 その原動力こそ、あくまでも「一人」を大切にする振る舞いだ。
 そして、「一人立つ」リーダーの行動である。
 それは、あのマハトマ・ガンジーが身をもって残した拡大の方程式でもあるといってよい。
 ガンジーは、どのようにして、広大なインドの民衆を糾合したのか。
 共に戦い抜いた盟友ネルーの結論は、誠に明快である。
 「ただやさしいまなざしと、おだやかな言葉と、それに何よりも身をもって自ら模範を示すことによって成しとげたのである」と。
 特別な何かで、人心をまとめたのではない。誠実一路の人間性と、率先垂範の勇気によって、民衆を結合したのである。

「一は万が母」と
 ともあれ、誰かではない、自分である。まず自分が戦いを起こす。自分が壁を破るのだ。
 「一は万が母」(御書498㌻)である。自身の祈りと智慧、闘魂、行動からこそ、広布の万波が生まれる。
 「一人立つ」勇気と挑戦の先に、必ず突破口は開かれていくのだ。
 日蓮仏法は「下種仏法」である。
 一言一句でも仏縁を結ぶなら、友の胸には、何があろうと消えない成仏の種子が植えられる。
 だからこそ、臆してはならない。信念をもって語り切ることだ。
 そのために悩むことは、菩薩の悩みである。全ての苦労が、仏の境涯を開いていくのである。

歴史創る新風を
 法華経化城喩品には美しい一節がある。
 「香風は萎める華を吹いて 更に新しき好き者を雨らす」(創価学会版法華経313㌻)――香り高い風がしぼんだ花を吹いて、さらに新しく好ましい花を降らせる――。
 新しき歴史は、新しき風とともに創られる。私たちの広布への活動においても、新しき価値創造には、常に、新鮮な風を送りゆかねばならない。
 ゆえに、青年部が大事なのだ。各地域の壮婦の励ましで、一人の男子部が、女子部、学生部が立ち上がることは、必ず、新しい花を咲かすことに通じる。目の前の一人を大事に育めば、新時代の扉は必ず開かれる。
 一人ひとりの若人が〝桜梅桃李の人華〟を命いっぱいに咲かせ、人間革命の輝きで社会を照らし、立正安国の花園を、わが地域・わが国土に広げていくのである。

学会精神に燃え
 昭和54年(1979年)の4月2日――、桜をこよなく愛された、わが師・戸田城聖先生の祥月命日に、私はこう書き留めた。
 「死身弘法 不惜身命
 此の心は
 学会精神のみにある」
 永遠の妙法と共にある我らは、永遠に師弟の道を進み、学会精神を燃え上がらせ、広宣流布の大誓願に生き抜くのだ。
 恩師を偲ぶ北海道・厚田にも、5月3日ごろ、桜前線が到達する。
 我らの前には「師弟の大桜」が咲き誇り、晴れやかな「創価桜」の大道が広がっている。
 さあ、正義と勇気の前進だ! 君たち、貴女たちよ、対話の春を舞いに舞いゆけ! 朗らかに、自身の凱歌の花、民衆の勝利の花を咲かせよう!

 ネルーの言葉は『マハトマ・ガンジー』ガンジー平和連盟訳(朝日新聞社)=現代表記に改めた。
2017-08-14 : 随筆 永遠なれ 創価の大城 :
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