生命の光 母の歌 最終章 未来へ喜びの交響曲を

最終章 未来へ喜びの交響曲を (2014.5.11/12/13付 聖教新聞)

青年よ自分らしく光れ

サイフェルト この語らいに、読者の皆さんから寄せられた、たくさんの反響を伺いました。本当にうれしいです!
 以前に池田会長が紹介された、目の見えないご両親を支える(中学生の)お嬢さんからも手紙を頂戴し、涙する思いで拝見しました。自分もそうでしたから、彼女がどれほど苦労してきたか、よく分かります。そして、ご両親からたくさんの愛情を受けて育ってこられたことも、よく分かります。
 彼女のように、人一倍。苦労をしている若者には励ましが必要です。温かく励ましていけばいくほど、その人は大きく人生を開いていくことができるのです?

池田 博士はすぐに返事を書かれ、激励してくださいました。その真心とスピードに、博士から手紙を預かったSGIの婦人部のリーダーが深い感銘を受けておりました。
 人一倍苦労しているといえば、今の季節、私か心から声援を送りたいのが、新たな職場や学校で奮闘する皆さんです。
 ちょうど日本は4月に新年度が始まったばかりで、彼らの凜々しい挑戦の姿が光っているのです。
 私も、大切なフレッシュマンたちに「清々しい挨拶を!」「朝に勝とう!」「愚痴をこぼさず前へ!」の3点の指針を贈ったことがあります。
 実はこの時期、日本では「五月病」という言葉を、よく耳にします。新入生や新入社員の中には、新しい環境になじめず、勉強が手につかなくなったり、落ち込んだりしてしまうケースがあるのです。
 大学卒業者の場合、昨年の調査では、就職しても3年以内に離職する人が3割を超えました。社会全体で取り組まねばならない課題になっています。

サイフェルト 職場の居心地が悪かったり、合わなかったりということもあるでしょう。しかし本来、働くこと自体が大切なのです。仕事に就くことが難しい場合もあります。

池田 いずこの職場であれ、就職の際に抱いていた理想と現実の間に大なり小なりギャップがあります。そこをどう受けとめていくか。これは時代を超え、国を超えて、共通する青年の課題でしょう。
 私の恩師・戸田城聖先生は、仕事について悩む青年に信仰の実践の大切さを教えるとともに、先師の牧口常三郎先生が提唱した「美」「利」「善」の価値論を通して、次のように励まされていました。
 ──職業は、「自分が好き(美の価値)であり、得(利の価値)であり、社会に貢献できる(善の価値である)仕事」に就くのが理想だが、現実はそうはいかない。だからこそ青年らしく、へこたれずに、まず今の職場で、“なくてはならない人”になるよう全力で努力することだ。そうすれば最後には、自分にとって「好きであり、得であり、社会に大きな善をもたらす仕事」に到達できる。途中で重ねた苦労は全部貴重な財産になるよ──と。
 誰にも、自分にしかない使命がある。しかし、その使命は「いつか」「誰か」が教えてくれるわけではありません。特に若い時は「学びの時代」「鍛えの時代」と捉えて挑戦していくことです。
 もちろん、職場等での理不尽な待遇などに黙って我慢しろという意味ではありません。自分一人で抱えず、しかるべき人に相談していくことが大事です。
 スイスの思想家ヒルティは“仕事の上手な仕方”のポイントの一つに、「思いきってやり始めること」を挙げていました。〈草間平作訳『幸福論 第1部』岩波書店〉
 私の体験の上からも、そう思います。

サイフェルト その通りですね。働くことに関連して、私には息子がいるのですが、まだ主人が健在だったころ、大学を無事卒業して喜んでいた息子に「何か私たちが手助けできることはない?」「これから何がしたい?」と聞いたことがあります。すると、「まあ、本当のところ、まずは世界を見て回りたいなあ」なんて言ったのです!(笑い)
 当然、そんな考えには同調できませんでした。

池田 ご子息が今、立派に成長され、貴国で社会貢献の職務に就いておられることは、よく伺っております。

サイフェルト 私は常に仕事に責任を持ち、自分の力で人生を切り開くことを第一義に考えてきました。人が何らかの地位を得て、他の人々のために貢献できるということは、本来、神からの恵みであり、天与のたまものなのです。
 人は、自分自身に対する責任について免責されるべきではないと思います。なぜなら、それこそが生きる意味そのものだからです。人は張り合いや責任感がなくなると、自分自身の存在自体に疑問を持つようになっていきます。ですから、子どもたちには、より早い時期から人生の厳しさや本来の生きる意義を理解させることが大切だと思います。
 それがいかに重要かということは、私自身の経験からも言えます。子どもや青少年を教育するということは、若い人たちに「生死《しょうじ》」や「自身の環境や他者に対して負うべき責任」に関して考えるチャンスを与えるということなのです。
 困難は全て、克服するためにあるのです。私自身、さまざまな苦労をねてきましたが、自分が今まで歩んだ人生を取り換えようとは思いません。この人生が一番いいと思っています。

池田 自分の人生に悔いはない。一番良かった──そう言い切れることこそ、大勝利の人生の証しでしょう。
 かつて対談した日本の実業家・松下幸之助氏(松下電器産業〈現・パナソニック〉創業者)は「若い時の苦労は、買ってでもせにゃ、あきまへんな」と語っておられました。松下氏ご自身が小学校を中退して働き、大変な苦労をして事業を起こし、世界的に発展させていかれた方でした。“経営の神様”と仰がれてきました。
 人生は、働き、苦労すること自体に大きな価値がある。たとえ財産があっても、楽をし、遊んでばかりの人生では、退屈で空虚なものになってしまう。それではかえって不幸です。
 また、博士のご家族がそうであったように、親は子に、折に触れて、人生の苦難と戦った自身の体験や信念を伝えていくことが大切ですね。それは特に、子どもたちが社会に出るに当たって、何よりの“心の宝”の贈り物となるでしょう。
 私の恩師は「艱難汝を玉にす」という言葉がお好きでした。
 私は21歳の時から恩師の会社で働きましたが、師はあえて一番大変なところ、一番苦労するところに私を就かせました。後になって、その意味がよく分かりました。本当にありがたい師でした。

サイフェルト 子どもたちには「仕事があることは幸福なのだ」と教えていくべきなのです。
 確かに、今日のヨーロッパを見れば、残念ながら、博士号まで取っでも、勤め先の無い学術者があふれかえっており、困難な時代です。
 子どもたちが親に対し、自分たちの境遇が親に比べて、ずっと悪いと訴えるケースも増えているようです。“確かに最初は何もないところから始めたかもしれないけれど、今はいい暮らしをしているじゃないか”“それに比べて、子ども世代は何不自由ない生活から突然、困難な状況に置かれてしまっている!”とさえ言うのです。
 なぜこのような見方をするのか、背景を探る必要があると思われます。

池田 今、若い世代を取り巻く雇用環境は、実に厳しい。
 国際労働機関(ILO)によれば、2013年は、世界全体の失業者が初めて2億人を超えて2億200万人(失業率は6%)に達しました。中でも若者の失業率は全体の2倍以上の13%を超え、世界全体で約7450万人の25歳未満の若者が失業中と言います。また、1日に1.25ドル以下で暮らさざるを得ない労働者(ワーキングプア)は、改善されつつあるものの、3億7500万人にものぼると推定されています。
 多くの若者が、定職がない、低賃金、劣悪な職場環境、不安定な雇用形態、男女間の待遇の格差などで苦しんでいます。
 私は今年の「SGIの日」記念提言でも、国連の新しい国際共通目標として「青年」という分野も含めることを訴えました。
 そして、①「ディーセント・ワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)の確保に各国が全力を挙げること②社会が直面する問題を解決するプロセスに「青年の積極的な参加」を図ること③国境を超えた友情と行動の連帯を育む青年交流を拡大すること──を目標に設定するよう提案しました。
 青年が、自分らしく、自らの夢に向かって力を発揮していける社会の基盤をつくらなければなりません。
        ♪
サイフェルト 素晴らしい提案です。
 もう一つ、若者が自分らしく力を発揮するという点で、聖書には「隣人を自分と分け隔てなく愛せよ」とありますが、実のところ自分自身を愛することは非常に難しく、それは多くの人が抱えている問題でもあると思います。
 大切なのは、自己の価値を認め、自分を好きになり、少なくとも自らを受け入れることではないでしょうか。そうすることから、希望が生まれます。そうすれば、ちょっとしたことで簡単に傷ついてしまうような脆さはなくなると思うです。
 私自身、非常にそのことで悩んでは闘ってきました。時には心を強くして、精神的暴力から身を守らなければならないこともありました。その際、同じような考えを持つパートナーが身近にいれば緩和されるでしょうが、独り身だったら少なくとも良き友人が必要です。これは自己の限界を破っていくために通らなければならない道です。私自身もそうでした。

池田 私の恩師は、青年に「自分自身に生きよ」と言われました。
 自分の中には尊極なる“仏の生命”がある。幸福の源泉がある。そう説いたのが仏法です。
 運命と戦い、人生を切り開いていくのも自分です。そう決めて、自分らしく生き抜く人は、いかなる毀誉褒貶にも惑わされません。全ての縁を生かしていくことができます。
 今、お話があったように、青春時代は“良き友”の存在が大切です。
 仏法でも「蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)”との交わりで、蓬のように曲がっていた心が感化を受け、麻のように真っすぐ素直になる」との譬えが記されています。
 良き友との交流を通し、人はより良い人生の道を進むことができる。自分では気づかない自分の長所や強さを発見でき、自他共に輝いて生きていくことができる。良き友人を持った人生は幸福です。

全ては一人の変革から始まる

サイフェルト 今日、近代的な技術により、若い人たちにとってネットワークを築いたり、世界的なスケールでコンタクトを取り合ったり、情報を共有し合ったり、新しいことを知り、それに取り組んだりすることが、20年、30年前に比べて簡単にできるようになりました。
 差異というものは、いつの時代でもありますし、あって当然です。各人が、自身のアイデンティティーと文化的価値を持ち続けながら、隣人(他者)とその文化的環境を理解、尊敬し、違いを尊重しながら、共通項を見いだし、“共存”する努力をしていくことが要請されています。

池田 自分たちの文化を大切にしながら、相手の異なる個性や文化を認め、尊重し、良い面を学び合い、吸収し合っていくことは、グローバル社会を生きる私たちが心すべき要諦ですね。
 閉鎖的では、硬直化し、独善的になりかねない。“開かれた心”で交流してこそ、自身の可能性の新たな発見もあるのではないでしょうか。
 これからの青年のために、視野を広げ、心の世界を大きくする機会を、一段と増やしていきたいものですね。
 サイフェルト そう思います。私には義理の娘がいます。彼女は上海出身の中国人ですが、私たちの間には、日常の些細なこと、意識しないところでも、まだまだ文化的な違いがたくさんあることに気づかされます。
 しかし、だからこそ、正面から向き合うことが大事なのだと思います。つまり、ばかにされたと感じるような時も、いじけるのではなく、文化の違いから生じる差異をすぐに理解できずに異論がある場合には、オープンに意見を述べ合うことが重要です。
 そうした意味において、若いうちに自国以外の文化についても、知っていくことが非常に重要になってきます。外国語の習得も、自身の視野を広めることになると言われますね。専門分野の領域を超えた学生間の交流を、より推進していくことが望まれます。
 かつて、息子が日本へ学びに行く機会がありました。それは当時、高校修了資格試験を終えたばかりの彼にとって、その後の将来を左右するほど、大変貴重な体験になったのです。
 文化は、人間を人間たらしめるものです。そして文化的な教育は、これで十分施したということはできません。ここで言う「文化」とは、了見の狭い、偏狭な意味合いの「民族の文化」ではなく、「世界市民としての文化」です。
        ♪
池田 深く共感します。創価教育が志向してきた大きな焦点です。今年の「SGIの日」記念提言でも、「青年」と共に「世界市民教育の推進」を国連の国際共通目標とするよう、提唱しました。これは時代の流れではないでしょうか。
 アメリカ創価大学で進めている多様性を重んじた教育について、昨年行われた、ある雑誌の調査では、アメリカに約250校あるリベラルアーツ(一般教養)大学の中で、米国外からの留学生の割合で1位、人種の多様性(留学生を含まない)で5位、在学中に米国外への留学を経験する比率が100%で1位であると評価されました。
 日本の創価大学でも現在、47カ国・地域の148大学と学術協定を結ぶなど、世界市民教育に力を注いでいます。
 この4月には、待望の「国際教養学部」を開設しました。幅広い教養と専門性、高度な英語運用・コミュニケーション能力を備えた「グローバル人材」を育成するのが目的です。
 創価大学からは、貴国のクラーゲンフルト大学にも多くの留学生を送り出すことができました。同大学評議会の一員であられたご主人のウンカルト博士が、両大学の交流に尽力してくださったご高恩は、一生忘れません。

サイフェルト ありがとうございます。夫が、かなり関わった事業です。今も喜んでいるでしょう。
 平和のため、未来のために、私たちは、どこまでも沈黙してはいけません。いくつになっでも、言わなければならない時は、発言しなければなりません。そしてそういう時、私はいつも創価の皆さまから力をいただいているのです。
 人の一生は本当に短すぎると思います。年を重ねれば重ねるほど、自身の残された時間を過ごすのに、より慎重になっていくものです。だからこそ、たとえ社会の第一線を退いた世代でも、「自分の人生はまだまだこれからだ」と決意し、前向きに生きていくことが大切です。私も、自身の文化的な人間形成ということを、四六時中、念頭に置きながら、学び続けています。
 若い世代に継承することだけでなく、自分自身が、スポンジが水を吸収するように成長し続けていく。そして語っていくことが大切だと思っています。

池田 同感です。共に対談集を発刊した、平和学者エリース・ボールディング博士が、私に言われていた言葉を思い出します。
 それは──今日という日は、満100歳の人たちが100年前に生まれた日であり、また100年後に満100歳となる赤子が生まれている日でもある。
 私たちは、「200年」の範囲に生きる人々と共に、皆で「より大きな共同体の一部」をなしている。
 「私たちはこの一生の中で、若者から年配者にいたるまでの、何と多くのパートナーに接することでしょう」──と。
 ボールディング博士は、大変な闘病の中、亡くなる最期まで平和への志に生き抜かれました。お見舞いに訪れた次代の女性リーダーには、このように語り残されたと伺いました。「平和の文化は、放っておいては実現しません。自分かつくらなければ。一緒にやるのです」「歩みを止めないで! 自身がやっていることに喜びを持って!」と。

サイフェルト 感動しました。心から共感します。
 思い出したことが一つあります。面白い物語です。
 ──あるところに、2人の駆け出しの聖職者がいました。
 彼らは、生命がいつから始まるのか、つまり生殖の段階なのか、出生時なのか、議論していました。
 そばのベンチに老婦人が座っていました。聖職者たちは「彼女なら知っているだろう。聞いてみよう」と言って質問します。
 「私たちは、人生が一体いつ始まるのかと思案しているところなのですが、あなたはどのようにお考えになりますか」
 老婦人の答えはこうでした。「そりゃあ、子どもが成長して巣立っていって、夫と飼い犬が亡くなった時さ」と──(笑い)。
 そう、その老婦人は、まさにその時点から自分の人生について考え、そして彼女自身の人生を“生きる”時間を得たのです。

池田 難しい哲学の言葉は使わなくても、現実の大地に根を張ってたくましく朗らかに生き抜いてきたおばあちゃんにはかなわない(笑い)。どこの国でも、母は偉大です。
 日蓮大聖人が、門下の女性に「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(御書1135㌻)と激励されたお手紙もあります。
 正しい信仰を貫き、行動していけば、年齢を重ねるごとに、いよいよ若々しく、福徳が増していく、と教られています。誰もがそうした人生を歩んでいきたいと心の奥深くで願っているのではないでしょうか。
 今日のSGIを築いてこられた多くのお母さんたちは、年配になっても、若々しい心で、人々のため、社会のために、尽くしてくれています。

サイフェルト 私はSGIの婦人部の方々から、たくさんの精神の宝をいただきました。多くの力をいただきました。このことを、感謝の思いを込めて言わせていただきたいのです。感謝することは、何かをお願いすることより非常に大切なことです。
 東京の信濃町に、素晴らしい、新しい建物──「広宣流布大誓堂」が落成したとも伺いました。
 あらためて、おめでとうございます!
 日本に行くと、いつも本当に温かい世界に触れて、幸せを感じます。ぜひまた創価学園や創価世界女性会館などを訪問したいと、強く願っています。

池田 オーストリアのSGIの婦人部の皆さんも、博士のような偉大なリーダーからさまざまに学ぶ機会をいただき、心から感謝し、喜んでいます。
 日本の各地の女性リーダーも、博士との出会いの思い出を今も懐かしく大切にしています。

サイフェルト ありがとうございます。
 私は「奇跡を信じないものは現実主義者ではない」という言葉を座右の銘にしています。偏狭で近視眼的になった学者や、自分の考えのみによって全てのことを判断してしまうような人たちが、これに該当します。本当に気の毒です。都会から離れた地域にいる農家の女性のほうが、はるかに精神的に富んでいます。
 例えば、乳母車にいる子どもの手から人形が滑り落ちてしまって泣いていたら、(その悲しみに同苦して)空の星が震えている──そんな捉え方ができるのです。
 “重大な”政治的出来事や経済的動向などより、人生に起こる些細で劇的な出来事こそが、実は世界をも揺り動かしているということを感じて、最も重要視していくべきと思うのです。

池田 豊かな感性が伝わってくるようです。「アフリカの環境の母」と讃えられたワンガリ・マータイ博士とお会いした際、印象的な話をされていました(2005年2月)。
 博士が幼き日、母に「どうして空は落ちてこないの」と聞いたところ、「周囲の山々にいる大きな水牛の大きな角が空を支えているから」と答えてくれ、とても安心できたそうです。自然がどれだけ人間を守っているか、そのありがたみが子ども心に鮮やかに刻まれていった。それが後に、あの4000万本もの植樹運動に結実しゆく揺籃となっていったわけです。
 小さいことのようで、それがその人の心の奥底を動かし、人生を方向づけていく出来事があるものです。それは、いわゆる哲学や科学や政治、経済などの次元だけでは捉えきれない人生の実像です。
 恩師は、よく言われていました。
 「いかに優れた思想、哲学でも、たった一人の人間を救うことさえ容易ではない。できたとしても、せいぜい気休めの慰めぐらいのことではないか。ましてや、一国を根底からまるまる見事に救ったことなどない」──と。
 だからこそ、一人の人間生命の尊厳性と可能性を信じ抜き、その人間革命を目指すことから全てを出発する創価の運動の深い意義もあり、平和・文化・教育の活動へ展開する必然的要請もあると思っております。

芸術の力で 対話の力で 理解と友情の橋を架けよ

池田 ゲーテは高らかに歌いました。
 「大いなる誠実な努力も ただ たゆまずしずかに続けられるうちに
 年がくれ 年があけ
 いつの日か晴れやかに日の目を見る
 芸術も同じだ また学問も
 しずかに まじめに はぐくまれ
 ついには永遠に模範的なものが
 すべての者の財産となる」(内藤道雄訳「敬愛するフランクフルトの18人の友に」、『ゲーテ全集2』所収、潮出版社)──と。
 わが創価の同志の中にも、音楽をはじめ、芸術の分野で奮闘する友が多くいます。日々、たゆまず努力を重ね、使命の花を爛漫と咲かせています。信仰によって自身を向上させながら、心を鍛え、技を磨き、創造の道を歩んでいます。
 博士は芸術家として、常にどういうことを心掛けてこられたのでしょうか。

サイフェルト 芸術家は、それぞれが違った個性を持っています。
 真の芸術家は、内面においても、それが画家であろうと、演奏家であろうと、何であろうと、自分に与えられた才能を、きちんと認識しているということでしょうか。そして、それは自身の芸術と真摯に向き合い、人間としても、他の人に何かを伝えていくという責任と結びついているのです。そのためには、どれだけ自分を開くことができるかも問われてきます。
 私について言えば、「声」ということになります。
 声は他の人と交換できないものです。技術や技量によって、人に何かを与えたり、贈ったりすることができます。それは全て心から発せられるものであり、他の人に笑顔や喜びを届け、感動を与えることが可能なのです。
 本当に素晴らしいことだと思いませんか? 不思議ですね。なぜなら、それができるのは天与のものなのですから。
 だから私は、コンサートの前には、自らが感じ取ったことを他の人にも伝えられるよう、力を与えてください、と祈るのです。
        ♪
池田 よく分かります。
 仏法の最高の経典である「法華経」には、苦悩渦巻く娑婆世界で“天の音楽”を奏でながら、人々に限りない希望と勇気を贈る「妙音菩薩」が登場します。
 芸術家の使命は計り知れません。民音(民主音楽協会)の音楽事業は、世界の芸術家と手を携えて、平和と文化の交流の舞台を民衆の大地に広げ、人類の心を結んできました。

サイフェルト 私も、東欧の国境が鉄のカーテンで隔てられていた難しい状況下で、文化の交流に取り組みました。とても難しい時代でした。妥協を迫られたことも多々ありました。
 ただ、交流やプロジェクト、または私のアイデアに賛同して協力してくださる方々は、いつもいました。共産主義体制における著名人の中にも、人間性を失わずにいた人たちがいましたので、その方々とは本当に素晴らしい文化的なプロジェクトを実施することができました。
 しかし、私たちの支援者は、それぞれ本国の共産圏陣営で重要な地位に就いており、かなり危ない橋を渡りながら援助してくださっていたことも確かです。その方々の協力の下、大勢の芸術家、とりわけ、体制派に属さない芸術家を数年にわたって招聘することができたのです。

池田 冷戦下の厳しい状況が続く中で、今では想像もつかない困難があったことでしょう。
 そうした中でも、イデオロギーや体制の違いを超え、同じ平和を願う人間として、文化の交流、芸術の交流を行ってきたこと自体が、一条の光明だったのではないでしょうか。
        ♪
サイフェルト ええ。もちろん、そこには、研ぎ澄まされた感覚で、絶妙な駆け引きが必要とされました。お互い、それまでに築き上げてきた信頼の基盤があったからこそ、実現したのです。
 いかなる協力・提携関係においても、一番大切なのは、それが相互の信頼や尊敬の上に成り立つていることなのです。
 彼らとの数十年にわたるお付き合いの中で、心に残る出会いが数多くありました。そこで知り合った芸術家は“またここにお招きしたい、もう一度ここで何かしていただきたい”と思う方々ばかりでした。
 彼らの一番の功績は、何といっでも人々に希望を与えたことです。それはあたかも、いつもは閉ざされた世界にあって、窓が開いているかのようでした。

池田 貴重な歴史の証言です。
 迂遠のようでも、国や立場を超えた人間交流、市民交流こそが平和の基盤となり、共生の未来への潮流を生み出します。これは、私自身が各地で交流を重ねる中で実感してきたことでもあります。
 初めてソ連を訪問した(1974年)、モスクワの宿舎のホテルで「鍵番」をされていた無口なご婦人との出会いを思い起こします。お会いするごとに妻の方からあいさつの声を掛けて、親しくなりました。
 「私たちの訪問は平和のためです」と語ると、彼女はポツリと言いました。
 「私の夫も戦争で死んだのです」と。平和を願う心が響き合う語らいとなりました。
 いずこの国であっても。人間には「生老病死」の現実があります。病気の苦しみ、生活の苦労、愛する家族との死別──人間に光を当ててみれば、誰しも何らかの苦悩があるものです。その次元に立って心を開けば、必ず理解し合えます。そして対話を重ねていけば、変化が生まれます。
 対話はあらゆる差異を超えて、相互理解と友情の橋を架ける──これが私の揺るがぬ確信です。

サイフェルト 本当にそう思います。私自身も、とても大切にしてきた点ですし、常に橋を架ける役割に徹してきました。橋は“架け過ぎる”ということはありませんから。
 あらためて、民音の公演で訪れた日本では、素敵な経験をすることができました。聴衆も素晴らしかったです。日本の皆さんは本当にいい人たちです。
 日本とヨーロッパ、オーストリアでは、人との付き合い方が全然違います。ヨーロッパでは、どちらかというと、誰かが近寄ってくるのを待っていて、仲良くなるのに時間がかかります。日本ではすぐに親しくなることができ、よく一緒に笑ったりもしました。

池田 民音について過分なお言葉をいただきましたが、民音の半世紀にわたる音楽文化運動は、一流のアーティストや識者の協力はもとより、日本各地の推進委員の方々をはじめ、多くの真心の庶民による崇高にして真剣な支援によって進められています。創立者として、感謝は尽きません。

サイフェルト それは素晴らしいことです。
 「橋を架ける」ことについて、ゴットフリート・ベンの素敵な詩がありますね。“人生というものは、流れる川に橋を架けることである”
 川は常に流れては涸れ、また新たに流れを作る。そこに橋を架け続けるのだ、すなわちどんな変化があっても、前途を開く努力を続けていくのだ、と。これは私にとっての処世訓といっても過言ではありません。

池田 感銘しました。
 音楽は、いかなる困難な壁をも超え、世界を結ぶ──それが私たちの体験であり、実感です。決意であり、信念です。
 今、私の胸には、貴国の大詩人リルケの叫びが響いております。
 「光のきらめきのなかで 生き 創れ」
 「立て 身を伸ばせ 光へ向って!」(田代崇人訳「光へ向って」、『リルケ全集第1巻詩集I』所収、河出書房新社)
 闇が深ければ深いほど、暁は近い。不安や絶望が深まるほど、平和と幸福への願望は強まります。
 その時に、人々を結合させ、希望の光源となる文化の役割が、いかに大きいか。
 これでいったん、対談は終わりますが、私たちの平和への戦いは続きます。
 これからも、未来へ向かって、“生命の讃歌”“喜びの交響曲”を奏でゆくような楽しい対話を繰り広げていきましょう!
 サイフェルト博士ご一家のますますのご健勝とご活躍を、妻と共に心より祈っております。
 長い間、本当にありがとうございました。           (完)
2014-05-15 : 生命の光 母の歌 :
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生命の光 母の歌 第7章 三世に輝く幸福境涯を開け

第7章 三世に輝く幸福境涯を開け (2014.4.1/2/4付 聖教新聞)

サイフェルト博士
「死」は断絶ではありません。死の意味を問うのも「今世」をよりよく生きるためです
池田SGI会長
「生死即涅槃」です。わが身そのままで「生老病死」の苦を「常楽我浄」に転じるのです

サイフェルト 私は、最愛の人を亡くした悲しみをまだ完全に乗り越えてはいません。
 なぜ、そのようなことが起こらなくてはいけなかったのか、今もなお、その答えが見つかっていないのです。
 おそらくきっと、私がさらに成長するために、最も重要なことの一つだったのでしょう。仏教でいわれるところの、「執着を無くすこと」「いかなるものにも執着を持たない」ということを学ぶためなのかもしれませんね。たとえどんなに愛した人であっでも、その人を所有しなければならないと思ったり、所有したいと願ったりしないということを──。
 ひょっとしたら、主人にとっては、今生で学んだことを、今度は他の側からそれを高めていくための“定め”だったのかとも思います。
 人間は、「愛」と「所有」をはき違えてはならないと思います。私自身、主人の死を通して、そのことを学べたのかもしれません。
 しかし、それはあたかも粗い岩を根気よく磨いていくように、険しい道のりでもあったのです。

池田 今の博士の活躍を、ご主人もきっとほほ笑み、うなずかれているに違いありません。現実は、さまざまな苦悩の連続です。特に自身の大病や老い、あるいは愛する人との死別など、生老病死をめぐる苦悩や痛みは、地位や財産や名誉も一切関係ない。
 それを、いかに克服していくか。
 私はいつも、次の仏典の言葉を思い起こします。
 それは、法華経薬王品にある「一切の苦・一切の病痛を離れ、能く一切の生死の縛を解かしめたまう」(妙法蓮華経開結597㌻)という一節です。日蓮大聖人は、この「離《はなれ》の字をば明《あきらか》とよむなり」(御書773㌻)と読み替えられました。
 明らかに見る──つまり、生死といっても、宇宙そのものの変化相であり、仏の命の表れであると見るのです。
 一切の生の苦しみも、病や老いの苦しみも、そして死の苦しみも、偉大な生命を開く力にしていける。
 悠然と見下ろすような境涯を開いていける。
 それが「煩悩即菩提」そして「生死即涅槃」という、真実の人生に目覚めた生き方です。そのための信仰です。
 わが身そのままで、「生老病死」の苦を、「常楽我浄」という四徳に転じていく。
 すなわち、常に楽しく、自分自身を最高に輝かせて、この上なく清らかな生命を発揮して生きていくと言えばよいでしょうか。
        ♪
サイフェルト 感銘深いお話です。
 ここは特に強調したいところですが、私は、主人は“死んだのではない”“生きている”という実感を持っています。
 私たちは、橋を渡り、この生へたどり着きました。そして、また橋を渡って、彼は向こう側に到着したのです。
 私自身、身の上に何か起きても、お葬式は出してもらわないことにしています。その代わり、私の全ての友人に手紙を用意してあるのです。
 そこに“友人たちと一緒に過ごせた人生の時間に対して感謝の念を抱いている”こと、そして“私は死んで別の世界へ行った”となどを書き綴ってあるのです。
 死という断絶があるのではなく、新しい入り口への境目がある。そのことをまず学ぶべきなのですが、教えてもらえないのが常なのです。
 ただ学会の皆さまは、子どものころから、そうした考え方で教育を受けるチャンスに恵まれております。ヨーロッパ人としては、典型的とは言えないかもしれませんが、私にとっては当たり前のことなのです。
 私は超越的な考え方を持っていて、天からの助け、人間は何かに導かれるということを信じている人間です。
 人が人生で遭遇することは、全て、その体験をすることで成長、成熟するためのものであると確信しているのです。まだ人類が知らないこと、人智を超えることは、たくさんあると思います。

池田 おっしゃる通り、SGIのメンバーは仏法の法理を通して、永遠の生命観、生死観を学び、深め、信仰を貫いてきました。
 仏法が教えているのは、生老病死の厳粛な実相の上から、具体的にどう生きていくべきか。自他共に真に価値ある人生を生きていくにはどうしたらよいか──という点に集約されていくわけです。
 悔恨に満ちた苦渋の人生であるのか。それとも悔いなく今世の使命を果たしていく自身であるのか。
 生命の実相だけは、誰人もごまかせません。
 今の博士のお話を伺いながら、恩師の戸田城聖先生が、仏法の深遠な生命観を語られながら、一言、「死後の生命を見る機械が発明されたらおもしろいだろうな」と言われていたことを思い出していました。
 「大宇宙に溶け込んだ生命を見ることができれば、じつに悲鳴をあげているものもあれば、歓喜に満ちているものもいる。形もなければ、色もなければ、生命自身がもつ苦しさ楽しさのために耐えるのが、死後の生命なので、その空観というものがわからなければ、生命論の本質はわからない」と。
 ゆえに、今世で人間革命に励み、自分自身の幸福の軌道を確立することが大切です。
 その上で、私たちが唱える題目は、大宇宙に溶け込んだ生命にも届くのです。
 戸田先生は仏法の哲理を、人々に本当に分かりやすく語ってくださる方でした。
 同じことも恩師が話すと、皆の心にすっと入り、深い納得と確信、勇気を与えられたのです。
 あす2日は戸田先生の祥月命日です。恩師に導かれ、叱咤激励されて、恩師と共に戦い抜いてきました。私は、今も、戸田先生と共に生きています。心の中で、毎日、恩師と対話しています。それが、私の人生です。

サイフェルト これは私にとって一番印象深いところなのですが、オーストリアの劇作家ホフマンスタールの韻文劇『痴人と死』では、主人公の前にバイオリンの弾き手としての「死」が現れ、「わしは恐いものではない」「霊の偉大なる神がいまお前のまえに立っているのだ」(富士川英郎訳『フーゴー・フォン・ホーフマンスタール選集1』所収、河出書房新社)と語ります。お前の手を取り、他の世界へ連れていくのだ、と。この箇所が、死についての著述で一番素晴らしいものと思います。
 私自身は、目が見えない両親のもとで育ってきたことから、子どものころから自分の「過去世」というものを意識していて、罰を与えられて生まれてきているような感覚がありました。もちろん、両親を愛してはいましたが、同時に「助けて!」と心の中で叫んでいる自分がいました。
 その後、近年になってですが、自身の過去世の意味を深く捉え直す中で、今世をもっとよく生きるためであったと気づきました。

池田 博士は学生時代に哲学者としての道を進まれ、生死の探究を一貫して深めてこられましたね。
 少々、難しい論議になりますが、生命というものを深く考えるならば、仏法で説く、自身が過去世に積んできた「業」という問題に突き当たらざるを得ない。
 結論から言えば、真実の仏法は、万人がその「業苦」を抜本的に解決していける道を提示しているのです。

サイフェルト 人生の実像──それは現在、自分自身が生きている人生だけではなく、私の人間的成長の軌跡として、真珠の数珠のような、幾百の人生が連綿と連なっていく、本当にそのように感じています。
 カルマ(業)とは単なる言葉ではなく、生命の深い実感だと感じています。

池田 今、サイフェルト博士も仏法の「業」について触れられましたが、真実の仏法はあきらめや感傷の決定論や運命論ではありません。それを毅然と転換していく、必ず転換していける、希望の光源なのです。
 業に関連して、仏法の「九識論」という法理を簡略に紹介させていただきます。
 まず「九識」の中の「五識」ですが、眼・耳・鼻・舌・皮膚という五つの感覚器官で得られる感覚です。
 また、それらの感覚を統合し、認識したり、観念的な思考や夢などを司る心の働きを第六識(意識)とします。心に浮かぶものごとに対する認識です。
 仏法では、これら六識の底流に「末那識・阿頼耶識・阿摩羅識」という三つの心の働きを明かしております。
 第七の末那識の「末那」とは、「思い量る」という意味のサンスクリット語の音《おん》を写したものです。自身を守り維持する働きで、自我への執着を生み出します。
 第八の阿頼耶識は、「蔵識《ぞうしき》」と呼ばれ、ここに過去からの「業」すなわち善悪の全ての行いの影響が蓄積されているとされます。いわば「善の業のエネルギー」と「悪の業のエネルギー」が合わせて収まっているのです。
 仏教には「空観」という考え方があります。死んでも、生命は「空」の状態として厳然と続いていく。そのことを戸田先生は“宇宙に溶け込んでいる”と表現されました。
 そして、それぞれの境遇にふさわしい縁に巡りあって、個々の生命として、次の生を開始し、それぞれの過去の行いに応じて、苦しさ・楽しさを味わっていく。業のエネルギーが果報として現れ、現実の自身と環境をつくります。
 阿頼耶識に蓄積された業のエネルギーは、「暴流《ぼる》(暴れ川)」とも呼ばれます。
 日蓮仏法では、この阿頼耶識の悪の業の影響を受けない清らかで力強い働きを生命の中に見ます。これが第九の「阿摩羅識」です。生命の根本であり、清浄無垢《しょうじょうむく》であるので「根本清浄識」とも「九識心王真如」とも呼ばれます。
 阿摩羅とは「汚《けが》れがない」という意味です。金剛不壊の仏の生命です。
 真実の仏法の真実たるゆえんは、この「極善」ともいうべき第九識を涌現させ、輝かせていく方途を示して、業のエネルギーを全て価値創造の方向へ向かわせていけることを明かしている点にあります。

サイフェルト
 私は仏教の専門家ではありませんが、中には人生に否定的な立場を取り、人生の喜びを排除しようとするような立場に立っている宗派も多くあります。
 私が池田会長とその哲学から特に感銘を受ける点は、ポジティブなところです。
 「何もかも嫌で投げ出したい」「どこかへ身を隠し、まるで廃人のように波風の立だない生活を送りたい」
 そんなのが人生の目的であるはずがありません。
 人生の使命や他者への愛情をおろそかにしていいのでしょうか? 「人生は生きる価値のあるものである」と教えることこそが、他の人にポジティブな生き方を示すことではないでしょうか。
 そうです。人生は生きる価値があるのです!
        ♪
広布の人生こそ真の追善供養

池田 全く同感です。「生きること、それ自体」が人生の最大の目的です。そして「生きること、それ自体が楽しい」と言える境涯を築くことが、私たちの信仰の目的といぇるのです。
 また人生には、老衰や病気、あるいは事故や自殺など、さまざまな愛する人との死別の悲しみがあります。
 仏法では「追善回向」という法理を説いております。
 これは、亡くなった方に祈りを捧げるとともに、私たち自身の生き方を強く深く高めていくことです。
 真の回向は、「自身仏にならずしては父母をだにもすく(救)いがた(難)し」(御書1429㌻)とあるように、後に残った人々自身が、故人の遺志を受け継ぎ、わが胸中の仏の生命を輝かせて、生き抜いていく。前を見つめて、それぞれの立場で人々のため、社会のために貢献していく──その誓いと行動によって、自身の功徳善根を回向し、亡くなった方の生命がさらに妙法に照らされ、輝き、力を増していくのです。
 「功徳」は「聖霊《しょうりょう》の御身《おんみ》にあつまるべし」(同329㌻)との法理に則っています。
 ゆえに、残された方々の生き方こそが重要なのです。
 生ある限り、生きて生きて生き抜いていくことです。
 そのことが、亡くなられた方にとっても最高の喜びでありましょう。
 ここまで、ご主人の闘病の日々や、博士ご自身の貴重な体験の数々を語っていただく中で、ヨーロッパ科学芸術アカデミーのフェリックス・ウンガー博士との語らいを思い起こしました。
 世界的心臓外科医である博士は、手術中に意識を失った患者が、何日も昏睡状態を続けた後、意識回復は不可能だろうといわれながら、生還した例を何度も見てこられました。
 患者たちの中には、“肉体から離脱して輝く光に出あった”などの臨死体験を語っていた人もいたそうです。
 「死」そのものではありませんが、このように死を免れた人の体験は数多くあり、その事実そのものを否定することはできません。
 大切なことは、その体験が、その人の人生にどのような創造的な影響をもたらすかということでしょう。
 ウンガー博士は、「こうした臨死体験は、われわれが存在することの意味を指し示しているように思われます。つまり、私たちの存在の意味は、この光に包まれることであり、だれもが意識の深層でそれを求め、近づこうとしているのかもしれません」と語っておられました。

サイフェルト ウンガー博士はよく存じ上げています。
 アカデミーの本部があるザルツブルクで意義深い宗教開対話に取り組まれていますね。こうした専門家間の交流は、ぜひ推進してほしいと思います。お互いが本当に理解し合い、分かり合うためには、直接会い、それを継続していく必要があるからです。
 臨死体験の研究は、精神科医のキューブラー・ロス博士や、内科医のレイモンド・ムーディ氏らの業績が注目され、反響を呼びましたね。臨死から生還した患者が、医師が検死しているところを上から見下ろしていた、などという話があります。
 例えば学会でも、いろいろな方に、どんな経験や体験があったかを聞いていただくと、この分野の大きな手掛かりになるかもしれませんね。

サイフェルト博士
この一生をどう過ごし、何を行ってきたかを吟味する──死は「卒業試験」といえます
池田SGI会長
「死」の問題を解決するために宗教はある。永遠の生命を説いた仏法こそ希望の光明

サイフェルト 生死のテーマを考える時、池田会長のご意見をお伺いしたいことがあります。
 それは「尊厳死」にまつわることです。
 国家によっては、尊厳死がまるでサッカーのレッドカードのように、非常に危険で間違ったイメージとして植え付けられている場合があるように見受けられます。しかし、尊厳死は、生と密接に関連しており、「尊厳ある生」と同様に尊重されるべきものではないでしょうか。
 というのも、それによって、人々を死の不安から救うことができると思うからなのです。尊厳ある生と死の可能性としてお聞きしたいと思います。

池田 これも、多くの現代人が直面してきた難問題ですね。
 現実にはさまざまなケースがあり、画一的に論ずるのは難しい面もありますが、仏法では「積極的安楽死」には否定的な考え方をとります。人為的な死ではなく、自然死を待つという立場です。
 なぜなら、全ての人に仏性が内在しており、その顕現の可能性があります。その可能性を故意に断つことには、否定的にならざるを得ないからです。また積極的安楽死を認めてしまうことは、やがて、「生命軽視」の風潮へとつながりかねない面もあります。
 その上で、私も、「生も尊厳」「死も尊厳」というサイフェルト博士の言葉に、心から賛同します。
 「尊厳ある死」とは何か。それは、人間として、生きて生き抜いてきた人生の結果としての死を意味するのだと考えます。
 たとえ、死のきっかけが、突然の事故や不慮の災害だったとしても、どのような病気だったとしても、また仮に生きた歳月が短いようにみえても、それぞれの使命に生き抜いた尊い人生が迎える死には、無上の尊厳があると私は考えます。
 仏法においては、「悪象等は唯能く身を壊りて心を破ること能わず(不慮の事故や災難などによって命を落としても、信心で築いた生命の絶対的な幸福の軌道は破られない)」(御書7㌻)という生命観が説かれています。
 だからこそ、生ある間の生き方が問われるのだともいえます。それは、生前の名声や財産などとは別問題です。人それぞれに悔いのない、最高に価値ある人生を歩んだことこそが、その人の死を荘厳なものにすると思います。
        ♪
サイフェルト その点は同感できます。
 現在、痛みを和らげる緩和ケアやペインクリニックが急速に発展しています。今後も改良されていくでしょう。
 しかし、考えてもみてください。脳死の患者や、お気の毒な方々を。主人のラルフが闘病していた時も本当に苦しんでいて、“早く自分を解放してほしい”と叫んでいるようでした。
 ヨーロッパには積極的な慈悲殺(積極的安楽死)を奨励する機関が存在し、非常に慎重な取り組み方が望まれます。もちろん、介護はとてもお金のかかることですし、患者の意識の有無にもよるでしょう。
 私は基本的に、どのような状況であったとしても“自殺行為”には反対です。
 ただ自身の生命の処し方を決める決定権は、あくまでも本人の手に委ねられるべきだと思います。
 私個人の見解ですが、「リビングウィル(生前の遺書)」を各人が作っておくことをお勧めいたします。
 私も作成しましたが、たとえば私が脳出血に見舞われ。人工的にしか生命機能の維持ができなくなった場合、それに基づいて医療処置の方針を決めていただくものです。私もいつも携帯しておりますし、手術の前には医師から提出を要求されます。万が一に備えてというものです。
 長寿社会の実現により、一連の問題が生じてきています。ほんの少し前までは、60歳や70歳で直面していた問題を先延ばしにしているだけに過ぎないのでは、とも思います。そこには、本当に生きる価値がある人生とは、どのような人生なのかという疑問が常につきまといます。

池田 読者の中にも、サイフェルト博士と同じような考え方を持っている人も少なくないと思います。それほど、この問題は重い。
 私自身は、どんな状況でも、人間は最後の瞬間まで生き抜く姿勢を貫くべきではないかと考えます。そのように生きてこそ、「生まれてきて良かった」と心の底から思えるのではないでしょうか。
 ともあれ、死という問題に直面した時、当の本人とともに、その家族にとっても、人生の大きい試練となります。
 それを、どう乗り越えていくか──。
 アメリカの哲人エマソンは、妻や兄弟や息子を次々と亡くしました。その彼がこのように言っています。
 「(それらの死は)喪失以外の何ものでもないと思えても、いくらかあとになると、導き手、あるいは守り神の相貌を帯びてくる」「ふつうそれがわれわれの生き方に革命を起こし、(中略)品性の成長にとってもっと好都合な新しいものの形成を許すからだ」(酒本雅之訳『エマソン論文集(上)』岩波書店)と。
 最愛の人と死別する喪失の苦悩は否定しようがないものです。しかし同時に、大なり小なり、生死を超えた故人との一体感、また残された家族の悲しみの克服は、誰もが抱ける体験であり、実感ではないでしょうか。

サイフェルト 病気の主人と過ごした最後の数カ月を振り返ってみると、私たちがいかに精神的に深い日々を過ごしたことか。
 それは、まさにお互いが、一緒に同じ道を歩んだのだということがいえます。
 死は「卒業試験」だと思います。この一生で自分は本当に何を行ったのか、いかに人生を過ごしたのかを吟味する、ある意味、試験のようなものだと思います。
 もともと私は、いつもどちらかといえば、少し殻に籠っている人間でした。でも、自分自身が多少なりとも命の危険を伴うがんの手術を控えた時があり、病院の庭に降りてバラの花を眺めていた時、それは突如として以前とは全く違うものに見えたのです。
 こういう時、人は感謝し、より謙虚になり、人生のほんの小さなことにも喜びを見いだすようになるのですね。

池田 私の恩師・戸田先生がよく、「大病を患った人は深い人生の味をもっている」と言われていたことが思い起こされます。
 恩師自身、若き日に、大病で息女、夫人を相次いで亡くされ、ご自分も大病と闘われました。その悲しみ、苦しみを深き信念と慈愛に転じて、平和のため、苦しむ庶民のために、生涯、行動し抜かれたのです。
 今、東京では爛漫の桜の花が、柔らかな風に舞い、惜しまれながら散っていきます。しかし「去って去らず」です。桜花は、大地から得た命で咲き切り、その命を再び大地に返しているのです。大地はまた、新たな力を得て生命を育んでいくのです。
 「死は『卒業試験』」という比喩に照らすならば、確かな生命観・生死観を求めずに生きゆくことは、卒業後を考えずに学校生活を送るようなものといえるかもしれません。
 明治のキリスト者であった内村鑑三氏は語っています。
 「あの実に重要なる死の問題、──それはあらゆる問題中の問題である。死のあるところ、宗教はあらねばならぬ」(鈴木俊郎訳『代表的日本人』岩波書店、現代表記に改めた)と。
 私が19歳で恩師に出会い、信仰を始めるころに読んだ言葉です。
 真実の宗教は、医学や科学と相反しません。医学や科学の進歩と相侯って、ますます宗教の叡智は求められていくでしょう。知識や理性だけではどうすることもできない問題を解決するためにこそ、正しい宗教はあると、私は思ってきました。
 仏典には「百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、灯を入れれば明るくなる」(御書1403㌻、通解)とあります。
 いかなる人であれ、尊極の生命を秘めている。どんな状況であれ、その生命を輝かせていける法があります。
 その法とともに生き抜く人生は、生死の闇を照らし晴らしていけるのです。永遠の生命を明かした哲理にこそ、人々を確かな幸福の道へ導く希望の光明があるのではないでしょうか。
 その意味において、太陽が燦々と昇りゆくように、私たちが信仰している法華経の真髄たる妙法の大光が、世界中の人々に新しい幸福と勇気を送るのが、この21世紀であると、私は強く確信しております。
2014-04-05 : 生命の光 母の歌 :
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生命の光 母の歌 第6章 「生も歓喜」「死も歓喜」の旅路を

第6章 「生も歓喜」「死も歓喜」の旅路を (2014.3.5/6/7付 聖教新聞)

所願満足の人生を飾れ!

池田 ♪蛍の光 窓の雪 書《ふみ》読む月日 重ねつつ……
 この歌は「蛍の光」といって、ちょうど今の時期、日本の学校では卒業式が行われるのですが、そうした場でよく歌われてきたものです。
 これはもともとスコットランドで、詩人ロバート・バーンズの詩に合わせて歌われてきた民謡です。私が親交を重ねてきたグラスゴー大学のマンロー博士と、その原詩をめぐって語り合ったことがあります。
 「さらば握手を こころの友/さらば握手を まことの友」(岡地嶺訳)──。
 博士は「友人が集まると歌う歌です」と語っておられました。同席されていたフィリピン大学のアブエバ元総長もご一緒に、互いの友情と重なり合う詩歌を味わいました。
 日本で歌われる歌は、原詩から歌詞の表現自体は改まっていますが、麗しき友情に支えられた青春の門出という意味で、この季節に合った歌といえましょう。
 この時期は、私にとっても、創価学園や創価大学などで立派に成長した卒業生たちを送り出す季節です。新たな舞台へと清新な息吹で進みゆく若人に勝利あれ! 幸福あれ! 栄光あれ! と祈りつつ、見守っているのです。

サイフェルト
 そうでしたか! とても余情豊かなお話です。
 池田会長はいつも、生命のエネルギーというか、大きな心で青少年をはじめ人々を包み込まれていますね。とても素晴らしいと思います。
 創価教育の同窓生とも、例えば親を亡くされた時などは “負けてはいけない! 偉く、立派になるんだ! 朗らかにやっていきなさい”と励まされるなど、こまやかなやりとりをされていると伺いました。本当に素晴らしい激励の数々です。
 会長はいつも、「人生と生命にとって、最も大切なものは何か」を教えられています。それは一度触れた人の心に、生涯にわたって残りゆくものと思います。
        ♪
池田 恐縮です。私のことはともかくとして、特に苦悩する人に寄り添い、徹して励ましゆくことは、仏法で説く「抜苦与楽(苦を除き楽を与える)」です。日蓮大聖人が一貫して示されたものでした。
 7歳の時に父と死別した青年には、「他人は五十、六十になり親子で同じ白髪になる人もいるのに、自分は若い身で親と早く別れ、いろいろ教えてもらえなかったというあなたの御心中を推し量ると涙を抑えることができない」(御書1509㌻、通解)とも仰せになっています。
 この青年は、度重なる激励を胸に、大聖人を師と仰ぎ、父とも慕って、立派に後継者として正義を貫き、人々のため、そして社会の中で活躍していきます。
 大聖人はその姿を、「亡きお父さまも、どれほど草葉の陰で喜ばれているでしょうか」(同1508㌻、趣意)と励まされているのです。

サイフェルト とても共感できます。
 私たちはどんな時も、人を激励していくべきだと思います。たとえその時、自分自身が人を激励できるような状況にはなかったとしても──。それは私自身が持とうとしている姿勢でもあります。
 ところで、今、お話のあった「生死」ということは、私の人生における重要なテーマです。前にも触れましたが、私は幼少期から父の手を引いて(父の仕事場である)葬儀へと出掛けていました。死という現象と深く向き合っていました。「なぜ私たちは人生を生きるのか」「そこにはどんな目的があるのか」と問い始めていたのです。
 特に、年を重ねるごとに、私は、今日が、あるいは明日が、“人生最後の日”になるのでは、と思ってきました。ゆえに「不滅の何か」を求め続けているのです。

池田 博士が生死というテーマについて、若き日から思索を巡らせてこられたことは、この対談でも折に触れて語っていただきました。
 「生老病死」という流転は、誰人たりとも避けることのできない人生の現実です。
 ビクトル・ユゴーは喝破しました。「人間はみんな、いつ刑が執行されるかわからない、猶予づきの死刑囚なのだ」(斎藤正直訳『死刑囚最後の日』潮出版社)と。
 ただ“死の時”がいつであるかを知らないだけだというのです。この現実を逃れられる人は一人もいません。にもかかわらず、多くの人は、この根本の「生と死」という問題を避けて通ろうとする。
 大聖人は「先《まず》臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(御書1404㌻)と仰せです。
 死に臨めば、名声や財産なども関係ありません。悔いなく、所願満足の人生の総仕上げをいかに飾りゆくか。
 すなわち「いかに死ぬか」を見つめれば、「いかに生きるか」「何のために生きるのか」と、人はもっと深く、もっと真剣に生き方を考えていかざるを得ないはずです。
        
サイフェルト 本当にその通りですね。
 人生において、両親や兄弟、姉妹を亡くしたりすることも自然の摂理です。
 池田会長は、私が夫を亡くし、悲嘆に沈んだ時期にも、真心の言葉をかけてくださいました。
 「生命は永遠で、死は生命の一部です。ご主人は貴女《あなた》の心に生き続けるでしょう。前に進んでください。もっと強く、さらに強くなってください。貴女自身の生を全うするために、貴女は前に進んでいってください」と。
 ずっと覚えています。この過ぎ去りし14、5年間、まさに私はそうやって生きてきました。
 私の場合は、主人が亡くなることが分かっていましたので、心の準備をすることができました。しかし災害などで突然、近親者を亡くされ、深い悲しみを抱えた方々の気持ちは、本当のところ、経験した当人にしか分からないでしょう。
 慰めることなど本来は不可能であり、その人たちにして差し上げられることは、ただ抱きしめてあげることくらいでしょう。そして、悲しみに静かに寄り添ってあげることくらいです。

池田 おっしゃる通りですね。私は思うのです。今月11日で3年となる東日本大震災の時、あの未曽有の惨事にあって、創価の同志にも、自らが被災されたり、中にはご家族を亡くされながらも、他の被災された人たちに寄り添い、心から励まされ、支え続けた方々がおられました。ご自身もどれだけの葛藤と苦しみ、慟哭の日々があったことか。
 その中で、他の人々のために行動されてきた、この方々の振る舞いや一言一言は、多くの人々の強い心の支えとなったに違いありません。
 この方たちこそ菩薩です。仏です。最高に賞讃されるべき方々です。今日までの一日一日の尊い歩みに感謝は尽きません。
 仏法では「生命は永遠」と説きます。そして「法華経を持《たも》つ人は、同じ霊山に行き、会うことができる。亡くなった人もあなたも同じく法華経を信じられているので、必ず同じところに生まれてきますよ」(同1508㌻、趣意)と示されております。
 家族であっても、友人であっても、生きている間、ずっと一緒にいられるわけではありません。
 しかし、亡き家族、亡き友は、自身の胸の中に常にいる。生死を超えて一体である。
 そして、新しい生命で生まれてくることができる。同じ妙法を信じて、また身近に、一緒になっていける──そのように仏法は教えています。

サイフェルト 心から感動します。
 人は、死を文明から追いやろうとしているといえます。死の存在に気付いても、できれば自分の身には降りかかってほしくない。寿命が延びたことで、ますます、死から目を背ける状態が続いているのではないでしょうか。
 死に関して“何も知りたくない”という姿勢は、全く誤ったアプローチだと思います。死を理解することが、人生を、そして生命を、よりよく知ることにつながるからです。死というものを真摯に受け止めなければならないのです。

確かな生死観が「今」を輝かせる

サイフェルト博士
落ち込んでも頁をめくれば新しい章が始まる。人間の目は常に前を向いています
池田SGI会長
現実と向き合い、価値ある生き方を! 私たちの日々の信仰の目的もそこにある

池田 貴国オーストリア出身の哲学者イリイチ氏は、医学の進展が社会に及ぼした影響の一側面について、こう考察しています。
 「医師が人類と死のあいだにふみ込んだとき、死は四百年前にもっていた密接さや親しみを失っていた」(ロバート・フルトン編、斎藤武・若林一美訳「死と社会の変遷」、『デス・エデュケーション──死生観への挑戦──』所収、現代出版)と。
 この数百年で、死の捉え方が変容し、一面から見れば、、今や人間の病気も死も、医療システムの管理下にあるというのです。もちろん、医学を否定するものではありません。
 ただ、さまざまな病気を医学によって克服でき、寿命も大きく延ばせた半面、生死という問題を自分自身で直視することを避けてきた側面は否めないでしょう。
 ある仏典に、大切な人の死を、どうしても受け入れられない婦人の逸話が記されています。
 男の子を亡くした母親が、生き返る薬を探し歩いていた。悲嘆に暮れる彼女と出会った釈尊は「今まで死者を出したことのない家からケシをもらってくれば生き返らせることができる」と教えた。しかし、そんな家はどこにもなかった。そこで、この母は、死は世の定めであり、皆がその苦しみ、悲しみを乗り越えて生きていることを知ったのです。そして正しい人生の道を求め始めました。
 ともすれば、現代社会は、釈尊と出会う前のこの母親のような考え方が蔓延する社会になっているといえるかもしれません。
 サイフェルト博士が言われるように、確かな生死観を持ってこそ、今を大切に生きようと誓い、より一層、生も輝きを放ちます。自身の人生に大いなる意味を見いだすこともできるのではないでしょうか。

サイフェルト そう思います。ここにカードがあります。主人が亡くなった時、私の考えていたことが書かれていますので、ちょっと聞いていただけますか?
 いわゆる、主や神といった存在への願いの数々です。
 当時、私は、「どうか、生の要諦を理解するために、死の奥義について教えてください」と綴りました。さらに、「主よ、生と死の境界の壁を取り壊し、私たちが彼岸を感じ取ることができるようにしてください。主よ、私たちの死は終わりではなく、円熟なのだと」と。
 もう1枚あります。そこには、こんな死生観が記されています。
 「私は死んだのではありません。境界を破り、新しい岸へ辿り着いたのです。新しい肉体と魂をもって、新しい天と地で、新たに考え、感じていくのです。そこでは、私は、それ以前とは比べものにならないくらい貴方《あなた》たちの近くにいます」と。
 思えば、私がこうした超越的な考えを持つようになったのは、プラトンの(著書『国家』で用いられた)“洞窟の比喩”を知ってからでした。

池田 プラトンは、現実社会で生きる普通の人間を、洞窟の中に拘禁された囚人に例えていますね。
 身動きできない囚人は前方にしか目を向けることができず、後方からの光が洞窟に映す「物の影」のみ見ることができる。ゆえに囚人は「影」を実体そのものと思って錯覚する──。
 この“洞窟の比喩”は、他の識者の方々との語らいでも触れてきました。
 イラン出身の平和学者マジッド・テヘラニアン博士は、「この比喩でいう『拘禁』はすなわち『無知』を譬えたものです。『無知』から自身を解放してはじめて、人は『錯覚の鎖』を脱し、洞窟外の清浄な光を経験できるのです」等と語られていました。
 人類は、この無知の闇、なかんずく根本の生命への無知を、いかに克服していくか──。これが対談の一つの大きなテーマでありました。
 テヘラニアン博士は、生死観についても、一神教のイスラムと仏教では相違があるものの、「両者は深く通じ合うと私は確信しています」と言われていました。
 さらに、「人間は永遠なる自然の一部であることをあるがままに認識できれば、死の恐怖や欲望に結びつく種々の不安から自由になるのです」「そして、そのとき、人は、他者への奉仕に、よりよく献身できるのです。この献身のなかでは、他者の幸福が自身の幸福になるでしょう」とも強調されています。
 西洋と東洋の生死観については、前回、話題になったヨーロッパ統合の父クーデンホーフ=カレルギー伯爵とも語り合いました。伯爵が、西洋を代表する宗教であるキリスト教の生死観を取り上げ、次のように指摘されていたことが、深く心に残っています。
 ──ヨーロッパでは、人生は一冊の本のようなもので、全ページをめくり終わると死がある。
 これに対し、東洋の生死観に重大な影響を与えた仏教の考え方では、生と死は、いねば本の中の1ページであり、ページをめくれば次のページがあるように、常に生と死を繰り返すと考える──と論じられていました。
 さらに伯爵は「多くの教育あるヨーロッパ人は、それに近いものを信じている」と指摘し、仏教とも通ずる来世観である輪廻転生説を持っていたヨーロッパの偉大な哲学者として、ピタゴラスそしてプラトン等の名前を列挙されていました。
 その上で、「大部分のキリスト教徒は、人間は一度だけ生まれるのであって、二度と生まれることはない、と信じています」とも語っておられました。
 ともあれ、幾多の思想や宗教が「生死」という問題を探求してきました。これは人間の歴史における厳然たる事実といえましょう。
 それは、万人の希求でもあったわけです。
        ♪
サイフェルト 繰り返しになりますが、私は自身の生い立ちや両親との関わりによって、早い時期から死という現象に触れ、死の存在を理解するようになっていました。
 それは恐らく、私自身の内面においての理解であり、無意識的なものだったと思います。誰かに言われたり、教わったりしたことはありませんでした。
 しかし、何か他の次元の生命があって、「生」とは、それが、どう有形化するのかというところに帰着すると知っていたのです。
 そして、この考え方に再び巡り合ったのが、池田会長と初めてお会いした時だったのです。
 会長との対話は、まさに協和音を奏でるかのようでした。というのも、ヨーロッパではどちらかというと、「死」や「生死」といったテーマは、静観され、客観視されがちです。できることなら、触れずに思考から追いやってしまいたいという姿勢が主流なのです。

池田 よく覚えています。私は、法華経寿量品の「方便現涅槃(方便もて涅槃を現ず)」との一節を申し上げましたね。
 朝の目覚めから一日が始まり、日中、一生懸命に働く。夜になれば、疲れた体を休めるために睡眠を取る。そして生き生きとした次の日の目覚めがある──それと同じように、今世の尊き使命の人生を終えて、また新たな活力ある生命力を得るために「死」という“方便”の姿を示す。
 こうして「生」と「死」を繰り返しながら、生命は永遠に続いていく。しかも、個々の生命は、大宇宙の生命と律動しており、宇宙の大法則に則って、蘇生と希望のリズムを奏でていく──。
 このように仏法の法理は示しています。

サイフェルト オーストリアでは、昔からそうだったのですが、死は隠蔽するもの、という見方が中心的です。死期を迎えた人たちは、あまり人目につかない小部屋に移され、医師が患者の死を確認する。その瞬間は、人生のネガティブな時と見なされるのです。
 ここがとても大切な点だと思うのですが、死は生命の一部であって、若い世代の人たちに対しても、その点を肯定的な意味合いをもって、真摯に教え伝えるべきです。
 「死」を忘れた人は、「生」を充実させることも忘れます。我々はテレビを見に生まれてきたのでしょうか。人の悪口を言うために生まれてきたのでしょうか。戦争をするために生まれてきたのでしょうか。そんなことはないはずです。「死」を直視する人は、寸暇を惜しんで自分を磨き続けるはずです。

池田 大事な点てすね。私はかつて、アメリカのハーバード大学で「21世紀文明と大乗仏教」と題して講演しました。
 その論点として、近代社会は死の問題から目をそらし、生のプラスイメージに対して、死は悪であり無であり、不条理であり暗である等々、あまりにもマイナスイメージで捉えてきたことを指摘しました。
 しかし、「死を忘れた文明」は、必然的に真の生命の尊厳性を忘れさせ、物質的豊かさや富が全てであると暴走させて、人間の倫理観や道徳観を極端に弱めてしまった。20世紀が「メガ・デス(大量死)の世紀」となってしまったのは、そうした現代文明の延長線上の帰結といえるのではないでしょうか。
 何より、死の問題に真正面から取り組み、生命観、死生観を確立することこそ、21世紀の最大の課題です。
 前にも申し上げたように、仏法においては、死とは次の生への充電期間のようなものであり、決して「忌《い》むべき」ことではないと教えています。信仰の透徹したところ、「生も喜び」「死も喜び」であると説き明かしているのです。

サイフェルト よく分かります。もちろん、生死に関する知識や認識があったとしても、喪失感による心の痛みがあることに変わりはありません。これは自分自身が感じる痛みで、私たちは人間なのですから。
 でも、主人との別れを振り返ると、あのような経験ができたことに対して、神への感謝が湧いてきます。
 たとえ落ち込んでいる時でも肩を落とさず、「よし次だ」とページをめくれば新しい章が始まります。悲しむ必要はないのです。もちろん、どこにいても人は傷つくものですが、実際に人間の目というものは常に前を向いているのであって、決して後ろを向いてはいないのです。

池田 その通りです。
 「生命は永遠」であるがゆえに、希望を持って少しでも前へ、前へと進んでいく。亡きご主人も、その姿を喜び、見守られているに違いありません。何よりも博士は、天職である音楽を通して人々に生きる歓び、希望と勇気を贈り続けてこられました。
 ドイツの音楽家クララ・シユーマンが若き日に綴った言葉があります。
 少々長くなりますが、彼女はこう言っています。
 「芸術はやはりすばらしい天与です! 自分の感情に、音の衣《ころも》を着せるほどすばらしいことがあるでしょうか。悲しい時には、なんという慰めでしょう。また芸術によって、幾多の人に晴れやかな時をつくってやるということは、なんという楽しみ、なんというすばらしい考えでしょう! そしてまた、命をかけてもそういう芸術に身を捧げるということは、なんという崇高な感情でしょう!」(ハンス・W・ベール編、山口四郎訳「愛のデュエット」、『世界教養全集37』所収、平凡社)と。
 彼女は36歳で最愛の夫、大音楽家ロベルト・シューマンと死別しました。言い知れぬ悲しみと戦いながら、音楽や家族、次世代の育成に一身を捧げた生涯は、サイフェルト博士の姿とも重なる思いがします。

サイフェルト ありがとうございます。私にとって、主人が亡くなった時のことは、とてつもなくつらいものでした。彼は骨肉腫で亡くなりました。健康だったのが、たった5カ月もしないうちに死んでしまったのです。
 それは、私たちの結婚記念日である7月13日のことでした。主人の容体が急に悪くなり、急性腎不全で病院に搬送されたのですが、原因が分かりませんでした。
 一気に20歳も老け込んでいく彼を、ただ見ているしかありませんでした。
 でも私には、魂が不滅であることへの絶対的な確信がありました。いつも主人と確認し合ってきたことは、わが国の女性詩人バッハマンの“真実をしっかりと見据えていこう!”との言葉でした。
 ところで、覚悟をするために準備の機会を与えるという意味で、相手には、きちんと病名や病状を告知し、真実を伝えるべきではないでしょうか。自分に残された時間が一体どのくらいかが分かれば、その時間は愛に包まれながら準備をすることができる大きなチャンスだと思うのです。

池田 大事な問題提起です。お話のあった告知の問題は、人それぞれ、状況の違いもあるでしょう。
 告知するかどうかは当事者で決めるほかありませんが、告知されても、それを受け止めるのが難しい場合があるとも聞きます。
 医師や看護師、また家族など周囲による聡明で忍耐強い関わりも必要でしょう。
 大切なのは、おっしゃるように、互いに支え、支えられながら、いかに病気と向き合い、その現実に立ち向かいつつ、価値ある生を生きていくかではないでしょうか。
 私も、病と闘い、反対に周囲の人々を励まし、清々しい感動と勇気を与えながら亡くなられた多くの方々の姿を知っております。
 悔いなく生き切り、死に臨んで恐れないという不動の確信を持つ──それは、なんと偉大な人生でしょうか。私たちの日々の信仰の目的も、そこにあるわけです。
        ♪
サイフェルト おっしゃる意味は分かる気がします。
 あの時、主人に私の気持ちを伝えるため、ベッドのサイドテーブルに蝶を模したカードを置きました。そこに「毛虫が蝶になるように、人間も解放されるのだ、飛び立て! この困難から飛び立て!」と書き記したのです。執着を断ち切ることの大切さを込めました。
 私自身、今もよく考えることなのですが、私にも、いつか執着を断ち切り、自分を解放しなければならない日が来るのだろうと思っています。この問題は本当に重要なことだと思いますし、私にとって生まれた時からの最大の関心事なのです。

池田 今、蝶の飛翔の例えがありました。蝶は抜け殻を残して大空を自在に羽ばたいていきます。
 ご主人は博士の深い愛情に包まれながら、安祥として次の生へ飛翔していかれたと私は確信します。
 私も仏法者として、ご主人の追善回向をさせていただいております。
 博士ご夫妻と最初にお会いしたときにも、語らいのテーマは文化へ、そして自然のうちに、人生や生死へと向かいましたね。あの夏の夕暮れに語り合った時のご夫妻の仲睦まじい様子を一幅の名画のように思い出します。
 「生死」については、いくら客観的、理論的に認識しても、それだけでは、根本的な解決にはなりません。真の幸福とは、その人自身の生命の次元において、深く確かに感じ取っていくものではないでしょうか。
2014-03-09 : 生命の光 母の歌 :
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生命の光 母の歌 第5章 「戦争の100年」から「平和の100年」へ

第5章 「戦争の100年」から「平和の100年」へ  (2014.2.5/6/11/12/13付 聖教新聞)

池田 「平和の時代は人間の創造であり、政治的平衡の上に築かれた芸術作品である」(深津栄一訳「戦争から平和へ」、『クーデンホーフ・カレルギー全集6』所収、鹿島研究所出版会)
 パン・ヨーロッパ主義を提唱した貴国オーストリアのリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の言葉です。
 戦争に明け暮れてきた人類史の現実を鋭く直視しながら、それでもなお平和の創造へ不屈の挑戦を続けられた信念の闘士でした。
 伯爵とは1967年の来日の時に初めてお会いし、さらに3年後、再びの来日の折に4度、のべ10時間の対話を重ねて『文明・西と東』と題する対談集を発刊しました。これが、私にとって世界の知性との最初の対談集です。
 伯爵は「平和というものは、民衆が平和な心を持つとき初めて達成される」(鹿島平和研究所・鹿島守之助編訳『同全集8』同)とも語られ、特に女性が平和の担い手として一大勢力を成すことを希望されていました。

サイフェルト リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵は、大変有名です。EU(ヨーロッパ連合)の先達であり、その理念の先駆者ですね。
 姪のバーバラさんも有名で、ジャーナリストをされています。とても素晴らしい人格者で、頭脳明晰な方です。

池田 よく存じ上げています。伯爵の甥であるミヒャエルさんは画家として活躍され、私どもの東京富士美術館も交流を結んでおります。
 伯爵の悲願というべきEUは、前身のEC(ヨーロッパ共同体)から発展する形で、1993年に発足しました。
 昨年7月にクロアチアが加盟して28カ国の連帯となり、国際社会で大きな存在感を示しています。経済面など課題はありますが、これまで幾多の争いに苦しんできた多様な民族や国々がこうして連合体を形成していること自体、平和への大いなる希望といえましょう。
 ところで当初、学術者の道を歩もうとされていた伯爵が「パン・ヨーロッパ運動」に立ち上がる契機となったのは、100年前の第1次世界大戦でした。オーストリアによるセルビアへの宣戦布告(1914年7月28日)が、その端緒となりました。〈※注1〉

サイフェルト ええ。戦争のきっかけとなったのは1914年6月28日、サラエボにおけるオーストリア皇太子の暗殺(サラエボ事件)です。

池田 そこから、オーストリアとセルビアの戦争へと発展しました。
 さらに、セルビアを支持するロシアの参戦、オーストリアと同盟するドイツによるロシア、フランスへの宣戦、イギリスとドイツの開戦と、瞬く間に全ヨーロッパが戦場と化しました。

サイフェルト
 私は歴史家ではありませんので、あくまで個人の見解として聞いていただきたいのですが、第1次世界大戦を引き起こしたことは、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の時代における、最大の汚点だと思うのです。
 すでに歴史の遺物となった古い原則(帝国の維持)に固執し、新時代への要求(諸民族の自治や権利獲得の要求)には盲目だったと言えます。
 (オーストリア皇室の直系である)オットー・フォン・ハプスブルクは、数十年にわたりハプスブルク家の当主として、第2次大戦後、パン・ヨーロッパ連合のために尽力されました。
 欧州議会の議員として、連合の成立過程において数々の講演も行いました。彼の視点から見れば、すでに19世紀の末には、統合された欧州の形である今日のヨーロッパ連合の基礎を築いておくべきだったのです。時は熟していたかのように見えましたが、その時代の人間は、まだそこまで到達していなかったのです。

池田 クーデンホーフ=カレルギー伯爵が「平和はすなわち調和です」と強調されていたことが思い出されます。伯爵は、一つ一つの国や民族同士の不調和、不平等がやがて大破局へとつながった第1次大戦、その戦後処理をめぐる対立が火種となった第2次大戦の教訓を鋭く見つめていました。“政治的現実に盲目な平和主義運動は戦争の危険を増す”と、あくまで現実的な平和構築を追求されたのです。
 欧州の連帯を実現した、第2次大戦後のパン・ヨーロッパ運動にあって、伯爵は当時、軍事・経済的勢力を強めていたソ連とアメリカに対し、ヨーロッパが連邦という一大勢力となり、両者を結ぶかけ橋となってこそ、新たな世界大戦を防ぐことができるとの大局観、平和への強い信念に立脚していました。なお、運動に「全て」を意味する「パン(汎)」と冠したのは、中央集権的な連邦ではなく、主権国家同士の共同体を築いていくという意味からでした。「調和による平和」の追求であったといえましょう。

サイフェルト 何はさておき、全ては平和に尽きます。是が非でも平和を守っていく──これが一番大切です。
 いろいろな政治的状況の中で、私自身、賛同できないことも多々あります。その最たるものが、諸外国で再び右傾化か見られることです。ファナティシズム(狂信)という辺境にあるもの全て、それが右派だろうが左派だろうが、到底、容認できるものではありません。
 だからこそ今日、EUが存在することは本当にありがたいと思いますし、それは私にとって、いまだに“小さな奇跡”としか言いようがありません。
 ここで私は、オーストリアで最も賢明な人物の一人である、エアハルト・ブゼク元副首相の言葉を紹介したいと思います。“さあ、今こそEUだ! 条件や異論を唱えず、EUを応援しよう!”と。
 たとえ経済的にいかなる困難に遭遇しようとも、私たちはEUをしっかり支えていかなければなりません。もちろん、そこには、構造上の改善や整備をしなければならない問題が山積していることは明白です。なぜなら、まだ端緒が開かれたばかりなのですから。

池田 その通りです。大切なのは、EUのような貴重な連帯が築かれてきた原点を忘れないことでありましょう。
 クーデンホーフ=カレルギー伯爵は語っておられました。「戦争というものは、すべて残虐そのものです。この人間の残虐性を根絶するためには、まずなによりも、戦争を防止しなければなりません」と。
 まさにこの「戦争とは残虐そのものである」という痛切な思いこそが、断じて忘れられてはならない原点です。そして、世代から世代へ語り継がれるべき最重要のメッセージでありましょう。

池田 サイフェルト博士は、ご両親が2度の大戦を生き抜かれ、住む家を爆撃で壊されたと伺っております。ご両親から、戦争の悲惨さについて、さまざまな思いを聞いてこられたのではないでしょうか。

サイフェルト 私の母は、第1次世界大戦中、ドイツを襲った飢餓状況のもと、大家族の中で、私の父よりもはるかにつらい思いをさせられたそうです。母方の祖父は戦時公債を引き受けており、それで財産を築けると信じていたそうですが、結局、一切を失ってしまいました。
 第2次大戦の当時、1943年に母は父と結婚した後、父が声楽の教授やコンサートの声楽家をしていたウィーンに移り住みました。かなり広いフラット(集合住宅内の住居)に住んでいましたが、実に戦争終結の14日前の空襲で破壊され、半分くらいになってしまいました。
 しかし、幸いにも父が授業で使っていた音楽部屋は辛うじて残りました。私は幼児期を全てこの部屋で過ごしました。音楽を“母乳とともに”吸収することができたわけなのです。
 当時はあらゆる面において、不自由を強いられていたそうです。経済的に困窮している時代でしたし、物資も不足していました。お金も食糧も乏しく、両親にとっては非常に苦しい時期でした。
 母は「あの頃が、私の人生で一番大変な時期だった」と、いつも話しておりました。母の3人のきょうだいも戦死したのです。
 池田会長のご家族も、戦争中、つらい経験をされたと思います。
        ♪
池田 お母さまのご苦労が偲ばれます。
 わが家も、第2次大戦中に強制疎開で壊され、新しい家も焼夷弾で全焼しました。
 私自身、爆弾が雨のように降る中を逃げたことも、炎上する家から必死に荷物を運び出したこともあります。
 4人の兄は次々と戦地に取られ、後には年老いた父母と、まだ幼い弟妹ばかりが残されました。
 一家を担う責任は五男の私の肩にかかっていましたが、小さい頃から病弱で、戦争による食糧事情の悪化と過労もあり、肺病を患いました。
 やがて終戦となり、出征していた兄たちは一人また一人と戦地から戻ってきましたが、2年近く経って、ずっと消息がつかめなかった長兄の戦死の報が届きました。最も頼りにしていた長兄でした。その時の両親、とりわけ母の悲しみの姿は、胸に焼き付いて離れません。
 戦争は、あまりにも残酷です。私は絶対に反対です。

サイフェルト そうでしたか……。一人でも戦争によって亡くなる人がいたら、それは本当に残念なことです。
 実は私の祖母も、大変な目に遭っているのです。東ドイツで飢餓に苦しみ、本当にかわいそうなことに、末の息子と夫を失いました。
 その祖母の夫は、わが子を死の床で看取り、同時刻に亡くなったそうです。これは、私の中では、到底、受け入れられるものではありません。
 平和という一点において、私は創価学会と池田会長に賛同します。人間は互いを理解するために歩み寄ることが最も大切です。つまり、他人を知ることなく、軽んじることによって、戦争は起こるのだと思うからです。

池田 全く同感です。戦争は人間を人間と思わせなくしてしまいます。
 私はこれまで、折に触れて、民族やイデオロギー、宗教などの枠に当てはめて、人間を「抽象化」し、他者に「敵」というレッテルを貼って排斥していく危険性を指摘してきました。ファシズムやスターリニズムによる災禍は、その最たるものです。
 そうした事実の上から、「20世紀の精神の教訓」をめぐって対話を重ねたのが、ゴルバチョフ元ソ連大統領です。
 元大統領は語っておられました。「私たちが、戦争で生き残った『戦争の子ども』であるという一点を見逃すと、私たちの世代の人生も、行動も、理解することは不可能でしょう」と。「戦争の子ども」という一言には、私たちの世代に共通する体験や苦悩、辛酸、そして平和への強い願いが凝縮されています。
 サイフェルト博士もまた、「戦争の子ども」の一人として、ご家族の悲惨な体験を原点に、平和への行動を貫いてこられましたね。

サイフェルト その通りです。こうした戦争の傷は、親から子へと継承されていくものなのです。
 私の両親はナチスから迫害を受けていました。そしてそれは、主に母のほうでした。というのも、前章でも少し申し上げましたが、母が盲目なのは、遺伝性のものだと非難されたからです。
 より詳しくお話ししますと、母を告発したのは、かかりつけの眼科医でした。その医師は、母が遺伝性疾病であると疑い、不妊手術の請求を裁判所に申し立てたのです。
 当時、母は、まだ父と知り合っていませんでした。しかし当然、彼女は子どもを産みたいと願っていました。法廷での戦いは困難を極めましたが、一人の医師の支援を得て勝つことができました。ナチスは、それほど人間を軽視した政権だったのです。

池田 恐るべき魔性です。
 「反ユダヤ主義の毒を少しずつ服用させられていたおかけで、ヒトラーという致死性薬物にまで免疫になっていた」(ルーシー・S・ダビドビッチ著、大谷堅志郎訳「ユダヤ人はなぜ殺されたか 第1部」サイマル出版)という痛恨の回想があります。
 ナチスによる迫害は、ユダヤ人のみならず、障がい者、少数民族などマイノリティー(少数派)の人々にも及びました。
 まさに“同じ人間を人間と見ることのできない”毒に侵された狂気の悪行です。

サイフェルト 私は、あの時代に、現実に起こったことを確かめるために、ポーランドのトレブリンカ強制収容所を見学したことがあります。
 ガス室の中にも入り、扉を閉めてみました。どんな気持ちになるのか、体験してみたかったからです。
 一番すさまじかったのが、そこに収容された人々のひっかき傷や爪痕が無数に壁に残っていたことです。本当に惨いことです。広島にも平和記念資料館があるように、若い世代にそれを見せていかなければいけないと思います。
 私は“この人たちの死を無駄にしてはならない”と、常に肝に銘じています。彼らの生命は、どこかにまだ存在しているのです。“自分はその時に、そこにいたわけではない”と、責任から逃避することはできないと思うのです。
 自分の目で見ることが大切です。目をそらしてはなりません。人間が人間にしたことが、どんなに恐ろしい行為だったかを──。
        ♪
池田 私たちSGIも、その断固たる決意で、核兵器の脅威やホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の現実を取り上げた展示会を世界の各地で開催し、二度とこのような残虐な行為を起こさせてはならないと訴え続けてきました。戦争体験集の発刊にも取り組んできました。
 1993年、アメリカ・ロサンゼルスの地で、ホロコーストの歴史を永遠に留めゆく、サイモン・ウィーゼンタール・センターの「寛容の博物館」を訪問した際にも、私は申し上げました。
 「(『人権の城』であり『人道の砦』である)貴博物館を見学し、私は『感動』いたしました。いな、それ以上に、非道の歴史に『激怒』しました。いな、それ以上に、未来への深い『決意』をいたしました」──と。
 その思いは今も変わりません。ともどもに平和への決意を、次代の青年に伝えていきたい。その胸奥に歴史の教訓を厳然と刻みつけてもらいたいと願っています。

注1 第1次大戦に至るオーストリアの状況
 大戦のそもそもの発端は、半世紀ほど前にさかのぼる。
 1867年、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世がハンガリーにのみ自治を認め、オーストリア・ハンガリー帝国という二重帝国が成立。「アウスグライヒ(和協)」と呼ばれる協定によって、ハンガリー王国のマジャール人に独立した国家の地位が与えられた。
 この協力によって他の民族を抑え込み、帝国の支配構造を維持しようとしたが、結果として、取り残されたスラブ系その他の諸民族の失望と不満は一層拡大した(当時の帝国は、チェコ、ポーランド、ルーマニア、クロアチアなどにまたがる大国であった)。そして、“セルビア人民族主義者によるオーストリア皇太子夫妻の暗殺”という事件が起こるのである。
 サラエボ事件の2年後、フランツ・ヨーゼフ1世が崩御。その弟であるカール・ルートヴィヒ大公の孫に当たるカール1世が後継者と定められるが、1918年、オーストリア・ハンガリー帝国は崩壊。カール1世は家族と共に亡命する。彼の息子がオットー・フォン・ハプスブルク(1912年11月20日生まれ、2011年7月4日没)である。

戦火なき世界へ! 英知と良心を結集せよ

サイフェルト
 前回、ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)が話題となりましたが、私はイスラエルに、とても魅力的で素敵な友人がいます。実は彼女は、池田会長の著作の熱烈な愛読者なんです。
 彼女は、チェコスロバキア(当時)のブラチスラバで生まれました。父親は繊維会社を経営していました。両親共にユダヤ人ですが、現地のカトリック教会に通っていました。一家は第2次世界大戦の渦中、ナチス・ドイツによる危険にさらされていました。

池田 イスラエルは、民音が世界各国の中で最初に交流を結んだ国でもあります(1965年)。
 サイフェルト博士は文化交流でよく足を運んでおられるそうですね。ますますお元気な活躍がうれしいです。
 ご友人の出身地のブラチスラバは、現在のスロバキア共和国の首都ですね。
 かつて、その麗しい都にもヒトラーは魔手を伸ばし、傀儡国家をつくりました。
 第2次世界大戦中、ナチス支配下のスロバキア政府は次々と政令を出して、ユダヤ人から職を奪っていきます。
 与党人民党の「突撃隊」によるユダヤ人排斥の暴力も激化し、やがてナチス支配下の他地域と同様に、ユダヤ人の強制移送が始まります。スロバキアからも、何万という人々がアウシュビッツなどの収容所へと連行されていきました。現地に残ることができたのは、地下に身を隠すことなどが可能な、わずか数千人だったそうですね。

サイフェルト ええ。私の友人の父親は、ある友人に全財産を渡し、家族を守ってもらえるようお願いしましたが、その友人はお金を持ち逃げし、彼女たちを置き去りにしました。
 たまたま、見ず知らずの農家に数カ月間、かくまってもらうことができたそうですが、本当にひどい話です。
 ナチス政権が崩壊した後、彼女の父親も解放され、会社を再建しましたが、今度は共産党が台頭し、再び勾留されてしまいました。
 その後、一家はイスラエルへ渡ります。彼女はまだ8歳だったそうです。
 彼女とは5年前、ウィーンで、彼女のいとこを介して知り合いました。これがきっかけで、私はホロコーストの問題と向き合うようになったのです。

池田 平和と軍縮を目指す科学者の連帯「パグウォッシュ会議」を創設した一人であり、生涯、核兵器廃絶のために行動し続けたジョセフ・ロートブラット博士も、最愛の夫人がホロコーストの犠牲になりました。素晴らしい夫人を偲ばれながら、当時のことを語ってくださいました。
 1939年、核物理学の研究のため、祖国ポーランドからイギリスのリバプール大学へ留学していた博士は、ワルシャワに留まっていた夫人を呼び寄せようと、8月に一時帰国しました。
 ところが、夫人が急病にかかったので、いったん単身でイギリスに戻ります。ナチス・ドイツがポーランドに侵攻したのは、その2日後でした。
 博士は八方手を尽くします。しばらくの間、“妻はビザを持っているはずだから、何とかイタリアにたどり着けたのではないか。そこからなら、ポーランドよりも容易に出国できるだろう”という希望に、すがりつくようにして生活していたといいます。
 しかし、待てど暮らせど、何の知らせも来ません。ずっと後になって、博士は1通の手紙を受け取りました。その手紙は、ワルシャワから送られていました。夫人は国境で引き戻されていたのです。
 博士は言われました。
 「1940年の末に、彼女から、もう1通の手紙がきました。そして沈黙が、永久に続きました──」と。

サイフェルト ロートブラッド博士と同じような悲劇を、私も知っています。
 イスラエルの友人のいとこが、まだ少女だったころの話です。彼女の母親はナチスから逃れるため、翌日にブラチスラバを出立する予定でした。その準備をしていた矢先、ナチスが踏み込んできたのです。母親はアウシュビッツ強制収容所に移送され、そのまま帰らぬ人になってしまいました。
 何と、むごいことでしょう。たった一夜違いだったのですよ。小さな子が本当に哀れです。母親が殺されるなんて……。あまりにも残虐な仕打ちを、人が人に対して犯したのです。「なぜ?」「何のために?」と、問わずにはいられません。これは今でも強く印象に残っており、深く考えさせられる事実です。

池田 そうした極限状況がどうしてつくられてしまったのか。なぜ回避することができなかったのか──。
 この悲惨な歴史について、ドイツの哲学者ヨーゼフ・デルボラフ博士と語り合いました。博士は、ドイツが当時、世界で最も民主的とされた憲法下のワイマール体制からナチス体制へと移行してしまった背景として、四つの要因を挙げられました。
 「ベルサイユ条約でドイツに課せられたにがい犠牲と屈辱」
 「ドイツとオーストリア両帝国の崩壊後も存続していた旧来の領主制の反民主主義的伝統」
 「ドイツのワイマール共和制とオーストリアのウィーン体制という民主主義政体の明らかな構造的欠陥」
 「最悪の時期でオーストリアの全人口に相当する600万人もの失業者を出したワイマール共和国の、1920年代後半における構造的経済危機」と。

サイフェルト
 残念ながら、当時のオーストリアで、反発や抵抗が余りにも少なかったことも、深刻な失業問題と関連していました。飢餓に苦しみ、路頭に迷っていた人々のもとに、ヒトラーが現れ、雇用の創出を約束していったのです。たしかにドイツでは、ナチス政権初期の経済繁栄で人々が職を得ているという状況があったのです。しかし、それは新しく始める世界大戦のため、軍備を拡張する目的のためだったということに気づく人はいませんでした。
 もちろん、詳細は専門の文献を精査する必要があるかとは思いますが、大勢の人々がドイツ帝国への併合とほぼ同時期に弾圧され、収容所に送り込まれていったのです。
 この事実は、ナチスが何年にもわたって、オーストリアを併合するべく、事前に周到な準備を行っていたことを如実に物語っています。

池田 真摯に歴史の事実を見つめなければ、より良き未来を開くことはできません。
 言うなれば、20世紀は「戦争の100年」でした。これを断じて転換し、21世紀を「平和の100年」とするために、人類は英知と良心を結集しなければならない。その深き自覚と行動が、何よりも求められています。

サイフェルト博士
悪には直ちに正義の声を! 後から「ああすべきだった」と非難するのは簡単です
池田SGI会長
若き友よ「史実」から学べ! 仏典「未来のかを知らんと欲せば其の現在の因を見よ」

池田 第1次世界大戦前、反ユダヤ主義の風潮の中で、ウィーンの多くのユダヤ系芸術家が苦しめられた歴史があります。
 大音楽家マーラーも、その一人でした。
 ユダヤ系作曲家のメンデルスゾーンが、ある演奏会でののしられた時、自分に何の関わりがあるのかと平然としていたというベルリンの音楽家に対して、マーラーは「もちろん大ありだ! だれもかれもが、そんなことは自分に関係ないと言ってすましている」「世の中のことはすべて、私となんらかのかかわりがあるものだ」と言って、叱りつけたというのです。〈酒田健一訳、桜井健二著『マーラーとヒトラー 生の歌 死の歌』二見書房〉
 私どもの創価の父・牧口初代会長は語っていました。
 「よいことをしないのは悪いことをするのと、その結果において同じである」
 「事件が起きることが予想されるのに、いうべきことをいわないで、後に後悔する卑怯者になってはいけない」と。
 悪を断じて見過ごさない。何ものも恐れず、師子王の心で正義を叫びきっていく。牧口会長自身が、その通りの実践を貫きました。

サイフェルト 牧口会長、戸田会長も軍部政府と対峙し、投獄されていますが、レジスタンス(抵抗運動)の闘士の勇気には感嘆せざるを得ません。なぜなら、自分には生き残れるチャンスがないということを覚悟の上で、ナチスと戦っていたのですから。
 私はレジスタンスの闘士について、いろいろと調査しました。当時、各地にナチスに抵抗した方々がいました。
 ドイツの神学者で、獄中で命を落としたディートリヒ・ボンヘッファーもそうです。彼はポーランド出身の女性革命家ローザ・ルクセンブルクらとともに、前に取り上げた平和の先覚者ベルタ・フォン・ズットナーの後継者ともいうべきでしょう。
 オーストリアに抵抗運動をした方々がいたことも忘れてはなりません。レジスタンスに参加した人たちのリストは、とても長いものになります。そして、そのほとんどの人たちが、自らの命と引き換えに運動を繰り広げていったのです。

池田 ボンヘッファーは、マハトマ・ガンジーとも書簡を通じて交流があり、ガンジーの道場に行く希望もあったようですね。直接会うことはできないまま、ナチスへの抵抗運動に殉じています。39歳の若さでした。
 欧州SGIの草創期を築いた友が語っていました。
 「欧州の真正の文化人は、『信念の深さ』が違います。ナチスと戦ってきました。命をかけて戦う文化人なのです。だから、社会における重みも違うのです」と。
 私か深い親交を結んだ多くの方々も敢然とファシズムと対峙し、戦い抜いてこられた「真正の文化人」でした。
 美術史家のルネ・ユイグ氏は、フランス・ルーブル美術館所蔵の人類の至宝をナチスから命懸けで守りました。
 歴史家のアーノルド・トインビー博士しかり、ローマクラブ創始者のアウレリオ・ペッチェイ博士しかり。
 フランスの作家アンドレ・マルロー氏も、そうでした。
 「人間の尊厳」とは──氏は私に、自身の小説の中の、ファシストとその人物から拷問を受ける農民革命家の言葉を使って、こう語られました。
 「人間的尊厳とはなにか」
 「そんなこと、知るものか! わかっているのは、屈辱とはなにか、このことだけだ!」(対談集『人間革命と人間の条件』)
 ナチス支配下のフランスにあって、レジスタンス闘争を戦い抜いた氏ならではの叫びであると思います。

サイフェルト
 そうしたレジスタンスの中で、ヒトラーを打倒する計画が頓挫したことがありましたが、その時、私の母は持ち前の純真さで、お隣りの夫人に言ったそうです。「なんてことでしょう、あれがうまくいかなかったなんて! 首尾よくいけば、世界が救われたかもしれないのに」と。
 隣人は慌てて、「そんなことを言って、誰かに見られたり聞かれたりしたら、私はあなたを告発しなければいけないのよ」と語ったそうです。当時はそんなありさまで、何も言えない状況だったのです。
 ちなみに戦前の時代に、祖母が次のように語っていたと、母から聞いたことがあります。
 “行間を読み取らなければなりませんよ。ヒトラーは戦争を望んでいるのだということを!”と。祖母は、早くから戦争の危機を感じ取っていたというのです。

池田 賢い庶民は、悪の本質を鋭く見抜いているものです。
 中国戦線に行った長兄が、一時帰国した際、私に語っていました。「日本軍は残虐だ。あれでは、中国人がかわいそうだ。日本はいい気になっている! 平和に暮らしていた人たちの生活を脅かす権利なんて、誰にもありはしないはずだ。こんなことは絶対にやめるべきだ」
 そして涙を浮かべながら、こう言ったのです。
 「大作、戦争は、決して美談なんかじゃない。結局、人間が人間を殺す行為でしかない。そんなことが許されるものか。皆、同じ人間じゃないか」
 戦地を見てきた長兄の言葉は今も、私の胸奥に焼き付いています。
 かつて、軍国主義の時代に、日本がアジアの国々を蹂躙した歴史は、日本人が断じて忘れてはならないことです。
 有名な仏典に「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231㌻)とあります。
 過去は現在、現在は未来とつながっています。
 過去を拒絶する人は、過去の過ちを乗り越え、未来に生かす方途を知ることもできないでしょう。
 ドイツのヴァイツゼッカー元大統領が叫ばれた、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」(永井清彦訳『荒れ野の40年──ヴァイツゼッカー大統領演説全文』岩波ブックレット)との言葉を深く心に刻んでいかねばなりません。

サイフェルト おっしゃる通りです。後になって当時の世代について、“あの時、彼らは、ああすべきだったのに……”云々と非難するのは、たやすいことです。しかし、もっと公平に見た場合には、“私たちは二度とあの過ちを繰り返さない!”と過去から学ぶべきなのです。
 そして、悪への抵抗や反発は、そうした兆しに気づいた段階で、早いうちに、速やかに戦わなければなりません。
 「いや、それは間違っている!」と、直ちに勇気をもって、反対の声を上げなければならないのです。

理想は高く 連帯は強く 人間愛と正義の勝利を

池田 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争はまだ、つづいていた。愚かな指導者たちに、率いられた国民もまた、まことに哀れである」
 私は小説『人間革命』を、この一節から書き起こしました。
 執筆開始は1964年(昭和39年)12月2日。着手する場所は沖縄と決めていました。というのは、第2次世界大戦中、日本で最も凄惨な地上戦が行われたのが沖縄であったからです。
 書き始めた時、すでに終戦から20年近く経っていましたが、沖縄はアメリカの施政権下にあり、その意味で戦争は“いまだ終わっていない”現実があったのです。
 小説は、45年7月の東京を舞台に始まります。敗戦前後の日本は、悲惨に満ち満ちていました。特に、多くの民衆は、やっと戦争が終わったという思い以上に、虚脱感と不安に苛まれていました。深刻な食糧不足で、ちまたは修羅の様相を呈していました。

サイフェルト
 第2次大戦後、ウィーンの大部分は破壊されておりました。当時の模様を知らせる、たくさんの古い映像が公文書館に保存されています。
 当時、私自身はまだ子どもでしたが、連合軍による占領時代のことは、今でもよく覚えており、どちちかというと、占領というより、保護に近い感覚でもありました。両親や他の大人たちとの会話から、多くのオーストリア人は、いまだにナチスの思想にとらわれていて、思想転換の過程は遅々として進まないと聞かされたことがあります。
 私が通っていたギムナジウム(日本の小学校高学年から高校に相当する)では、この(ナチスの)時代のことが教えられることはなく、教材はいつも第1次世界大戦で終わっておりました。
 その分、今日、若い世代の人たちには我々と違った教育に力を注ぐ必要があり、私たちの過去の歴史の脆弱な部分を教え伝えることで、旧世代が犯した過ちから学ばせることが大切だと思います。

池田 真実を伝える歴史教育が、どれほど重要か。
 恩師・戸田先生もよく語られました。「歴史は大事だ。歴史は、過去から現在、現在から未来へ、より確実に平和をめざし、人類の共存をめざす道しるべとなる」と。
 そうした意味で、もう少し伺いたいのですが、オーストリアが戦後、復興を遂げていく中で、今でも心に残っている光景はありますか。

サイフェルト 私が記憶しているのは、まだ幼かったころですが、ウィーン国立歌劇場やブルク劇場が再開したことです。とても高価だった入場券を購入することはできませんでしたが、その模様をラジオで聞き知ることができました。当時はテレビが普及していませんでしたから。あれは特別な思い出です。

池田 「音楽の都」ならではのお話ですね。博士が親交を重ねてくださっているオーストリアSGIの女性リーダーは、おじいさまが戦後、ウィーン国立歌劇場を再建した建築家でした。「ウィーン市民に、失ったものを、往年の姿のまま取り戻させるべきである」との信念から、「歴史的施工図」に忠実に再建したことを、孫として誇り高く語つてくれています。
 この国立歌劇場は1945年の3月の空爆で大きな被害を受けましたが、5月にドイツが降伏して戦火が収まると、その月の月末には早くも再建が発表されました。それから10年の歳月を経て完成し、55年11月に巨匠カール・ベーム氏指揮によるベートーベンの「フィデリオ」で新生の幕を開けます。ベーム氏といえば、民音招へいによる国立歌劇場の来日公演でも指揮を執ってくださったことが懐かしいです。
 ともあれ、権力悪に対する人間愛の勝利、正義の勝利を歌い上げたオペラを、オーストリアの人々は、ラジオを通して万感の思いで聴かれたのではないでしょうか。
 音楽や演劇、芸術に注がれるウィーンの人々の熱情が、どれほど強く、深かったか。世界のどの都市も、はるかに及ばないものでしょう。

サイフェルト ええ。この年(1955年)は、連合国との国家条約締結で、オーストリアが国家主権を回復し、占領していた連合軍が撤退したわけですが、私たちにとってオペラ劇場などの再開は、文化的な面において、同じくらい重要な出来事だったのです。当時のことを思い浮かべると、今なお、心臓がドキドキします。
 戦後のオーストリアでは、非常に優秀な政治家が輩出されました。彼らは良識豊かに、国家に新しい安定をもたらすよう努めたのです。

池田 東西冷戦が激化する中にあっても、オーストリアの指導者たちは隣国ドイツのような国土の東西分割の回避を勝ち取り、一国での主権回復を実現しました。
 ナチス支配下での辛酸を共に嘗めた指導者たちが、右派や左派との立場よりも、オーストリアのためという一点で緊密に協力し、政治・経済的安定が生まれたことも成功の一因とされていますね。その後の指導者たちが、永世中立国として冷戦時代に果たした役割も、大きく評価されています。
 貴国の政治家といえば、フランツ・フラニツキ首相のことが思い起こされます。1989年の10月、日本でお会いしました。当時は東欧革命の真っただ中で、会見の約2カ月前、オーストリアとハンガリーの国境が解放され、東側の民衆が次々に西側へ脱出するという、歴史的な出来事がありました。そして、会見の翌11月には、冷戦の象徴であった「ベルリンの壁」が崩壊したのです。
 首相は私に、毅然とした口調で言われました。
 「ラテン語の格言には『平和を願うならば、戦争の準備をせよ』とあります。しかし、私はこの言葉を『平和を願うならば、平和の準備をせよ』と置き換えて、活動しているのです」と。

サイフェルト その言葉には、心から賛同します。とともに、第2次世界大戦が終了して、すでに70年近くが経過しているのに、今なお流血の戦争が起こっています。言語に絶します。それには、私たち全員に責任があると思うのです。日本を含めた各国がそれぞれ、考えていかなければなりません。
 最近、ある戦争の危機が迫る国家間で、両国の市民たちがフェイスブック(インターネット交流サイト)を通し、互いに「戦争を望んでいない」 「友人であることを望んでいる」といった真情を伝え合うやりとりをし、それが広く公開されたことがあります。これはまさに、現代の民衆が平和を望んでいるということだと思うのです。今は近代的媒体を通して、国際的にネットワークを築くことが、より容易になっているのです。

池田 その通りですね。平和の実現こそ、世界中の民衆の真情です。
 平和の先覚の女性ズットナーは言っております。
 「本物の、筋金入りの平和の闘士は、必ず楽観主義者です。根っからの楽観主義者です……彼らにとって将来世界が平和になるというのは、単なる可能性の回題ではなく、必然のことなのです」(糸井川修訳)と。
 サイフェルト博士は、まさにこの断固たる信念で、文化と芸術の交流を通し、平和のために行動し続けておられます。
 私どもSGIも、平和社会の建設のために、国連を一貫して支援しつつ、世界192カ国・地域で、さまざまな運動を粘り強く展開してきました。なかでも欧州SGIは、これまで、各界の識者を招き、宗教間・文明間対話の会議や平和展示などを実施しています。
 2007年9月、ドイツのヴィラ・ザクセン総合文化センターで行ったシンポジウムには、サイフェルト博士にもご出席いただきました(ヨーロッパ科学芸術アカデミーと東洋哲学研究所、ドイツSGIの共催)。
 国連ウィーン本部(ウィーン国際センター)では、SGI制作の「核兵器廃絶への挑戦と人間精神の変革」展を、ウィーンNGO(非政府組織)平和委員会との共催で開催しました(2010年10月)。同展はスイス、ノルウェー、イタリアなどでも巡回してきました。さらに力を入れていきたいと考えております。
 今こそ、平和を願う心ある人々の声を一段と結集し、市民社会の連帯を広げて、平和への流れを強めていかねばなりません。

サイフェルト
 同感です。平和のプロセスを推進することが大切です。常に、そこに焦点を合わせて行動することです。具体的に照準を合わせて、長期的に問題に取り組んでいくべきです。
 そして、世界平和の名のもとに人々が結集する中立的な場所として、ウィーンはとてもふさわしいのではと思っております。
 同じ目標や志を持った人たちと一緒に共同作業を行うことで、有意義なプロジェクトを推進できます。私は、SGIのネットワークを心から信頼し、皆さんに期待しているのです。
2014-02-14 : 生命の光 母の歌 :
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生命の光 母の歌 第4章 慈愛が輝く社会へ

第4章 慈愛が輝く社会へ  (2014.1.7/8/9付 聖教新聞)

大いなる理想に生きよ!

サイフェルト博士
人には等しく尊厳がある。自他共の価値を認める時、思いやりの心が生まれる

池田SGI会長
介護とは“命で命を支える”聖業。“共に生きる”ことでこちらの真心は必ず伝わる

池田 新春を迎え、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートが世界各国で放映され、多くのファンを魅了しました。今年はダニエル・バレンボイム氏の指揮で、平和を謳う、素晴らしい音楽と芸術の祝典となりました。
 同楽団の指揮者としても活躍した大作曲家マーラーは、力強く語りました。
 「いざ仕事に取りかかろうではありませんか──今我々に与えられた仕事をいたしましょう! かくしてこそ我々の果たすべき仕事もめでたく成就するというものであります!」(ヘルタ・ブラウコップフ編、須永恒雄訳『マーラー書簡集』法政大学出版局)と。
 私たちも、心に希望の曲を奏でながら、この一年、わが使命の道を清新な息吹で進んでいきたいものです。

サイフェルト 本当にそうですね。ウィーン・フィルは私たちがさまざまな音楽団体と連携している中で、一番密接につながって活動をしている楽団でもあるのです。
 今年も、創価の皆さんと共に、精神的な交流、哲学的な語らいを広げ、深めていきたいと思います。

池田 サイフェルト博士の人生の讃歌は、多くの人々に勇気を広げています。
 創価学園に、全盲の両親のもとで成長してきた乙女がいます。彼女は、父母に新聞を読んで聞かせることを日課としています。困難に屈することなく、自立して朗らかに生きる大切さを訴えた作文は、市のコンクールで最優秀賞に選ばれました。サイフェルト博士のように、負けない心で立派に社会貢献できる人を目指そうと、日々、懸命に勉学に励んでいます。

サイフェルト そうですか。私の父は生まれた時から、母は後年になって視力を失いました。第1次、第2次と二度の世界大戦を生き抜きました。二人にとって、とても厳しい時代でした。
 私は1945年、戦後間もないウィーンに生まれました。住む家は爆撃によって壊れており、経済的にも、他のあらゆる点でも、生活していくだけで大変な時代でした。2、3歳の頃には、すでに両親の手を引いていたと記憶します。もちろん、何の助けもありませんでした。両親に対して責任を負っているという自覚がありました。
 二人は私の面倒をよく見てくれましたが、ひとたび道路に出れば、私はいわば彼らの目でありました。それは、両親が亡くなる日まで私か引き受けてきたことです。

池田 当時の厳しい環境が胸に迫ります。1938年よりナチス・ドイツに「合邦」されていた貴国オーストリアは第2次大戦後、イギリス、アメリカ、フランス、ソ連による占領下におかれました。有名な映画「第三の男」に活写された時代です。
 永世中立国として主権を回復するのは、ようやく1955年になってからです。まさに激動の時代でしたね。

サイフェルト 戦後は全ての面において倹約が励行されていたため、非常に厳しい労働条件のもと、食糧難にも見舞われていました。今、言われた通り、オーストリアにある程度復興の兆しが見えたのは、連合軍が撤退した1955年だといえましょう。
 今、少なくとも大半のオーストリア国民は中立の立場を保持する大変な努力をしているように思います。それはもちろん、東西諸国を分断していた「鉄のカーテン」と密接に関係しています。冷戦終結後、かなり改善していると思われるのです。つまり、ウィーンが以前にもまして中心に押し出されてきたのです。それ以前は東方向も北方向も鉄のカーテンから1時間足らずの位置にありました。
 現在では、たくさんの交流が行われ、国境も自由に行き来することができるようになりました。
 鉄のカーテンの崩壊と東側への国境が開いたことで、隣国との協力関係を強化するチャンスが生まれました。
 もちろん、それに伴い、新しい問題も浮上してきたことは事実ですが、それは隣国との密接な協力関係を築くというプラス面を制約するものではありません。

池田 冷戦時代も、今の自由の時代も、一貫して文化の交流に取り組み、人と人の心を結んでこられたサイフェルト博士だからこそ、ひとしお真の平和の尊さを実感されていることでしょう。
 ともあれ、幼い博士は、一番、親に甘えたい時期にご両親を支えなければならず、さぞ大変な思いをされたことでしょう。同時に、ご両親も、言葉に尽くせぬ試練を越えてこられたに違いありません。

サイフェルト
 母の人生はとても過酷でした。目の不自由な母は、当時のナチス政権下で差別を受けていたのです。ナチス時代の医師たちは、母に、“盲目は遺伝するので生まれてくる子どもは皆、盲人である”と言ったのです。まさに、私は“生まれてきてはいけない子ども”たったわけです。
 その後、母はある医師に出会います。彼は、そのような遺伝はないと言い、母の人生を支援してくれました。そのおかけで縁あって結婚することができ、私は生まれてくることができたのです。ただ、私の母は非常に厳格でした。とても干渉する人でもあったのです。もちろん、私は母に幸せになってもらいたいと思っていましたし、畏敬の念も抱いておりました。
 また、私にとって困難だったのは、両親が全盲であったという状況そのものというよりも、両親が、“私が本来誰なのかを知らない(娘の姿を実際に目で見たことがない)”ということでした。

池田 ナチスの非道さは、いたる所に恐るべき爪痕を残していったことを、あらためて思い知らされます。尊厳なる人権を踏みにじった残虐な侵略が20世紀にあった事実を、私たちは絶対に忘れてはならないし、二度と悲劇を起こさせてはなりません。
 戦後の混乱期、ご両親には計り知れない苦衷の日々がおありだったと拝察します。
 障がいに負けず、強く立派に人生を生きた方々を、私は心より尊敬します。
 難聴になったベートーベンは「おまえの芸術にのみ生きよ! 今はおまえは〔耳の〕感覚のために大きい制約を受けているが、これがおまえにとって、唯一つの生きかたなのだ」(小松雄一郎訳編『ベートーヴェン 音楽ノート』岩波書店)と自らに叫び、「歓喜の歌」など不朽の音楽を残しました。
 たとえ目が不自由であっても、戦い生き抜く中で、物事の本質を鋭く見抜く心眼が開かれていく。耳が聞こえない苦悩を突き抜けて、大歓喜の曲が生命に轟くのです。
 仏法は、全ての生命の等しくかけがえのない尊厳性を説きます。それは本来、平等で無上の宝である生命を差別するものとの戦いです。そうした「一人を大切にすること」「他者を尊敬すること」から人権を尊重する社会も築かれていくのではないでしょうか。

池田 障がいのある方や高齢の方々を支えるのに、公的な支援の強化や福祉の充実は、いやまして重要です。
 博士は、現在の高齢社会における介護などの問題を、どのようにお考えですか。
 すでに欧州連合(EU)では欧州資格枠組みの導入が進んでいて、国を越え、医療や介護の人材も行き来しているそうですが、貴国ではいかがでしょうか。

サイフェルト 日本でもそうでしょうが、私にとっても常に心から離れないのが、高齢社会の行方です。つまり老人介護です。これはわが国でも非常に大きな問題です。医療の発達によって平均寿命が10年ほど延びた一方で、それに伴う疾病も生じてきます。
 ウィーンの老人福祉施設は満員で、在宅介護でも費用がかさみます。要介護度にもよりますが、1カ月、介護士を頼んだ場合に掛かる費用は、昼間だけでも月に約1500ユーロ(約20万円)だそうです。これは誰もが払える金額ではないでしょう。理想はもちろん在宅による四六時中の完全介護でしょうが、そんなことは、誰が可能ですか?
 私も介護が必要な親族がいて、その子どもたちと今後のことを相談し合っているところです。でも、本当に人道的な施設は、高すぎて普通の人には手が届かない。実際、共働きどころか、子どもも働かなければ生計が立たない家庭も多いでしょう。こんな状況だったら、それ相応の施設に預けるほかに可能性がないことがしばしばです。私たちの現在の家庭状況も似たようなケースなのです。
 オーストリアの家庭では、ほとんどが夫婦共働きです。でも、介護の手段によっては、支出が収入をはるかに上回り、家計を逼迫させることになる。何とかやりくりできる場合もありますが、経済的に困窮していくのは明らかです。日本にも同じ問題があると思いますし、他の西洋文明諸国も同様な問題を抱えているのです。

池田 今のお話は、世界一の超高齢社会である日本でも、大きな課題です。
 このテーマについて、すでに40年以上前に、日本の著名な作家の有吉佐和子氏が認知症介護を題材とした小説『恍惚の人』を書き、問題提起をしました(1972年)。
 彼女はこの作品で、認知症の老父を介護する夫妻の苦労と葛藤をまざまざと描写しています。献身的に介護を行う妻と、老父に自分の将来を重ね合わせてしまい、なかなか介護に取り組めない夫の心境が克明に描かれていました。
 日中友好の先駆者でもあった有吉氏とは幾度も語り合いました。飾らない真っすぐな性格で、執筆対象は徹底的に取材し、本質を鋭く描き出す作家でした。
 創価学会に対しても、“若い人たちが生き生きとして集まっている”という事実を正視眼で評価してくださっていました。若くして亡くなられたことが、残念でなりません。
 「生老病死」は人生の避け得ぬ現実であり、介護もますます切実な課題です。今、聖教新聞にも、高齢社会をめぐる専門家の知見とともに、介護に直面した際のとまどいやつまずき、苦労、またそれを乗り越えた時の充足感など、赤裸々な体験談が寄せられ、胸を打ちます。
 認知症のゆえに妻を罵倒するようになってしまった夫。それでもケアマネジャーが共に泣いて解決策を考えてくれ、克服したこと等々──。
 さらに「介護したことで“本当の親子”になれた」「介護を経験したからこそ、介護する人の気持ちを理解して励ませる自分でありたい」など、ご苦労されている方々の深い真情とともに、人生の体験と智慧が光っていると感じます。
 介護の現場には、さまざまに厳しい課題があります。ご家族だけでなく、地域や福祉のサポートがますます大切になっています。何より政治が真剣に取り組んでいかねばなりません。
 創価学会では、介護に従事する青年たちも「妙護クループ」という集いを発足して、互いに励まし合いながら貢献の連帯を広げています。

サイフェルト 大切な取り組みですね。子どもを育て上げ、社会に送り出すのに加えての介護となると、大抵の人にとって、二重の負担を意味します。「一人の母親は十人の子の面倒は見られるが、十人の子どもは一人の母親すら面倒を見ることができない」ということわざもあります。
 さらに、年金制度の問題もあります。これは万人に関わってきます。高齢者が増え、人口ピラミッドの上部が、どんどん大きくなっていくからです。年金の支給年齢も、いずれ引き上げなければ立ちゆかなくなるのではないか、という論議もあるようです。

池田 社会のありようが変貌を遂げています。
 日本では、1947年から49年のベビーブームで生まれた800万人以上の「団塊の世代」が60代半ばに入り、10年後には国民の3割以上が高齢者となります。ライフスタイルも、生きる上での価値観も、見直す時期を迎えているといえましょう。特に相互扶助の生き方、社会のあり方が求められます。
 高齢社会をどう生きるか。どう新たな社会を創造していくか。これは英知を結集すべき命題の一つです。
 フランスの哲学者ボーヴォワールは「人間たちがその生涯の最後の時期において人間でありつづけるように要求することは、徹底的な変革を意味するであろう」(朝吹三吉訳『老い』人文書院)と断言していました。
 変化する社会の中で人間の尊厳を守り、輝かせていくために、社会制度の改革とともに、人間自身の意識変革と、それに伴う行動がより深く、また広く求められましょう。

サイフェルト 私が問題に感じているのは、年長者への敬意の念です。おそらく日本とヨーロッパとでは著しい違いがあると思います。こちらでは50歳を超えたら“その先一体何があるのだ”という考えが(若者に)浸透していて、“年を取ることは格好よくないし、考えられない”のです。
 これは日本では違うように感じます。年長者は“先生”と尊敬され、尊重されますね。これは仏教との関連でしょうか。隣人に対する尊敬の念が、ヨーロッパとは違う形で順守されているということなのでしょう。
 ともあれ、世間はますます冷淡になり、生存競争は残酷さを増し、他者に対する敬意などはもはや持ち合わせていないという、この尊厳が失われゆく時代にあって、私は、人間に尊厳を与えることが最も重要なことだと思っています。そのために、断固として闘わなければなりません! 私たちは、自分自身に本来備わる価値と他者の価値をあらためて自覚するように、自分自身を仕向けなければならないのです。
 どのような人にも尊厳があります。人は生まれながらに神聖な心を持っており、私の中の神が貴方の中の神にあいさつを交わすのです。そうした時、人は相手を思いやる心の温かさを感じ、互いに対する気持ちを感じ、もう一人きりではなくなるのです。

池田
 「年長者への敬意」という点で、日蓮大聖人は“年配者たちを大切にした国が800年の繁栄を築いた”という中国の故事を引かれています。
 また、例えば人類学では、次世代の養育を助ける“おばあさん”の存在が、他の動物にはほとんどない人類の特徴として、子孫繁栄に寄与してきたとする仮説も論じられています。年長者を大切にし、敬意を表することは「人類の智慧」というべきものでありましょう。
 そして年長者への敬意の“薄れ”は、残念ながら日本も含めて世界的な傾向ではないでしょうか。物質的な富や刹那的な享楽を追う社会の中に生きる現代人は、“老いを忌み嫌い、死を忘却する”傾向を一段と強めてしまっているかもしれません。
 聖教新聞に、こんな体験もありました。
 ──祖母は90歳を過ぎて認知症に。3世代同居の家族はストレスがたまる一方。孫の嫁である自分が、祖母をますます好きになろうと決めた矢先のこと。「みんな、私が早く死ぬことを願っているんだろう」と語る祖母に、とっさに「みんな年を取るんだよ。おばあちゃんに尽くすのは当たり前だから、気にしないで」と言った。すると祖母は涙を流し、亡くなるまで何事にも「ありがとう」と喜んでくれるようになった──
 この介護の経験をご家族の皆が心から感謝しているそうです。介護を通して、家族の絆も、それぞれの心の境涯も深まっていった尊い実証です。
 その上で、やはり介護には言うに言われぬ苦労も大きい。どうか自分自身の体を大切にし、周りの力を味方にするなどして、聡明に快活に工夫していっていただきたい。
 たとえ、相手のために特別なことはできなくとも、真心は伝わります。人を支えることによって、自らの生きる力も増していくのです。どこまでも“共に生きる”ことです。介護とは“命で命を支える”究極の人間性の振る舞いではないでしょうか。
 ともあれ、日蓮大聖人は「一日の命は三千界(=大宇宙)の財にもすぎて候なり」(御書986㌻)とも仰せです。限られたこの一生をともどもに生き生きと、価値ある日々として重ねていきたい。
 大切な家族のため、友のため、人々のために尽くし、大いなる理想のために皆で手を携えて生きる一日一日は、たとえ労苦の連続であっても、必ず確かな充実と生命の福徳を積んでいることは、絶対に間違いありません。

サイフェルト博士
SGIの婦人部・女子部の皆さんは尽きることのない善なる光で闇を照らす灯台
池田SGI会長
仏法に男女の差別はない。女性こそ平和の未来を開く鍵。混迷の現代を変える力

池田
 貴国出身の「ヨーロッパ統合の父」クーデンホーフ=カレルギー伯と語り合った際、「世界中で女性が議会と政府の半分を占めるようになれば、世界平和は盤石になるだろう」と確信を述べておられたことを懐かしく思い起こします。
 あれから40年以上を経て、世界各国での女性指導者の活躍は、一段と顕著な傾向となりました。ドイツのメルケル首相、ブラジルのルセフ大統領、マラウイのバンダ大統領、韓国の朴槿恵大統領など、女性の現職リーダーも注目されています。
 2010年7月には、ジェンダー(社会的性差)の平等と女性のエンパワーメント(内発的な力の開花)を目指す国連の機関として、「UN・Women」が設立されました。先月、2度目のチリ大統領に選ばれたバチェレ氏は、その初代事務局長でした。
 ともあれ、世界が女性のニーズに応える。そういう動きが強まっています。いな、もっと強めていかなければなりません。

サイフェルト おっしゃる通りです。だからこそ、女児にも優れた教育を得る権利を与えることが大切だと申し上げたいのです。
 オーストリアでは女性教育に力を注いだ結果、20年前、30年前に比べ、非常にたくさんの女性がリーダー的地位を占めるようになってきています。それは、欧州連合(EU)や各社会のトップを見ても言えることです。30年前にドイツのメルケル首相の誕生は考えられなかったことでしょう。女の子も大学教育を受けさせるべきなのです。

池田
 教育こそ社会建設の光源です。
 世界的に、まだまだ女性の教育が普及していない地域があります。
 日本について言えば、近年になって、男女の教育機会は平等として定着しており、創価大学でも優秀な女子学生の活躍がひときわ光っています。しかし、女性が社会でより仕事をしやすくするためには、まだまだ改善すべきことは多い。働く女性をしっかり守る仕組み作りは、さらに求められています。
 女性の先駆的活躍の模範を示してこられたのが、サイフェルト博士です。男性中心の色合いの強かった時代に、貴国の全省庁で最年少の部長就任を果たされましたね。
 若い読者からも質問がありましたので、ここで博士の青春時代、職場での奮闘の歴史などをお聞かせ願えればと思います。そもそも、ウィーン大学ではショーペンハウアーに関する学位論文を書き上げ、哲学博士号を取得されましたが、どうして官庁に入られたのでしょうか。

サイフェルト もともと私は働くことがとても好きで、早い時期から働き始めました。自分で収入を得ることに誇りを持っていましたし、働くことが楽しかったのです。私はかなり長期にわたって、ラテン語、古代ギリシャ語などの古典語を家庭教師として教えていました。そして大学でも、その科目を専攻したのです。
 当時、私は学生自治会に所属しており、その代表を務めておりました。私は情熱に燃えた学生でした。そのうち、これらの言語にまつわる2500年前に起こった事例より、現在の社会のために何か貢献をしたいとの思いが強くなっていったのです。最初に入省したのが連邦保健省。そして、連邦学術研究省に異動した後、文部省管轄である国際部の部長に就任しました。

池田 学生時代から、何事にも真剣に取り組む中で、自身の進むべき道を決めていかれたのですね。
 人のため、社会のためにという心が尊い。母校のため、友のために献身する創価の学生たちにも、大きな励ましとなることでしょう。
 仕事に大きな意義を感じる時、人は働く意欲を増す。そして崇高な目的観に立つ時、大きな生きがいを感じます。さらに困難をはねのけていく力が湧いてくる。自身の仕事に価値を見いだし、誇りをもって取り組める人は幸せです。
 日蓮仏法では、“現実社会のあらゆる営みは全部妙法と合致するものである”“自分の仕事を法華経の修行であると思っていきなさい”と説かれ、仕事で立派に実証を示して、人間的にも成長しつつ、社会に貢献していくことを促しています。博士は、「東西冷戦」の困難な時代に文化の橋を懸けゆく自身の仕事に“特別な心情”をもって取り組まれたと伺っています。

サイフェルト そうです。その通りです。特に文部省では、旧東欧諸国の芸術家や文化人をウィーンに呼び寄せる機会を得ました。こうしたことがなければチャンスもなく、ビザも取得できない人たちです。私は、ドイツや当時のチェコスロバキア、ハンガリーを結ぶ文化的な軸を自らの身に置き、再びここで文化的な共同作業が実現するよう努力しました。そして素晴らしい成果を得ることができました。多くの感謝の心と幸せに満ちた人々の姿は本当に忘れられません。
 私は常に「闘士」でした。時には予算を取るため、時には管轄や権能のために闘いました。休日前は仕事を家に持ち帰って続けました。後に歌手活動を始め、また結婚して家事をこなすようになってからは“三つの職”をかけもちしていました。何十年も休暇なしの生活でした。ここに、古いことわざがあります。“天才の90パーセントは努力である”と。これは私自身、身をもって経験いたしました。

池田 博士がどれほど誇りをもって真剣に仕事に打ち込んでこられたかが、よく分かります。以前行われたインタビューでは、日々、獅子(ライオン)のように仕事を勝ち取られたとも語っておられましたね。

サイフェルト その通りです。私はライオンというより、むしろ、タイガー(虎)だったかもしれません(笑い)。
 でも、それが当たり前な時代だったのです。当時は、女性が男性より150%優秀であることが求められていたわけですから。
 ところで、私個人について、私自身が気付いていなかった点を気付かせてくれたことがあります。それは勤めて何年もたち、仏教に興味を持ち始めたそんな時に、日本で池田会長とお会いし、仏法的思想において私自身の人生を構築し直す機会に恵まれたのでした。
 当時、私は本当に素晴らしい同僚に囲まれて仕事をしていたのですが、突然、同僚たちから「ユッタ、ここ数年間の貴女《あなた》の変化には、とても目覚ましいものがあるわね」と言われたのです。
 「一体、どんな風に変わったの?」と私か聞くと、「穏やかで丸くなって、とても思いやりがあるようになった!」との答えが返ってきました。
 自分自身のことは、自分でも、よく分からないものです。「闘うこと自体」に重きを置いたり、外面的なことにとらわれたりしなくなったということでしょうか。つまり、些細な日常の雑事に煩わされることがなくなったのでした。
 ただこれは、私の生来の性格でもあり、だからこそ人生を乗り切ってこられたと思っています。ともかく、若い頃は必死に窮地を乗り越えてきました。それは、とても難しいことだったのです。
        ♪
池田 そうした博士の人生の来し方に励まされてきたからこそ、良き同僚たちも、博士に最大に信頼を寄せ、頼りとしてきたのではないでしょうか。
 仏法では、求道を共にする人を「善知識」(善友)と呼んで最重視しています。高き理想へと進むには、良き同志が必要であり、その絆は最良の宝といえます。
 長い歴史にあって、どれほど多くの尊き女性たちの献身が積み重ねられてきたことでしょう。戦争や圧政、あるいは疫病や飢饉などに社会が見舞われ、混迷と不安に包まれる中で、一番苦しめられてきたのが女性たちでした。その中で、社会を希望へ、善へ、幸福へ、平和へと粘り強く導いてきたのも、まさに女性の力です。
 混迷深き現代にあって、未来を開く鍵は女性が担っています。21世紀が「女性の世紀」となってこそ、真に平和な生命尊厳の社会が築かれていくはずです。

サイフェルト 素晴らしいことです。そして、それには男性側への教育も必要となってきます。もしくは、母親が息子たちに対して教育をしていかなければならないでしょう。
 現代の女性は、経済的な理由から、本腰を入れて仕事をしなければならない状況に置かれています。人並みの生活をするためには共働きせざるを得ない。それに加えて、昔から女性に課せられていたイメージである3K──すなわち、台所(Kuche)、子ども(Kinder)、教会(Kirche)が挙げられます。今でこそ、これらの概念は時代遅れとなりましたが、それに伴い、新しい社会構造が求められています。
 男女同権は絶対に不可欠です。私は、人は過去世をたどれば、すでに何回も生死を繰り返してきていると信じています。
 ですから私自身が“男性”として生きていたこともあったと思います。そうすると、人は女性としても、また男性としても、この世に生を受けているわけです。そうした立場から見ても、“男女”の権利を差別することは本質的に間違っています。
 結論からいえば、社会における女性の名誉は、ひとえに男性にかかっていると思います。この部分は、しっかり日本の男性にもお伝えしたいのです!(笑い)
 総括的に言えることは“男性諸君”(笑い)にとって、女性の社会における令聞(よい評価)という観点を大切にして、意識を変えていかなければならない時に至っているということなのです。これは、特に日本の男性の皆さまに強調したい点でもあります。

池田 今のお話は、男性読者に深く突き刺さっていると思います(笑い)。
 また今、語られた博士の生死観は、生命は永遠と説く仏法と軌を一にしています。
 以前、ウィーンのオーストリア国立図書館で「法華経とシルクロード」展が行われましたが、そこで展示された大乗仏教の精髄である法華経には、他の経典と異なり、“久遠実成の釈尊”を通して「永遠の生命観」が説かれています。そしてさらに「女人成仏」が説かれています。
 日蓮大聖人は「この経(法華経)を受持する女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男性にも超えている」(御書1134㌻、通解)と仰せです。仏法に男女の差別はありません。それどころか、女性は最高に尊き使命の人であると示されているのです。

サイフェルト そうした思想の反映か、SGIにおいて女性は、世間と比較してかなり高い地位にあるように見受けます。SGIの女性の皆さまは、ソフト・パワーを最大に生かし、社会を善の方向に導き、あらゆる分野で数え切れない成果を収めてきました。命を育み、尽きることのない光で闇を照らし、社会に希望を贈り続ける灯台の存在であると思います。

池田 博士から最大のエールをいただき、日本の婦人部・女子部にも、大きな喜びの輪が広がることでしょう。
 うれしいことに、女性たちが生命尊厳の哲理を互いに学び合う潮流も一段と高まってきました。
 たゆまぬ勉学、目標を持った学びには、必ず充実の花が咲く。学び続ける意欲、向上し続ける心があれば、どんなに忙しい生活の中でも、勉学のチャンスは必ず生まれます。
 「人間の幸福を根本目的とする教育」を訴えられた牧口初代会長は、いち早く女性教育の道を開かれ、通信教育の学校である大日本高等女学会の主幹を務めました。自ら編集・発行人となって教材『高等女学講義』を刊行し、教育の機会を広く提供したのです。
 こうした先師の悲願を結実したのが、創価教育の学舎です。創価大学では、働きながら学べ、また生涯学習の道を開く通信教育部も開設40周年へ力強く前進しています。
 ともあれ、女性の可能性を開くことは、男性中心社会の行き詰まりを解消し、男性の可能性を開くことでもあります。女性が輝く社会であってこそ、男性も真に輝いていくでしょう。

サイフェルト博士
互いに尊重し合うことが夫婦円満の秘訣。「やってもらって当然」は愛の終息
池田SGI会長
感謝の気持ちを「行動」に表す。その分、自分も成長し確かな幸福が広がっていく

池田 今年は、女性の平和運動の先駆けとして活躍した、オーストリアのベルタ・フォン・ズットナーの没後100年に当たっていますね。
 彼女の無私の叫びは、化学者のアルフレッド・ノーベルやアメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーをはじめ、多くの識者や実業家らの心に響き、平和の尊き連帯となって広がっていきました。

サイフェルト ええ! そうです! ズットナーのことは、以前からお話ししたいと思っておりました。

池田 かつてオーストリアの友人が、ズットナーの著書と直筆の書簡を届けてくれました。大事な宝の一書です。
 この平和を訴える著作『武器を捨てよ!』は、その内容が女性、特に家庭の主婦に向けられているものです。当時は、こうした女性の運動に対して、男性から多くの反発があった時代でしたね。

サイフェルト おっしゃる通りです。彼女に限らず、当時は科学者のマリー・キュリーやリーゼ・マイトナーのように、そして医者などの高等教育を受けた女性全てに対し、風当たりが強かったのです。とは言っても、現在になって、その状況が改善されたわけではありません。男性優位の社会において、女性が受け入れられるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。
 私はといえば、関わってきた男性全てを、いつも一段上に置いて、自分自身はへりくだっておりました。つまり、相手を尊重することが一番大切だと申し上げたいのですが、これは今の時代の“解放された女性”には、お手本とは程遠いかもしれませんね(笑い)。しかし私は、他の人に対しても、常に相応に尊敬の念を持って接してきました。
 夫婦にしても、お互いが尊重し合い、尊敬し合うところに、円満の秘訣があるのだと思います。

池田
 亡くなられたご主人のラルフ・ウンカルト博士は、私にとっても忘れ得ぬ宝友です。平和探究の偉大な知性であられました。創価大学で人間尊厳の重要性を訴える講演も行っていただき、多くの学生が感銘の声を寄せました。青年への深い励ましを、皆、大切に心に刻んでいます。
 サイフェルト博士は、文部次官とソプラノ歌手、さらに家事という「三立」の多忙な日々にあって、ご主人と仲睦まじい歴史を創ってこられました。その体験から発せられる博士の言葉は、共働きなどで多忙な若い夫婦の読者にとっても、貴重なアドバイスとなるでしょう。

サイフェルト ともかく一番大切なのはお互いを尊重することです。尊重する気持ちがなくなってしまえば、やがて、うまくいかなくなってしまいます。例えば毎年の誕生日は必ず、互いに祝ってきました。それがなければ、即、サヨナラです!(笑い)
 冗談はさておき、主人の誕生日は、亡くなった今でも彼と一緒にお祝いしています。
 男性は、たまに自分の奥さんに花を贈ることも、いいアイデアだと思います。
 尊重し合う自立した二人の関係が大切です。彼女が彼を尊重するだけでなく、彼も彼女を尊重すべきなのです。そして、してもらっている家事など、一つ一つへの感謝を忘れないことです。いつの間にか、「やってもらうのが当たり前」とか、「どうせやってくれるだろう」となりがちですので。そのような考え方は、愛の終息を意味します。

池田 “感謝の心”は夫婦間のみならず、心しなければならない点ですね。そしてお話のあったように、時に自分の感謝の気持ちを“形”にしていくことも大事でしょう。
 ともあれ、パートナーのそれぞれに特質があり、またお互いに培ってきた知識や知恵もある。それぞれが持っていない良い「違い」があるはずです。それをお互いが尊重し、吸収し、補い合うことが、互いの成長への糧となり、自分の心も広げていく。その分、自身の幸福感も確かなものになっていくのではないでしょうか。

サイフェルト その通りだと思います。最近の、特に仕事を持っている女性は、昔に比べると社会的にも経済的にも自立していて男性に依存していませんので、「もうたくさん!」「私は私の道を行きます!」ということが、ある意味で言いやすくなっているのは事実だと思います。
 また、これといった理由がないまま、伴侶と別れる女性もたくさんおります。
 私には、娘のように慕ってくれる友人がいるのですが、彼女はあっさりと夫と別れました。いい陽気のある日、彼女から電話があり、離婚届を提出したと言ったのです。特に争うことなくです。彼女は素晴らしい研究者でしたが、子どものためにウィーンでの仕事をあきらめ、すでに引っ越しをした後でした。6歳の娘、2歳の息子という2人の子を抱え、養育していかなければならなくなったのです。
 子どもを持つ母親は年中無休です。彼女は途方に暮れていました。教育や養育に、別れた相手の協力は得られませんでした。今は、こうした問題にも対応する社会の構造を整備する必要があります。
 私が、女性が優れた教育を受けるべきというのは、こうした結婚観の変化も背景にあります。今や「どうせ、結婚するのだから」などと言ってはいけません。ただでさえ結婚は“宝くじ”のようなものです。うまくいくかどうか、誰にも分からないわけですから(笑い)。
 100年前、結婚は生涯で一度きりのものでした。今では、一生というより、人生の節目ごとに伴侶が変わる人も珍しくないのです。こうしたとらわれない価値観から言えば、女性が教育を受け、就業度が高ければ高いほど、より女性の立場は安定したものとなるのです。

池田
 おっしゃる意味はよく分かります。それが現代社会の大きい変化なのかもしれません。
 いずれにせよ、互いに高い「目的観」と深い「人生観」を持って生きる努力が、ますます大切ではないでしょうか。共に確かな「幸福観」をつかむことです。何があっても揺るがぬ自分自身を築き上げることです。真の意味で自立していくことです。
 マリー・キュリーや音楽家のクララ・シューマンなど、最愛の夫に先立たれながら、悲しみを乗り越えて偉業を残した女性も多い。要は、幸福を決めるのは環境ではない。結局は自分自身であるということでしょう。
 かつて戸田第2代会長を囲んでの勉強会で、劇作家イプセンの代表作『人形の家』が題材となりました。女性の自立について先駆的に問い掛けた作品です。若い女性たちの勉強会で教材にされました。さらに恩師は「男は強いばかりが能じゃない。横暴になるのでなく、たまには、こういう本も読みなさい」(笑い)と、私たち男性にも読ませたのです。
 物語の最後、主人公のノラは、自分が夫に従属し、かわいがられるだけの「人形」だったことに気付き、「人間」であることを求めて新たな一歩を踏み出します。この劇的な幕切れを通し、恩師が、それぞれの人生において「この続きをどう書いていくか」と励まされたことが印象深く心に刻まれています。
 人間には、誰しも限りない可能性があり、幸福になる権利がある。幸福の“宮殿”を、わが胸中に輝かせていくための仏法であり、私どもの信仰です。
 戸田会長は、自立した女性一人一人が幸福な人生を歩みながら、新しき連帯を築くことによって、新しい時代変革の波が起きていくことに大いなる期待を抱いていました。私も、女性こそが平和の使者であり、女性の力がより社会に反映されていくことが、必然的に生命尊重の社会建設につながっていくと確信してやみません。

サイフェルト 私も全く同意見です。戦争などによって、自分のおなかを痛めて産んだ子どもを失うのは女性だからです。命を守ろうとするのは、本来女性にそなわっている本能なのですから、女性が常により高い地位に就けば就くほど、喜ばしいことだと思うのです。

池田 冒頭に語り合ったズットナーの思想と行動を受けて、ノーベル平和賞が創設されたともいわれていますね。彼女自身、ノーベル平和賞を受賞した最初の女性です。
 ズットナーは苦しい家計をやりくりし、夫と共に自らも働いて生活を支えつつ、寸暇を惜しんで本を読み、知識を蓄えました。そして19世紀末から20世紀にかけて帝国主義が席巻する時代に、オーストリア平和協会を設立し、一人また一人と対話を重ねながら、平和の輪を拡大していったのです。
 創価の女性たちも、多忙な日々の合間を縫って一対一の語らいを根本に、勇気と希望のスクラムを粘り強く広げています。自身の悩みの克服だけでなく、自他共の幸福の建設へ、祈り、行動を続けています。それは、まことに地道ですが、何ものにも止められない、世界平和への堅実にして確固たる歩みであると讃えたいのです。
2014-01-10 : 生命の光 母の歌 :
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