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若き君へ 新時代の主役に語る 第6回

第6回 力を合わせる  (2012.10.2/3/5付 聖教新聞)

異体同心は地球社会の指標

「仲が良い」ということは「信心がある」ということなのです。
「イタイドウシン」「ビクトワール!《勝利》」


 ──10月2日は、池田先生が、一閻浮提広宣流布への第一歩を、力強く踏み出された記念の日です(1960年、北南米へ出発)。
 先生が開いてくださった大道に、全世界の青年が躍り出て、今、元気いっぱいに続いています。先日のSGI(創価学会インタナショナル)青年研修会にも、55カ国・地域から250人の若きリーダーが集いました。その真剣な求道と麗しい団結の姿に、私たちは多くのことを学びました。
 皆を代表してアフリカのメンバーと感動的な出会いを結んでくださり、本当にありがとうございます。日本の青年部にも、大きく歓喜の波動が広がっています。

名誉会長 ありがとう!
 皆、言うに言われぬ苦労を重ねて、勇んで来日してくれました。
 若いから旅費を捻出するのも、並大抵ではない。まとまった休暇を取ることだって、大変な苦労だ。
 ビザ(入国査証)を取得するため、自分の国に日本の大使館がないので、隣の隣の国まで、猛暑の中、満員の乗り合いバスで40時間かけて往復した友もいる。
 偉いじゃないか。
 日蓮大聖人は、「道の遠さに、志があらわれるものではないか」(御書1223ページ、通解)と仰せです。その遠来の尊き求道の友を、「当《まさ》に仏を敬うが如く」(創価学会版法華経677ページ)に私たちは迎え、讃えたいのです。
 アフリカの青年たちは、皆、最優秀の勇者でした。瞳が燃え立つような決意に輝いていました。全身に満々たる青年の熱と力が躍動していました。一人一人が自分らしく胸を張りながら、同志と一体のスクラムで結ばれていました。
 私はうれしかった。アフリカ広布、そして世界広布の未来を照らす希望の旭日が昇る思いでした。
        †
 ──先生が激励してくださったアフリカのメンバーは、先生をお見送りした後、歓喜を爆発させ、「イタイドウシン(異体同心)!」「ビクトワール(勝利)!」「センセイ!」「ビクトワール!」と皆でかけ声をかけ合っていました。
 一口にアフリカといっても多様です。今回は10カ国から集い、来日した時は、言語も異なって、意思の疎通さえ難しかった初対面のメンバーが、先生のもと、見事な「異体同心」の団結を創り上げていったのです。

名誉会長 素晴らしいね!
 それぞれの国では、研修会の間、青年たちを送り出した先輩方が、一生懸命に無事故・大成功を祈り続けてくれていました。
 その方々も我がことのように喜ばれ、帰国した青年たちと、皆でますます元気に前進している様子を、早速、報告してくれました。何よりも麗しい“創価家族の絆”です。
 また今回、お会いできなかった他の大陸の青年メンバーも、アフリカの友の喜びを我が喜びとして受け止めて、深い決意の便りをくれました。
 ありがたい同志愛です。
 これこそ「異体同心」です。
 信心という「心」で結ばれた私たちの「人間の絆」ほど、深く、尊く、そして、強いものは絶対にありません。
 どんなに離れていても、心と心はつながる。たとえ会えなくとも、命と命は通い合う。一つになれる。これが、妙法の世界です。創価学会です。
        †
 ──大関西で、池田先生が雄渾の指揮を執ってくださり、皆で大合唱した「嗚呼黎明は近づけり」(大阪高等学校全寮歌)の一節には、「君が愁いに 我は泣き 我が喜びに 君は舞う」とあります。
 この歌の通りの人間の連帯が、先生を中心に全世界に広がっていることは、本当に感動です。

名誉会長 法華経の涌出品には、「地涌の菩薩」が「三千大千の国土」から踊り出る様子が、こう記されています。
 「無量千万億の菩薩摩訶薩有って、同時に涌出せり」(同452ページ)と。
 まさしく、広宣流布のために「いざ戦わん!」と、無数の国土から、無数の地涌の菩薩が、心を一つに「同時に」出現するのです。つまり「異体同心」です。
 この法華経の通り、地球上に壮大な地涌の「異体同心」の陣列を呼び出しだのが、日蓮大聖人に直結する創価学会なのです。
 だから、皆、久遠から縁《えにし》深き弟子であり、法華経の会座に地涌の菩薩として参列していたんだ。
 そして、妙法流布を誓い合い、今この時、その使命を果たすために共に生まれてきた。三世永遠にわたる誓願で固く結ばれている地涌の同志なんです。
 それを思い出し、自覚すれば、団結できないわけがない。異体同心の団結ができれば、必ず広宣流布はできる。
 これは、大聖人のお約束です。

 ──この夏、ロンドンでオリンピックやパラリンピックが行われましたが、皆、「勝利」のために団結していました。すべての次元において、結局、より団結の強いところが、最後は競り勝つように思います。

名誉会長 その通りです。団結こそ、勝利の原動力です。
 「何のために」団結するのか。私たちは、広宣流布すなわち世界の平和と人類の幸福という、未聞の大事業を成し遂げゆくために団結するのです。
 わが師・戸田城聖先生の事業が苦境のどん底にあった昭和26年(1951年)の1月、私は心肝に染め抜く決心で、「生死一大事血脈抄」の一節を拝し、日記に書き留めました。
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思《おもい》を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(御書1337ページ)
 「広宣流布の大願」に、師匠と弟子が、また同志と同志が、何があろうとも、「水魚の思」という一体不二の心で、生き抜き、戦い抜いていく。そこにこそ、一切の苦難を乗り越えて、勝利の道が必ず開かれるのです。
 この仏法の極意を、私は生命に刻みつけ、戸田先生の弟子として師子奮迅の力を出し切って、戦いました。そして、絶体絶命の窮地を打開し、この年の5月3日、遂に戸田先生の第2代会長就任を迎えたのです。
 ともあれ、「異体同心」とは、それぞれの個性、特質を最大限に生かしながら、広宣流布という、人間として最極の大目的に心を合わせて邁進していくことです。
 大聖人は、総じては、御自身の生命に息づく血脈は、この「異体同心」の団結の中に伝わり、広布大願に生きる一人一人の生命に脈動すると御指南されています。
 異体同心の団結で進め!
 これが、日蓮仏法の真髄です。
 ですから、「仲が良い」ということは、「信心がある」ということなのです。
 残念ながら、現代社会は、一人一人が孤立し、他者への無関心に覆われ、自分一人では何も変わらないという無気力や諦めが蔓延している。
 私が対談したアメリカの“行動する歴史学者”ハーディング博士は厳然と言われていました。
 「私たちが本当になすべきなのは、新たなる創造のために人々の心を結集することであります」と。
 ゆえに、博士は、「正義と慈悲を基盤として、地域に社会にと運動を繰り広げる」創価の前進に、最大の共感と支持を寄せてくださっています。
 正しい仏法をもって、世界平和と万人の幸福を目指しゆく「異体同心」のスクラムは、それ自体が人間共和の理想です。人類の希望の光明です。地球社会の指標です。
 「異体同心なれば万事を成し」(同1463ページ)です。
 すべてを成就できる。すべてに勝利できる。
 私たちは、「21世紀の大陸」アフリカの青年たち、そして、全世界の青年だちと共に、声高らかに叫び、力強く前進しよう!
 「イタイドウシン!」「ビクトワール!」と。

 ※「嗚呼黎明は近づけり」は作詞=沼間昌教。

団結は まず自分が立ち上がれ!

一人が一人と心を結んで築き広げてきたのが、学会の「人材の林立」です。

 ──新入会の友と懇談した際、皆が使う「団結」という言葉にびっくりしたと言っていました。これまで言われたこともなければ、使ったこともなかった、と。

名誉会長
 率直でいいね。
 でも、みんな、何かしら、力を合わせて一つのことを勝ち取った感動を持っているんじゃないかな。団結が喜びだということは、きっと実感できるでしょう。
 特に、東日本大震災を通し、あらためて「人間の絆」が見直されています。創価学会の活動に、多くの識者の方が共感し、期待されているのは、いざという時、見事な「団結」で救援活動に当たった。そして今も、青年部を先頭に、手を携えて復興に汗を流してくれているゆえです。
 人類は、災害や圧政などに、団結して戦ってきた。団結こそが、唯一の勝利の方法なのです。
 インドが独立闘争に勝利できたのは、マハトマ・ガンジーを中心に民衆が団結したからです。
 フィリピンの独裁政権を打ち倒した民衆の団結は、「ピープル・パワー」と呼ばれました。
 東西を分断したベルリンの壁を打ち破った力も、平和と自由のために立ち上がった若人たちの団結です。
 南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃させたのも、マンデラ元大統領を中心として、平等と人間の尊厳を求め抜いた民衆の粘り強い団結です。
 創価学会の創立者・牧口常三郎先生は、鋭く喝破されていました。悪というものは結託して、どんどん強くなる魔性を持っている。それに対し、善が孤立してしまえば、社会は暗くなり、険悪になる。善こそが団結せねばならない、と。
 牧口先生は、戦争へと暴走する社会にあって、勇敢に正義を叫び抜き、軍部政府によって投獄され、殉教されました。
 師にお供して、戸田先生も2年間の獄中闘争を貫き、出獄して、正義の連帯を広げる戦いを開始されたのです。私は青年として、その陣列の先頭を走ってきました。
 これが、人類史に刻みつけてきた創価三代の師弟の戦いです。
 大歴史家のトインビー博士も、私との対談で力説されました。
 「人類の生存を脅かしている現代の諸悪に対して、われわれは敗北主義的あるいは受動的であってはならず、また超然と無関心を決めこんでいてもなりません」
 私たちは皆、地涌の菩薩です。人々の幸福に寄与することを誓って生まれてきました。ゆえに、周りの人や出来事、社会に無関心であってはいけない。それでは、菩薩ではなくなってしまう。
 戸田先生は、社会に信念の青年を送り出したいと願われました。そのためには、人間の善きつながりが絶対に不可欠です。これが、創価の青年部です。

 ──「異体同心とは、現代で言えば『組織』」と教えていただいたことがあります。

名誉会長 「善の連帯」とは、「善の行動」を組織化することです。ただ、「団結」や「組織」といっても、窮屈に考える必要はない。組織といっても、一対一の人間の絆から始まる。団結といっても、心と心の信頼の上に築かれる。
 親身になって相談にのって、一緒に悩む。共に行動する。時には、一緒にラーメンを食べたり、コーヒーを飲んだり……(笑い)。
 「正しき集い」は「楽しき集い」です。「仲良き集い」です。
 日蓮大聖人のお振る舞いを拝すると、「これほどまでに」というほど、一人一人に心を尽くされています。流罪の佐渡にあられても、京都と鎌倉で戦が起こると、門下の安否を案じられ、何人もの名前を挙げて、「いかにと書付て給べし」(=どうしているか書き記して教えてください。御書961ページ)と尋ねられています。
 私たちも、縁する「一人」の人を大切にすることです。その「一人」と力を合わせることです。
        †
 ──男子部の第1部隊長であった池田先生と一緒に、下町の部員の家を一軒一軒、家庭訪問した方から話を伺ったことがあります。
 当時は街灯も少なく、夜は本当に暗かった。その暗がりの中で、先生は訪問先の住所をさっと書き留められていた。数日して再び、その家々を訪れると、すでに先生からの激励のはがきが届いており、本当に驚いたというのです。

名誉会長 懐かしいね。一回の出会いが真剣勝負でした。今なら携帯電話を活用できるけれども。
 なかなか人が集まらずに悩んでいたリーダーとも語り合った。
 「自分自身が広宣流布を祈り、一人一人のことを祈り、自行化他の実践を貫いていけば、その題目に、人は必ずついてくるよ」と。
 こうした対話の積み重ねによって、300人ほどだった部員数も、1年間で1000人を突破するまで拡大できました。これも団結の力です。
 大目的に向かう時には、大きな障害がある。その時こそ、励まし合い、助け合いが大切です。
 御聖訓にも、木を植える場合には、しっかりした支えがあれば倒れないと仰せだ。たとえ、その人が、もう耐えられないと思うようなことがあったとしても、周りが支えれば大丈夫である。逆に、少し頑張っている人も、孤立すると心が折れて道を外れてしまう。
 一人が一人と固く団結することだ。そうやって築き広げてきたのが、今日の創価学会の壮大な「人材の林立」です。

 ──青年部員からは、「団結を叫んでも応えてくれない」「嫌だなと思う人とは心を合わせられない」という切実な声もあります。

名誉会長 当然いろんな人がいる。人間修行の場だから、聡明に忍耐強く取り組んでほしい。それが全部、自分の生涯の宝になる。
 団結といっても、せんじ詰めれば「一人立つ」以外にありません。
 相手ではない。周りではない。自分が希望に燃え、勇気に燃えて「一人立つ」ことです。
 牧口先生は、「羊千匹より獅子一匹」と言われた。学会は、烏合の衆を作るのではない。戦う獅子の集まりを作っていくのです。
 戸田先生も叫ばれました。
 「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」
 これが団結の方程式です。学会精神です。

 ──先生は、草創の文京支部の戦いを通して、祈りを根本とした団結を教えてくださいました。

名誉会長 男子部では第1部隊長として戦っていた、昭和28年(1953年)の4月のことです。当時、文京支部は折伏の戦いで低迷していた。全国の最下位クラスになっていました。その状況を見かねた戸田先生が、急遽、私を支部長代理に任命されたのです。
 支部の代表が集まった最初の班長会で題目を三唱しました。でも、皆の声がどうしてもそろわない。もう一回行ったけれども、合わなかった。3回目も同じでした。結局、10回ほど繰り返して、ようやく題目の声がそろいました。
 有名な「異体同心事」には、「百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず」(同1463ページ)と仰せです。
 形式ではない。一切を揺り動かす根幹の祈りを定め、心を合わせていくことが、広布の戦《いくさ》に勝ちゆくための原動力なのです。
 そして、私は英雄ナポレオンの合言葉が「前進」だったことを紹介し、「わが文京支部は、『前進』の魂を断固と燃やそう! 『前進』を合言葉としよう!」と訴えました。そして、皆で「前進!」と大声で宣言しようと提案したのです。
 「声仏事を為す」です。最初は弱々しい声でした。しかし、最後には、皆が呼吸を合わせて「前進!」と心から叫ぶことができた。そこからです。壁を破る新たな団結の行進が始まったのは!
 私は徹底して、支部のメンバー一人一人と会っていきました。
 当時の組織はタテ線だから、神奈川の橋本(現・相模原市)や保土ケ谷方面など、支部員もあちこちに散在している。私は、そうしたメンバーを全力で励まし、電光石火で手を打っていった。
 そして、その年の12月には、全国が目を見張る、第一級の拡大の成果を残すことができたのです。
 皆の一念が広宣流布へ向かって一致団結するならば、必ず突破口は開ける。大宇宙の法則に連なり、諸天も動かすことができる。同志の心を結び、敵さえも味方に変えて、「大同団結」させていけるのが、妙法の祈りなのです。

 ※トインビーの言葉は『二十一世紀ヘの対話』。

人材の城を! 善き友とつながれ

我らは「異体」にして「同心」。自分らしく広布のために「使命の舞」を舞うのです。

 ──今、男子部の創価班や牙城会の大学校生、また女子部の白蓮グループや華陽リーダー、さらに学生部のビクトリー・リーダーなど、最前線のニューパワーの友が生き生きと友人との対話に取り組んでいます。
 「先輩や同志などの仲間と共に学会活動に取り組むことが本当に楽しい」といった声が、たくさん寄せられています。

名誉会長 全部、うかがっています。本当によく頑張ってくれている。すごいことです。
 陰で後輩のために労を惜しまず、尽力してくれている先輩の皆さん方にも、心から感謝したい。
 いつもいつも、ありがとう! 同志は力です。南アフリカのマンデラ元大統領も、27年半に及ぶ獄中闘争に耐え、勝てた力は「仲間」であったと語られています。
 「仲間とともにいれば、決心は強化される」「知っていること、学んだことをすべて共有し、そうすることによって、各人の持っている勇気を倍加させた」と。
 善き友を尊敬し、信頼する。共に学び合い、切磋琢磨する。そして明確な目標を立てて、一緒に勝ち進んでいく。そこに、皆の満足と自信が生まれます。
        †
 ──先月は、台湾で素晴らしい青年平和文化祭が行われました。沖縄青年部の代表も友情出演し、見事な演技を披露しました。

名誉会長 すべてが百点満点の偉大な文化祭でした。台湾広布50周年を、若き連帯で荘厳してくれ、草創の先輩方も、どれほど喜んでおられたことか。
 台湾の同志は、厳しい試練も「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)の御聖訓を抱きしめて耐え抜いてきました。今年も、内政部から連続17回目となる「社会優良団体賞」を受賞するなど、絶大なる信頼を勝ち得ています。
 沖縄も「一番苦労したところが一番幸福になる」との希望と誇りに燃えて前進してきました。広宣流布のモデル地帯として、地域社会への友好の拡大も目覚ましい。
 その台湾と沖縄の後継の青年部が、「笑顔で勝つ!」「勢いで勝つ!」「団結で勝つ!」と、平和と文化の舞を繰り広げてくれた。こんな嬉しい絵巻はありません。

 ──友情出演した沖縄の青年部員が、「文化祭で異体同心の団結の強さをあらためて実感しました。台湾青年部と一体になって、歌い、舞い、大感動の舞台でした」と目を輝かせて語っていました。

名誉会長
 沖縄は、先日、大きな台風に見舞われましたが、青年を先頭に力を合わせて復旧に立ち上がっておられることも全部うかがっています。試練を勝ち越え、あの伝統の「カチャーシー」の舞を、沖縄の同志の皆様と一緒に、私も踊りたい。
 カチャーシーは、それぞれが自由奔放に舞いながら、しかも、全体として絶妙に調和がとれています。まさに、異体同心の姿です。
 「異体同心」の団結とは、それぞれの個性を抑えつけることではありません。皆がありのままの姿で、自分の個性を伸び伸びと発揮しつつ、広宣流布のために共に「使命の舞」を舞っていく。それが「異体同心」なのです。
 「異体異心」ではバラバラです。
 「同体同心」では全体主義です。
 そうではなく、「異体」にして「同心」です。自分らしく「桜梅桃李」のそのままで、広布に尽くしていけばいいんです。
 城の石垣が、どれ一つとっても同じ形がないように、異なったものが互いを補い、組み合わさった時、崩れないものができあがる。
 だから強い。そして美しい。
 「人材の城を築け」──これが、戸田先生の遺言でした。
 広宣流布の城に、必要のない人など、一人もいません。皆が「宝の人材」です。誰もが、なくてはならない存在です。その一人一人を真心から大切にしていく積み重ねによってこそ、難攻不落の大城が出来上がるのです。
        †
 ──団結をつくる上では、リーダーの一念が大切ですね。

名誉会長 その通りです。
 御書には、「軍《いくさ》には大将軍を魂とす大将軍をく(臆)しぬれば歩兵《つわもの》臆病なり」(1219ページ)と仰せです。
 青年部のリーダーも、広宣流布の大将軍として、雄渾なる名指揮をお願いしたい。自身が成長していけば、人は必ずついてきます。
 昭和31年(1956年)、“大阪の戦い”の中、私が青年リーダーと確認し合ったことがあります。
 「一人一人のことを思い浮かべて真剣に祈ろう! それが“百人が一歩前進する”力となる」と。
 皆のためにリーダーがいる──そう決めて祈り、戦えば、自分自身の壁も大きく突破できる。境涯が開ける。
 大事なことは、真実のリーダーシップとは、民衆の中で、民衆と共に、民衆のために、汗まみれ、泥まみれになって、戦い抜く中でのみ、鍛えられるということです。
 このことを、アメリカ公民権運動の指導者キング博士の盟友でもあった歴史学者のハーディング博士と、私は語り合いました。
 それは、アラバマ州モンゴメリーでのバス・ボイコット運動の歴史です。“大阪の戦い”とちょうど同じころ、私たちの敬愛するローザ・パークスさんが、差別的な「人種隔離バス」に抗議を示したことから始まった人権闘争です。
 長年にわたり続けられた不公平な差別に、一人の女性が敢然と「ノー!」の声を上げました。その非暴力の勇気に皆が続き、団結の力で、黒人の隔離は違憲であるという判決を勝ち取ったのです。
 この運動の指導者となったのが若きキング博士です。
 ハーディング博士は洞察されていました。
 「ローザ・パークスさんのような人々がいたからこそ、彼(キング博士)は自らのリーダーシップの能力を発見し、その勇気をさらに大きく引き出すことができたのです」
 「キングは民衆から勇気を得て、民衆もまたキングから勇気を得ました。両者は、常に互いに与え合う関係にあったのです」
 民衆を鼓舞したキング博士は、不退の決意を固めて団結して戦う民衆によって鼓舞されたのです。団結した民衆が、偉大なる指導者とその力を生み出したといってよい。民衆こそ大地なのです。
 偉大なるもの──その名は「民衆」です。その「団結」です。
        †
 ──世界のいずこをみても、内紛や分裂が渦巻いています。
 「異体同心」の人間の結合を、変わることなく貫き通すことは、奇跡の中の奇跡です。

名誉会長 その奇跡を創るのが、信心です。題目の力です。題目に勝るものはありません。
 日蓮大聖人は、題目の力用について、「一切衆生の心中の仏性を唯一音《ひとこえ》に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり」(御書557ページ)と仰せです。
 そして、その譬えとして、籠の中の鳥が鳴けば、それに呼ばれて空を飛ぶ鳥たちが集まり、籠の中の鳥も共に外に飛び立とうとするではないか、と示されています。
 皆で題目を朗々と唱え、広宣流布に進みゆく「団結」は、自他共の仏性を引き出し、歓喜の生命を伸びやかに解き放ちながら、一人また一人と、人類の境涯を高めていくことができるのです。
 ともあれ、「異体同心事」には、「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同1463ページ)と結論されています。
 善友とつながること──これが、永遠の勝利の方程式です。
 そして師と共に、同志と共に、勝って勝って勝ちまくってきたのが、創価学会なのです。
 今、わが世界の青年部は、手と手を取り合い、「人間の信頼」と「生命の尊厳」の新たなスクラムを力強く組み始めました。
 人類の希望と輝く「平和と共生の世紀」に、勝利の旗を晴れ晴れと打ち立てゆくことを、私は祈り、待っています。

 ※マンデラの言葉は東江一紀訳『自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝(下)』(日本放送出版協会)。
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2012-10-05 : 若き君へ :
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若き君へ 新時代の主役に語る 第5回

若き君へ 新時代の主役に語る

第5回 心も体も健《すこ》やかに  (2012.7.25/26/27付 聖教新聞)

賢明に生きるための信心です

健康の4モットー

 ①張りのある勤行
 ②無理とムダのない生活
 ③献身の行動
 ④教養ある食生活

名誉会長 「九州北部豪雨」で被災された皆様方に、重ねてお見舞い申上げます。
 熊本県、福岡県、大分県、佐賀県を中心にした広範な地域が甚大な被害を受けました。あの懐かしく、心美しき人びとの天地が──と思うと胸が痛みます。
 その中で、わが同志は、被災者の支援と激励に奮闘してくださっています。青年部の「かたし隊」の大活躍も、よく伺っています。暑い中での作業であり、さぞかし大変でしょう。本当にありがとうございます。
 御聖訓に「災《わざわい》来るとも変じて幸《さいわい》と為らん」(御書979ページ)と仰せのごとく、苦難に断じて負けない復旧と生活の再建を、私も毎日、真剣に祈っております。

 ──被災された同志の方々も、池田先生からのお見舞いの御伝言を胸に立ち上がっています。
 梅雨が明けて、いよいよ夏本番ですが、今後も局地的な豪雨や台風への備えが必要です。厳しい暑さが続くので、熱中症にも注意しなければなりません。疲れがたまって、体調も崩しがちです。
 そこで今回は「健康」をテーマに伺いたいと思います。青年部は、結成の月から師子奮迅の勢いで前進しており、その勢いを、さらに大きく着実なものにするためにも、健康は大切だと思います。

名誉会長 その通りだね。「健康」は宝です。私の青春時代は、病気との闘いの連続でした。結核で随分苦しんだ。ですから、健康が、どれほど大切か、ありがたいか、身に染みて感じてきました。
 それだけに、未来部、青年部の皆さんには、同じ苦しみを絶対に味わわせたくない。できることならば、一人ももれなく、頑健で、思う存分に若い生命を満喫してもらいたい。これが私の願いです。
 今まさに、病と闘っている友もいるでしょう。断じて勝ち越えていただきたい。生きて、生きて、生き抜いて、今世の偉大なる使命を堂々と果たし切っていただきたい。わが友に襲いかかる病魔よ、立ち去れと、私は祈り抜いています。

 ──池田先生の励ましのもと、創価学会の庭で元気な同志と共に生きゆく中で、生命力を湧き立たせ、健康を勝ち開くことができたという体験は数え切れません。

名誉会長 うれしいことです。先日も、インドの友から、青年部のメンバーが、社会の各界のリーダーとなって、目覚ましい活躍をされている様子を伺いました。
 思えば、インドを独立に導いたマハトマ・ガンジーは「真の健康」の意義について、「真理と正義の理想を不撓不屈で追求してゆくことなのです」と語っています。「健康」とは戦う生命だと言うのです。
 ガンジー自身、若き日から非暴力の大闘争を貫きました。断食を重ねて体を痛めつけ、何度も投獄されて、なお、78歳で凶弾に倒れるまで戦い抜いております。
 広宣流布という最高の「真理と正義の理想」へ前進する皆さんは、若き「健康の王者」なのです。人のため、社会のため、未来のため、わが生命を燃やして価値を創造していくところに、真実の健康は光るといってよいでしょう。

 ──池田先生は、かねてより、21世紀は「健康の世紀」「生命の世紀」と提唱され、現代化学の父ライナス・ポーリング博士ら多くの識者と語り合われてきました。
 時代は、その通りに「健康」がますます焦点となってきました。

名誉会長 皆が「生き生きと健康に」、そして誰もが「若々しく長寿で」、勝利の人生を飾る21世紀としたい。
 今、「健康」は、「生きる意味」や「生きがい」を実感できているかどうか、という観点からも深く見直されている。いわゆる「生の質(クオリティー・オブ・ライフ)」が、総合的に問われる時代に入っています。それは、「生命の尊厳」と「平和の探求」にも連動しています。
 御聖訓には、「人身は受けがたし爪の上の土・人身は持《たも》ちがたし草の上の露」(同1173ページ)と仰せです。
 この世に生まれ、人間として生きていること、それ自体が、本来、奇跡のように尊いことです。
 まして、尊い使命を自覚して、深い生きがいを感じながら、価値ある一日一日を生き切ることは、無上の幸福です。仏法は、釈尊以来、このことを一貫して目指している。生き抜く力を奮い起こし、究極の生命力を湧き上がらせていく智慧と実践を教えています。
 若くして仏法の「色心不二」「本有の生死」の生命哲学を受持した皆さんは、まさしく「新時代の人間主義のパイオニア(開拓者)」なのです。

 ──仏典には当時の最先端であったインド医学の精髄も記されています。仏教医学という分野も生まれて研究されているほどです。

名誉会長 民衆の「生きる力」を引き出すのが「仏」です。ゆえに仏法では、仏を「大医王」に譬えているのです。
 なかんずく法華経には、「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」(創価学会版法華経602ページ)と明かされています。
 天台大師は、この妙法の大良薬を弘める仏を、“単に病気を治すだけではなく、病気になる以前よりも、一段と健康に、一層、元気はつらつにする最高の医師”に譬えています。
 病気を転機として、より丈夫になり、より深い境涯を開いて、より力強く人々を励ましていける。まさに「変毒為薬」できるのです。
 ですから、若い時に思いもよらず病気に直面しても、驚いたり落胆したりしてはなりません。
 「若いんだから必ず乗り越えられる。そして、この病を通して、偉大な長寿の人生を勝ち開いてみせる」と心を決め、強く朗らかに立ち向かっていただきたいのです。
        †
 ──ここで、池田先生が以前、示してくださった「健康の4モットー」を、あらためて確認したいと思います。
 ①張りのある勤行
 ②無理とムダのない生活
 ③献身の行動
 ④教養ある食生活
 健康のポイントを、簡潔にして明瞭に教えていただきました。
 若者の体調不良の原因は、さまざまありますが、中でも多いのは睡眠不足だと思います。
 深夜までの残業などがありますし、つい夜更かしをして、疲れをためてしまう場合もあります。
 「無理とムダのない生活」が、本当に大切ですね。

名誉会長 仕事をやり切って、活動にも挑戦する──尊い青春です。しかし、無理は続かない。
 「仏法と申すは道理なり」(御書1169ページ)です。賢明に価値創造を重ねていくための信心です。
 ゆえに、自分が自分の「医王」となって、道理の軌道の上から、どう現実に「生きる力」を強めていくか、知恵を具体的に発揮していかなければなりません。
 天台大師の『摩詞止観』には、病気の原因について大きく6つの角度から述べられ、日蓮大聖人も引用されています(同1009ページ)。
 第1は、「四大が不順で、調和しないゆえに病む」です。例えば、気候の不順などの外界の変化によって、四大で構成されている身体の調和が乱れることです。仏法では「地・水・火・風」の「四大」が仮に和合し、人間の体を構成していると考える。その調和が乱れ、病気を引き起こすと見るのです。
 第2は、「飲食の不摂生のゆえに病む」です。食生活の乱れのことです。
 第3は、「座禅が調わないゆえに病む」です。落ち着かず、集中して物事に当たれないことです。姿勢の悪さや呼吸の乱れなどによるものとされます。広く見れば、生活のリズムの乱れといえる。
 第4は、「鬼《き》が便りを得るゆえに病む」です。「鬼」とは、現代的にいえば、外界から襲いかかる細菌やウイルス、さらに精神的なストレスも含まれます。
 第5は「魔の所為」。生命に内在する衝動や欲望等が心身の正常な働きを混乱させることです。
 そして、第6は「業の起こるゆえに病む」です。過去からの生命のゆがみが現れて病気になることです。
 1400年も前に言われたことだけど、現代でも十分に納得できる明晰な洞察です。

 ──はい、すごいと思います。第3項目の“生活のリズム”をつくる意味でも、睡眠は大切ですね。

名誉会長 そう。疲れを取るには、まず、ぐっすり眠ることです。
 生死を繰り返す人間の生命にあって、「眠り」は一種の「小さな死」ともいえましょう。よき眠りは、生命の奥底の次元に立ち返り、その宇宙大の広がりに戻って、色心を蘇生させるものです。だから、生命力が充電される。
 そして、朝を勢いよく出発することです。清々しく早起きできれば、心にゆとりができる。気持ちもいいし、頭も回転する。
 文豪ゲーテの家庭医も務めた、ドイツの医学者フーフェラントは、「さわやかな朝ほど、人間が自分固有の存在感を純粋かつ完璧に満喫する時点はほかにけっしてないのですから、この時点をなおざりにする人は、自分の人生の青少年期をなおざりにしているのですよ!」と戒めていました。
 この朝の勝利王こそ、聖教新聞を配達してくださっている「無冠の友」の皆さんです。
 人間の体内時計は、24時間よりも少し長いのですが、これをリセットしてくれるのは「朝の光」です。朝の日光をしっかり浴びることで、生活のリズムが整えられます。
 もちろん、仕事の状況などでかなわない場合もあるでしょうが、その中でも、充実した「生活のリズム」をどう創り出していくか、ここに信心の底力が輝きます。
 朝晩の勤行は、まさに宇宙の大法則と合致した勝利の一日のリズムを創ってくれるのです。
        †
 ──はい。一番の急所です。
 あと細かいことになりますが、寝る直前には、パソコンやテレビ等の光る画面を見ないほうがいいとも聞きました。適度な運動も、心身をリフレッシュしてくれます。疲労回復には、入浴も効果的です。

名誉会長 その通りだね。
 私も男子部時代、メンバーと一緒に銭湯に入りながら、青年拡大への作戦を練りました。
 一日の疲れも取れるので、いいアイデアも湧いた。何より、心を開いて語り合うことができて、同志の団結も強まりました。

 ──腹ぺこでいることを、なぜか、池田先生が見抜いてくださって(笑い)食事をご馳走していただいたという思い出を持つ先輩たちも多いです。

名誉会長 「食は命」です。
 御書には「食には三つの働きがあり、第一には生命を継続させ、第二には体や顔の色つやを増し、第三には心身の力を盛んにする」(1598ページ、趣意)と仰せです。
 ですから、お母さん方をはじめ、真心を込めて食事を作ってくださる方々、さらに食を支える農漁業に携わる方々に、私たちは感謝を忘れてはなりません。
 仏法では、人間生命を「聖道正器《しょうどうしょうき》」、正しく尊い行動をする大切な器だと見る。一人一人、自分ならではの尊い使命をもって生まれてきたのです。
 それを果たすためにも心身ともに健康であることが大事です。そう考えると、食事も立派な仏道修行といえるのです。

 ──「飲食の不摂生のゆえに病む」は、本当にそうだと思います。体に良くないと分かっているのに、夜遅く食べたり、つい食べ過ぎたり……(笑い)。
 反対に、女性に多いようですが「痩せ過ぎ」なども問題になっています。

名誉会長 健康であれば明るい笑顔も広がる。どこまでも「健康第一」でお願いします。そのための「食」であっていただきたい。
 先のガンジーは言っています。
 「人は、食事のしかたに応じた人間になる」と。
 たとえ質素な食事であったとしても、栄養バランスを工夫して一食一食を大切に食べれば、その人は、宝の生命を守る「最も尊貴な人」になっていくのです。

 ──今回のお話の関連で、「睡眠をしっかりとる」「朝の日光を浴びる」「バランスよく栄養をとる」「軽い運動をする」は、心の健康を保つ上でも大事だと指摘されます。

名誉会長 すべての青年部の健康、成長、大勝利を、妻と共に祈っています。若き皆さんが、心も体も健やかに、一日一日を勝ち進みゆくことを願ってやみません。

妙法は最強の「生命の大良薬」

病気だから不健康ではない。
健康は、自分自身の前向きな生き方の中にある


 ──草創の先輩から、青年室長の池田先生と一緒に“一高寮歌”を歌った思い出を伺いました。
 先生は、旧制第一高等学校に学んだ若き逸材がこの歌に込めた心意気を語られながら、青年部を励ましてくださったというのです。
 「君たちが立派な指導者になるために道を開いていくことが、私の使命です。青年部を幸福にし、広布実現の大人材にするために、私は生まれてきたんです」と。
 先生が、若き日から一貫して、一身に大難を受け切られ、青年部の私たちの幸福と健康と成長を祈って戦い続けてくださっていることに、胸が熱くなります。

名誉会長 ありがとう。
 「若き君たちの勝利のために生まれてきた」──この真情は、今もいささかも変わりません。
 私は若い時に病気を経験したことで、同じように病に苦しむ人の気持ちが深く分かるようになった。そうした人々に同苦して、心から励ましていける自分になれました。それ自体が、信心の冥益であり、福運であると思っています。
        †
 ──先生の『若き日の日記』を読みますと、例えば22歳の時には「身体の疲労重なる。調子、頗る悪し」「身体、痩せてくる。自分でよくわかる。病魔に負けては、絶対にならぬ」等と綴られています。戸田先生の事業が苦境に陥り、その打開のために池田先生が一人、奔走されていた時のことです。

名誉会長 医師からは「30歳まで生きられないだろう」と言われました。だからこそ、いつ倒れても悔いのないように、一日一日を真剣勝負で生き抜きました。
 そんな私の体を、戸田先生は本当に心配してくださった。
 ある時は、学会本部の御本尊に一緒に祈ってくださり、「生命力が弱っている。弱っていては戦《いくさ》は負けだぞ」と厳しく叱咤してくださった。本当にありがたい師匠でした。
 その師匠に何としてもお応えするのだと、私は命がけで戦った。
 当時、時間を見つけては御書を拝し、日記に書き留めて心肝に染めていきました。
 その一節に、「つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし」(御書1124ページ)があります。
 これは、わが子の病と闘う門下を励まされた御聖訓です。
 信心の真髄は「けなげ」すなわち「勇気」です。私も戸田先生の弟子として、渾身の勇気を奮い起こし、病魔と死魔に挑みました。とともに、師匠と学会に襲いかかる一切の障魔を、信心の利剣で叩き切る決心で、祈り、戦いました。
 そして今なお、元気に世界広布の指揮を執っていることを、戸田先生がどれほど驚き喜んでくださるか。すべて、師弟不二の闘争に徹し抜いたゆえの「更賜寿命」(更に寿命を賜う)の大功徳です。

 ──池田先生が病気を乗り越えて、前人未到の「平和」と「文化」と「教育」の大偉業を成し遂げられたことは、闘病中の青年たちへの最大の励ましです。

名誉会長 「生老病死」は誰も逃れられない。その意味で、一生が病との闘いです。ゆえに、病気を恐れることはない。しかし、侮ってもいけません。迅速に具体的な治療に励むことが大切です。
 御聖訓には「この病は仏のお計らいだろうか。そのわけは、浄名経、涅槃経には病がある人は仏になると説かれている。病によって仏道を求める心は起こるものである」(同1480ページ、通解)と御断言です。
 病気という苦難を糧にして、自分の信心を強め、境涯を深め広げていくことができるのです。
 病気との闘いは、妙法に照らして、永遠の次元から見れば、すべてが幸福になり、勝利するための試練です。病気だから、不健康なのではありません。他人や社会から決められるものでもない。
 健康は、何があっても負けない自分自身の前向きな生き方の中にこそあるのです。
 皆さんには偉大な使命があります。希望に燃えて、絶対に生き抜いていただきたい。断じて健康になり、病気と闘う多くの人を励ましてもらいたい。
 「生老病死」の苦しみを転じて、最高の「常楽我浄」の人生を勝ち抜いていくのです。これが「創価」の生命です。
 私も真剣に祈っています。祈り通して、一人ももれなく元気になるのを待っています。
        †
 ──日蓮大聖人の門下にも、病気と闘う多くの人がいました。そうした弟子たちに対して、さまざまな励ましを送られています。

名誉会長 その通りです。青年門下の南条時光が重い病に倒れた際には、全魂を振り絞るようにして「法華証明抄」を記され、渾身の励ましを送られています。
 弘安5年(1282年)2月、時光は24歳の若武者でした。
 大聖人は時光に仰せです。
 「(信心強盛であるあなたが)もはや仏に成ることは間違いないと見えたからこそ、天魔や外道が病にさせて脅そうと、こころみているのでしょう」(同1587ページ、通解)
 時光は、熱原の法難の際にも、勇敢な信心を貫き、矢面に立って同志を守り抜いてきました。
 病気になることは、決して敗北などではない。信心が弱いからでもない。広宣流布に生き抜く中で起きた病気という苦難は、成仏を阻もうとする魔の働きである。ゆえに、怯んではならない。
 勇敢に立ち向かって、一生成仏を勝ち開いていく勇気を教えられているのです。
 大事なことは、病気になった時にこそ、いよいよ強盛の大信力を奮い起こしていくことです。
 今こそ、信心の偉大な力を発揮するのだ! 人間として大きく飛躍するのだ! と腹を決めて、題目を唱えていくのです。

 ──重い病気にかかると、つい心も弱くなってしまいがちです。

名誉会長 「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(同1124ページ)です。
 あらゆる病苦を打開する根源の力が、妙法にはある。妙法は最強の「生命の大良薬」です。戸田先生もよく「人間の体は一大製薬工場だ」と言われていました。
 今、受けている治療が最高の効果を発揮していくよう、全身に仏の大生命力を現して病魔を打ち破っていくよう、祈り抜き、祈り切ることです。信心を根本に戦っていくならば、必ず一切を変毒為薬できます。

 ──自分の親や家族が病気であったり、長く入院していたり、といったメンバーもいます。

名誉会長 家族の病気というのは、時には自分の病気にもましてつらい。わが家も、父がリウマチで倒れました。父が働けなくなったことで、家業(海苔の養殖・製造)も傾いていきました。
 家族の誰かが病気だと、一家は灯が消えたようになってしまう。
 しかし、「妙とは蘇生の義」(同947ページ)です。
 大聖人は、病気の家族を抱えた門下に、こう仰せです。
 「それは、決して鬼神の仕業ではないでしょう。十羅刹女が、信心の強さをお試しなのでしょう」(同1544ページ、趣意)
 諸天善神が守らないわけがない。絶対に一家で乗り越えられると励ましてくださっています。
 御書には、「大闇をば日輪(=太陽)やぶる」「法華経は日輪のごとし」(1114ページ)とも仰せです。
 妙法を唱え、実践する私たちの胸中には、赫々たる希望の太陽が昇る。あらゆる闇を打ち晴らし、どんな宿命の鉄鎖をも断ち切っていけるのです。
 たとえ、家族が信心していなかったとしても、一家で一人、自分が希望の太陽と輝いて、家族を照らしていける。幸福の方向へ、皆が強くなる方向へ、導いていくことができるのです。
 自他共の病気との闘いの中で、人間として本当に輝く健康体を勝ち取っていくことができる。
 ゆえに、一切を御本尊に任せて祈るのです。臆さず、粘り強く、戦うのです。断じて負けてはいけない。一歩も退いてはいけない。
 最後は必ず勝利するのだから!

人生には全て意味がある!

皆、仏法の偉大さの証明者。
ゆえに自身の病気との闘いも即「広宣流布」の使命の戦い


 ──現在の医学では完治が不可能とされる難病もあります。そろした病気を抱えながらも、信心根本に、はつらつと前進し、多くの人に勇気を送っているメンバーもいます。

名誉会長 偉いね。尊いことです。戦う人は、すでに勝利しているのです。
 病に屈しない君たちこそ「人間の英雄」なり! 「幸福の博士」なり! 「生命の勝者」なり! と私は讃えたい。
 大乗経典である「維摩経」には、在家の菩薩である維摩詰が登場します。「法華経」や「御義口伝」を英訳してくださったバートン・ワトソン博士とも、この維摩詰について語り合いました。
 ある時、維摩詰が病気になる。お見舞いに訪れた文殊師利は、「あなたはなぜ病気になったのですか」と聞きます。
 病床に伏していた維摩詰は語ります。
 「一切衆生が病む故に、私も病むのです。もし一切衆生の病が消えるならば、私の病も消えるでしょう」「菩薩の病は大慈悲から生じるのです」と。
 ここに、仏法における菩薩の究極の精神が示されている。あらゆる人の苦しみを我が苦しみとし、同苦し、それを共に乗り越えていく。そのためにあえて、自らも病気の姿を現しているのだと言うのです。
 仏法では「願兼於業《がんけんおごう》」と説く。他の人を救うために、自ら願ってこの悪世に生まれ、宿業と戦う。そして、自らの生き方、振る舞いを通して仏法の偉大さ、人間生命の尊厳と広大無辺の可能性を人々に教えていくのです。
 その人にしか救えない人が、必ずいるのです。その人にとっては、眼前の病気との闘いこそが、即「一生成仏」と「広宣流布」の崇高な使命の戦いなんです。
 今世の勝利は三世の勝利です。未来永遠に、色心ともに最高に頑健で幸福な境涯を築いていけることは、絶対に間違いありません。
 今、妙法を持《たも》った、若き医学者や薬学者、また医療技術者、さらに看護師の友も、立派に大活躍してくれています。
 創価の青年は、「生命の世紀」「健康の世紀」の先頭に立って、無限の智慧とバイタリティーで社会をリードしていただきたい。
        †
 ──現代社会は「ストレス社会」と言われます。職場の人間関係や労働環境などが原因で、心身ともに体調を崩す人が増えています。
 20代、30代の青年も例外ではありません。不況の影響もあって、雇用環境も不安定になっています。ギスギスした職場の雰囲気や成果へのプレッシャー、将来への不安等も、大きなストレスになっているのではないかと思います。

名誉会長 たしかに、難しい時代です。若い皆さん方は、今まで以上に、緻密に、また忍耐強く、人生の舵をとっていくことが要請されているといっても過言ではないでしょう。
 だからこそ、朗々たる勤行・唱題で負けじ魂の生命力を発揮していただきたい。また良き同志と、仲良く明るく励まし合い、支え合いながら、前進していただきたい。学会の世界は、幸福と希望の安全地帯ですから!
 カナダ・モントリオール大学のシマー博士、ブルジョ博士と発刊した鼎談集でも、このストレスのことを語り合いました。
 医学の分野で初めて「ストレス」という概念を確立したのが、このモントリオール大学で研究をしていたハンス・セリエ博士です。
 ブルジョ博士は言われました。
 「セリエの重要な業績は、ストレスのプラス面を指摘したことです。彼は『ストレスはそれ自体、病気でもないし、必ずしも病気の原因になるというわけでもない』と言っています。ストレスのプラス面は、自分自身を外部の脅威から守るために必要な活力を結集し、創造力を発揮する点にあります」と。
 セリエ博士自身は、ストレスを“人生のスパイス”とも呼んでいました。要するに、ストレス自体は、どうやっても避けることはできないし、それ自体は善でも悪でもない。むしろ、適度なストレスを生かすことによって、自分の能力を引き出し、高めていくことができるということでしょう。
 こうした考え方は、仏法の「煩悩即菩提」の哲理にも通じるところがあります。
 御書には、「鉄は鍛え打てば剣となる」(958ページ、通解)、また「難来るを以て安楽と意得可きなり」(同750ページ)等と記されています。
 悩みがあるから、成長できる。苦難があるから、強くなれる。よりいっそう大きな境涯を築いていけるのだと教えられています。

 ──はい。婦人部をはじめ、学会の多くの先輩方の姿から、そうした不屈の信心を学ぶことができます。大変な時こそ「よしきた!」と腹を決めて、祈り、生き生きと学会活動に挑戦していく。そうした姿から、いつも限りない勇気をいただきます。

名誉会長 セリエ博士は、がんと闘った自身の経験をもとに、“他者に尽くすことが、そのまま自分にもプラスになるような生き方をすること”が大切だと論じていました。
 これこそ、まさに仏法で説く菩薩道の生き方です。学会活動です。友の幸福を願い、妙法の偉大さを語っていく。それがそのまま、自分自身の福運となり、功徳になる。人間革命と宿命転換の原動力になります。
 自分が悩みながらも、人に尽くしていく。自分が苦しみながらも、法のため、友のため、広宣流布のために行動していくのです。その粘り強い積み重ねの中で、自分の仏の生命が湧現し、磨かれ、鍛えられる。環境も大きく変えていくことができます。これが仏法の「自行化他」の偉大な力用です。

 ──うつ病など心の病で、なかなか人に会うこともできない、という人もいます。

名誉会長 長い人生だし、決して焦る必要はありません。専門家に相談して、じっくりと適切な治療を行っていただきたい。
 皆、いろいろな状況がある。一律に「こうすればいい」という処方箋はありません。
 でも、一点。妙法を持《たも》った皆さんが不幸になることは絶対にないと、私は断言できます。
 周りの人は、病気で苦しむ本人を温かく、また長い目で見守りながら、ご家族に真心からの励ましを送っていただきたい。
 側で支えてくださっている方々は大変です。時には工夫して、休息をとっていただきたい。
 心の病を抱えた人を大切にすることは、本当に深い慈悲の境涯を開いていくことです。豊かな人間性の社会を築いていくことです。
 ともあれ、悩んだ人ほど偉大になれる。つらい思いをした人ほど、多くの人を救っていける。偉大な使命があるんです。これが仏法です。菩薩道の人生です。
 戸田先生は「時には、“貧乏菩薩”や“病気菩薩”のように見えるかもしれない。しかし、それは人生の劇を演じているんだよ。正真正銘の地涌の菩薩なんだ」と、よく言われていた。
 また「大病を患った人は人生の深さを知っている」と語っておられた。全部、意味があるのです。
 日蓮大聖人は「三千大千世界(大宇宙)に満ちる珍宝をもってしても、命に替えることはできない」(同1075ページ、通解)と仰せです。病気の姿を現していても、その生命の偉大さ、尊さ、素晴らしさには何の変わりもありません。皆さん全員が、一人も残らず、最高に尊貴な宝の存在なのです。
 法華経の涌出品では、「無量千万億」の地涌の菩薩が一斉に躍り出ます。その地涌の菩薩の一人一人は「身は皆な金色にして、三十二相・無量の光明あり」(創価学会版法華経452ページ)と形容されています。
 それは、現実から、かけ離れたおとぎ話の世界ではありません。
 妙法を唱え、勇気凛々と広宣流布に走りゆく皆さん方のありのままの若き生命の輝きこそが、世界を照らし、悪世末法の闇を打ち破る黄金の光明なのです。
 この創価の青年に躍動する妙法の色心の力を、家庭に、地域に、社会に、生き生きと蘇らせていってください。そこにこそ、現代の世界を蘇らせゆく「希望の原動力」があるからです。
 さあ、青年部伝統の「人材育成の夏」です! みんな元気で! 皆が元気であることが、私の喜びです。朗らかに健康・無事故で、共々に勝っていきましょう!

 ブルジョ博士の言葉は『健康と人生──生老病死を語る』(潮出版社)。
2012-08-13 : 若き君へ :
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若き君へ 新時代の主役に語る 第4回 新社会人に贈る

若き君へ 新時代の主役に語る

第4回 新社会人に贈る
             (2012.5.22/23/24付 聖教新聞)

新しい人材の活躍こそ社会の希望

仕事と信心は別々ではない。仕事を最大に充実させる原動力が、信心なのです。

名誉会長 はじめに、先日(5月6日)の竜巻で被災された茨城、栃木の皆様方に、あらためて心からお見舞いを申し上げます。
 本当に甚大な被害でした。私も強盛に題目を送っています。
 わが尊き友が懸命に復旧に当たられている様子を、胸を熱くして、うかがいました。青年部をはじめ多くの同志が応援に駆けつけてくださっていることも、感謝に堪えません。

 ──池田先生と同じ心で、私たちも、全同志の健康、絶対の無事故を真剣に祈ってまいります。
 慌ただしく新年度がスタートして、はや2カ月、新社会人として生活を始めたメンバーも、数多く奮闘しています。また、新しい職場や新たな立場になった人もいます。
 今回は、ぜひ、フレッシュマンたちに励ましのエールをいただければと思います。

名誉会長 自分が希望する仕事に就いた人も、そうでない人もいるでしょう。でも、私は全ての新出発の友に、心から「おめでとう!」と申し上げたい。
 私のところにも、多くの報告や決意が寄せられています。それぞれが、本当に凛々しく清々しい。
 この真剣な新人たちの息吹こそ、職場を生き生きと発展させゆく力です。「新しい時代」の「新しい人材」が活躍しゆくことこそ、社会の宝であり、希望です。
 みんな、体調は大丈夫か。朝ごはんは、ちゃんと食べているか。睡眠はとれているか……。
 新社会人の皆さんが、健康で、元気はつらつと、悔いのない一日一日を前進していかれることを、私は祈りに祈り抜いています。
 先輩たちから大いに学びながら、たくましく明るく、新鮮な力を発揮していってください。
 もちろん、最初からうまくいく人なんていません。失敗もある。叱られることもあるでしょう。「この仕事は向いてない」と悩む時もあるかもしれない。
 でも、皆さんには、張り切って第一歩を踏み出した「初心」がある。大事なのは「今」の決心です。「これから」の行動です。
 この仏法の「本因妙」の精神を、アメリカのジャズ音楽家のウェイン・ショーターさんは、実践的に、「初心を忘れないこと」と捉えていました。「初心」を堅持していく生命は、みずみずしく創造力を湧き立たせていけます。
 皆さんには、「絶対勝利」の信仰があります。
 「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)と記されている通り、決意して行動を開始した人は、現状がどうあれ、すでに勝つ因をつくった人です。私は未来の勝利者の皆さんに、最大の祝福を贈りたいのです。
        †
 ──仕事で全く知らない土地へ移ったり、寮に入ったり、生活環境が大きく変わったりする場合があります。忙しくて学会活動はもとより、勤行・唱題も、ままならなくなることがあります。

名誉会長 新出発をした皆さんに申し上げたいのは、ともかく「焦らないで」ということです。また「粘り強く」ということです。要領が悪くたってかまいません。人と比べる必要もない。一つ一つ眼前の課題にベストを尽くしながら、足元を固めていくことです。
 自らやってみて、その上で、自分一人ではできないことがあれば、人に素直にお願いすることも、よく分からないことを率直に尋ねることも、社会人として大事な条件です。
 「教えてください」と、先輩たちにぶつかっていく青年は、ぐんぐん力をつけていきます。
 誰もが乗り越えてきた道なのだから、心配することはありません。何かあれば、信頼できる先輩に相談してください。
 御書には「助ける者が強ければ倒れない」(1468ページ、通解)と仰せです。学会は、最も心強い「善知識」の世界です。
 忙しくて、なかなか会合に出られなくても、思うように題目があげられなくても、同志と連携を取り合っていくことが、どれほど支えになり、励みになるか。まさに福運あふれる“幸福の安全地帯”です。
 だから絶対に離れてはいけません。少しでも縁していこうという心が大事です。
 新社会人の友を受け入れる地域の方々には、どうか温かく迎えていただくよう、お願いします。
 日蓮大聖人は、「御みやづかいを法華経とをぼしめせ、『一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず』とは此れなり」(同1295ページ)と仰せになられました。
 自分の仕事を法華経の修行であると思っていきなさい。現実社会のあらゆる営みは、全部、妙法と合致するものなのですと、教えてくださっています。
 どんな仕事であれ、どんな立場であれ、題目を唱える自分自身が智慧を出し、力を尽くして、世のため、人のため、誠実に価値を創造していく。それは、全て「心の財」を積む仏道修行になります。
 仕事と信心は、別々ではない。
 むしろ、仕事を最大に充実させていく原動力が、信心であり、学会活動なのです。

 ──大聖人が門下に「御みやづかいを法華経」と教えられたのは、御自身に3度目となる流罪の迫害が加えられるかもしれないという緊迫した状況の中でした。

名誉会長 その通りです。大聖人は、もし3度の流罪となれば「百千万億倍のさいわいなり」(同ページ)と悠然と見下ろされながら、弟子たちに自らの使命の職場で、一歩も引かずに、断固として勝利の実証を示し切っていくように、励まされたのです。
 この御聖訓通りに戦って自身を鍛え上げてきたのが、学会の誇り高き伝統です。
 草創期、職場で信心に反対されることが多かった先輩たちは、「信心は一人前、仕事は三人前」と歯を食いしばって、両方とも頑張ってきました。「仕事で実証を示してみせる!」と祈り抜き、仕事をやり切ってきました。
 大変だからこそ、策によらず、真っ正面から腹を決めて祈って、人の何倍も努力し抜いたんです。
 さらに今も、「仏法即社会」「仏法即勝負」の戦いを毅然と続けている、わが社会部、専門部の方々の勝利の体験を、私は感銘深くうかがっています。
 仕事の姿勢には、その人の人生観も人間観も表れる。「何のために」生きるのかという一念が表れる。その最も深く、最も強く、最も正しい一念こそが、信心です。
 皆さんには、広宣流布という、世界の平和と人類の幸福を実現しゆく究極の大目的がある。「広宣流布」という世界一の大願に立って、自らの日々の仕事に全力で挑むこと──それが「御みやづかいを法華経」の心です。
 「世界一の大願」に向かって戦う一人の青年として、「この仕事で世界一の自分にさせてください」「世界一の職場にさせてください」「世界一の会社にさせてください」と大きく強く祈ることです。
 信心は、一個の人間としての実力となって発揮されます。真剣に祈り抜き、勉強し、精進し、創意工夫して、若いエネルギーを仕事にぶつけていく。そうして出た結果が、その時の最高の結果です。思うようにいかなければ、また祈って挑戦し、開拓すればいいんです。私もそうしてきました。
 世界一の師匠に薫陶を受けているのだから、世界一の仕事をするのだ。世界一の戸田先生を仕事で宣揚してみせるのだと、私は祈り、働きました。
 ともあれ、会社の大小や職場の環境で、自分の仕事や人生の勝ち負けは決まらない。全て自分です。自身の一念で決まるのです。
 仕事と活動については、また、じっくり語り合おう。

「朝に勝つ」人が人生の勝者です

単調で地味に見える基本を着実に身につけてこそ 大きく飛翔する力となる

 ──3月の語らいで、「あいさつ」の大切さを教えていただき、新社会人の皆さんにも、その実践を呼びかけていただきました。
 企業のトップの方からも、本当に創価の青年は清々しい、爽やかだ等の声が寄せられています。

名誉会長 「あいさつ」は、瞬時に心と心を結びます。相手が初対面であっても、苦手なタイプであっても、心は通い合う。
 相手があいさつを返さなくても、構いません。あいさつは、自分から先にした方が勝ちです。人を尊敬できる人が尊敬される人です。明るく誠実に、心を込めてあいさつできる人が、偉い人です。あいさつは境涯の芸術です。
 「おはようございます!」「こんにちは、よろしくお願いします!」「ありがとうございます!」
 どうせ、声を出すんだから、元気にやれば、お互いに気持ちがいいじゃないか。その生命の勢いが、一日の勝利の扉を大きく開きます。
 どんどん、あいさつしていくんです。どんどん、味方を増やすのです。相手の心の諸天善神を呼び起こすんです。もちろん、声が出せない状況なら、目礼でもいい。
 私が21歳で戸田先生の会社に入って実践したことがあります。
 一つは、元気いっぱいのあいさつで先輩方を迎えることでした。
 もう一つは、毎朝、始業時間の30分前には出勤して、職場を清掃することです。
 元気なあいさつが響く会社は、発展します。職場がよく整理されている会社は、事故が無くなる。
 戸田先生をお守りするために、先生の事業を発展させるために、誰に言われなくとも、私は実行しました。
 朝が勝負です。朝で決まる。
 戸田先生も「職場に遅れて来て、上司に叱られるような人間は偉くなれない。特に、新入社員として信用を積んでいくためには、朝早く出勤するべきだ」と語っておられた。
 一日に勝つための生命の暁鐘が、朝の勤行・唱題です。
 信心をしているからこそ、一日の出発を勝つ。そして、人生に勝利していくのだ──先生は、こう指導されたのです。
        †
 ──仕事で失敗して、すっかり自信を失ってしまうこともあります。

名誉会長 失敗は、敗北ではありません。いな、青年には、失敗や悩みは、前進の証拠です。前に進んでいるからこそ、向かい風がある。転ぶこともある。でも、それで下を向いてしまわない。また立ち上がるのです。
 アメリカの大事業家であり、映画人でもあったウォルト・ディズニーは語っています。
 「私は失敗した。だがそこで多くの事を学んだ。若いころにひどい目に会い、失敗する事は重要なんだって、思うね」

 ──30年前、先生は長崎で、大切なお皿を誤って割ってしまった人のことを通して、指導してくださったことがあります。
 取り返しのつかない失敗をしてしまった。どうお詫びしようかと身を小さくしていた人に、先生は「自分で悩んだのだから許されるんだよ」と励まされました。

名誉会長 そうだったね。これは、戸田先生の教えです。
 ある青年が電車に乗り遅れて、大事な会合に大幅に遅れてしまったことがありました。その人は青い顔をしてお詫びの言葉を探していました。戸田先生は厳しい方でしたから、どんなに叱られるかと、周りもドキドキしていた。
 すると先生は、「もういいよ。自分で悩み、苦しみ、それで償われているのだから、何も言うことはないよ」と語られました。
 先生は、反省している青年の心をくみとってくださったのです。

 ──池田先生は、戸田先生のエピソードを紹介され、「反省し、苦しんでいる人を、責めるような心の狭い人ではいけない。指導者は、人々の心をよく知っていかなければならない」と教えてくださいました。長崎の同志が大切にしているご指導です。

名誉会長 皿を割ってしまった人は、その失敗を原点として、本当にけなげに頑張ってきました。30年経った今も、その時のことを忘れず、「恩返しを」との心で後輩たちを励ましてくれている。私は「偉いな」と見守っています。
 若い皆さんは、失敗を恐れないでほしい。もちろん失敗したら、反省は大切です。だからといって落ち込んで、それにひきずられては、何にもならない。一切が勉強であり、いくらでも取り返せるんだから。クヨクヨしてはいけない。
 「失敗は成功の母」です。「挑戦しないこと」──それが、青春の唯一の敗北だと、私は思う。
        †
 ──実際に仕事を始めてみると「自分が想像していたのと違っていた。このままでいいのだろうか」と疑問に思うこともあります。「この仕事は自分には向いていない」と決めて、早々に辞めてしまう場合もあるようです。

名誉会長 まず大事なのは、自分一人で抱え込んで、早まって結論を出してしまわないことです。そういう時こそ、信頼できる人に、よく相談することです。
 そもそも、はじめから自分の希望通りの仕事ができる人は、多くありません。夢と現実の落差に愕然とすることもあるでしょう。
 単調で地味に見える基本を、着実に身につけてこそ、将来、大きく飛翔するための力となる。人がいやがる仕事や、陰の地道な仕事ほど、人間は磨かれます。
 私も戸田先生の会社に入った時は、少年雑誌の編集者として勤め始めました。大好きな仕事でしたし、やりがいも感じていました。
 ところが、先生の事業はやがて経営不振に陥りました。私がやることになったのは、全く畑違いで、最も苦手とする金融の営業でした。しかし、どうせ働くならば、この道の第一人者になろうと泣くような思いで努力しました。毎日が死に物狂いで、家に帰っても、しばらく動けないほど疲れ果てました。肺を病んでいたから、本当に苦しかった。
 でも、その命がけの戦いがあったからこそ、戸田先生の事業を再建することができた。そこから、かけがえのない人間学を学ぶこともできました。広宣流布の師匠のために戦い、永遠に消えない福運を積むこともできました。
 どこにあっても、受け身ではなく、職場の主体者、責任者の自覚に立つことです。そうすれば、辛いこともあるだろうが、喜びも大きい。まして、仕事で自分を磨けたら、これ以上に楽しいことはない。職場を、ただ、給料をもらうためだけの場にしてしまっては、もったいない。
 私は、よく「十年一剣を磨け」と申し上げてきました。一つのことに徹すれば、着実に力がつく。たとえ、自分に不向きだと思った仕事でも、一つ一つ、無我夢中でやり遂げていく中で、自分でも気づかなかった秘められた天分が見つかることがある。
 私が何度も語り合い、深い親交を結んだ、松下電器(現・パナソニック)の創業者・松下幸之助翁も述べておられた。
 「一事を貫くということは、非常にむずかしいようであるけれども、いちばんそれが効率的やな。ああでもないこうでもないと迷って、転々とする人がある。転々とする人は転々としたことによって成功するという場合もあるけど、概して失敗が多い」と。
 一事は万事に通じている。一事を貫く中で万事を学び、全てに勝利する力がついていくのです。
 ともかく、戸田先生は、「仕事に左右されるな。仕事を左右せよ」と言われました。
 環境に振り回されるのではなく、自分が環境を変えていくのです。いかなる烈風にも揺るがぬ富士の如く、何ものにも負けない自分自身をつくることです。

 ※ディズニーの言葉は『ウォルト・ディズニー 夢をかなえる100の言葉』(ぴあ株式会社)。松下幸之助の言葉は『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』(PHP研究所)。

じっとこらえて今に見ろ!

私の宝は「妙法」と「師弟」 そして「誠実」です。どこまでも誠実一路で行こう



 ──今は派遣社員やアルバイトなど、非正規の雇用が増大しています。社会的にみると、非正社員の割合は全体の3分の1以上に達していますし、特に、10代後半の若者の非正規雇用の比率は、近年では、実に7割以上とも言われています。
 こうした非正規雇用においては、給料や社会保障などの待遇面で、正規雇用とは大きな差があることが指摘されています。
 ただ反対に、正社員になったばかりに、過酷な長時間労働が待っていたというケースもあります。

名誉会長 青年を大切にしない国に未来はない。若者が希望を持って働いていける社会を、真剣につくっていかなければなりません。これは最重要の課題です。
 不安定な立場で、先の見えない中、働かねばならない苦しさは、痛いほど分かります。
 次元は異なりますが、戦争中、10代半ばの私は、鉄工所で旋盤工を務めました。
 血豆や切り傷、小さな火傷などは日常茶飯事で、危険と隣り合わせの仕事です。油にまみれ、汗だくになり、神経を鋭く張りつめながら、懸命に働き通しました。
 本当にきつい仕事でした。
 この時、体で覚えた機械工作の基礎的な技術は、その後、直接、生かす場面はありませんでした。しかし、人生を深く思索していく上で、また苦労している仲間の気持ちを知り、励ましていく上で、どれだけ役立ってきたか、計り知れません。どんな労苦も決して無駄にはならないことを、私は断言できます。
 いわんや、皆さん方は「御みやづかいを法華経」(御書1295ページ)と決めた、偉大な使命の青春です。今、どこで、どのように働くとしても、それは必ず広宣流布に連動していきます。
 自分で決めたところが、自分の“使命の舞台”となり、“人間革命の道場”となります。
 「足下に泉あり」です。まずは今いる職場で、「自分らしく戦い切った」という努力と結果を残していくことです。
 そこから、勝利の人生を絶対に開いていけるからです。見てくれている人は必ずいます。
 また、自営の家業を継ぐために働き始めた人もいるでしょう。「はたらく」とは「はた楽」、つまり「はた(周囲)の人を楽にすること」だと言われてきた。働いてお父さん、お母さんに喜んでもらうことは、最高の親孝行です。最高の人間の振る舞いです。偉大なる仏法の実践です。
 食を支え、命を育む農業・漁業を継いだ、わが農漁光部の頼もしい青年たちも、本当によく奮闘してくれている。厳しい社会情勢のなかで、地域になくてはならない「希望の灯台」と光っています。
        †
 ──池田先生が19歳で戸田先生にお会いした直後に詠まれた詩「希望に燃えて」を支えにして、頑張り抜いてこられた先輩方のお話をうかがいました。この詩は、今の私たちにも、何よりの励ましであり、不変の指針ですので、ここで朗読させていただき
たいと思います。

 希望に燃えて 怒濤に向い
 たとい貧しき 身なりとも
 人が笑おが あざけよが
 じっとこらえて 今に見ろ

 まずは働け 若さの限り
 なかには 侮《あなど》る者もあろ
 されどニッコリ 心は燃えて
 強く正しく わが途《みち》進め

 苦難の道を 悠々と
 明るく微笑み 大空仰ぎゃ
 見ゆる未来の 希望峰
 ぼくは進むぞ また今日も

名誉会長 ありがとう。
 思えば、日蓮大聖人の門下も、逆境をはね返して、職場で勝利の実証を示してきました。
 四条金吾は、正しき信仰ゆえに同僚から讒言され、冤罪で所領没収の危機に陥るという窮地に追い込まれました。しかし、大聖人の御指導通りに、祈り、行動して、最後は逆に、それまでの3倍の所領を主君から授かりました。
 大聖人は、金吾の振る舞いについても、こまやかに御指南されています。
 「あなたは短気であるから、火の燃えるようなところがある。必ず人に足をすくわれるであろう」(同1169ページ、通解)
 「あなたは確かに怒りっぽい相が、顔にあらわれている。どんなに大事と思っても、短気な者を諸天は守らないということを知りなさい」 (同1171ページ、通解)
 厳しくも、温かい御指導です。大聖人からのお手紙を読んで、金吾が冷や汗をかいていた様子が、目に浮かぶようです。
 さらに大聖人は、金吾に対して次のようにも言われている。
 「世間が過ごしにくいというようなことを嘆いて、人に聞かせてはならない。もし、そのようなことをするならば、賢人から外れたことになります」(同1173ページ、通解)
 「グチをこぼすな!」と誡られているのです。
 このお手紙では、「主君のためにも、仏法のためにも、世間に対する心がけについても、非常に立派だと、鎌倉の人々の口々にいわれるようになりなさい」(同ページ、通解)とも仰せです。
 職場で、広布の舞台で、社会で、全てに勝利しゆけ! 皆から讃えられるような実証を示すのだ! との御本仏の励ましです。
 皆さんの多くの先輩たちも、この御文を自分に与えられたものと受け止めて挑戦してきたのです。
 さらに大聖人は、「心にふかき・えうじん(用心)あるべし」(同1176ページ)等と、繰り返し繰り返し「油断大敵」ということを強調されています。師匠とは、弟子を勝たせるために、あえて厳しく叱咤してくださるのです。
 優れた勇気や才能とともに、多くの欠点も持っていた、人間味あふれる金吾が、何ゆえに仕事で勝利できたのか。
 それは、信心根本に師匠の指導通り真っすぐ実践したからです。
 とりわけ、金吾は、どこまでも仕事に誠実でした。
 大聖人は、金吾の所領加増の報告に対して、「陰徳あれば陽報あり」(同1178ページ)と仰せになられ、「あなたが正直な心で、主君の後生をお助けしたいと思う真心が強く、信心を貫き通してきたので、このような功徳を受けることができたのです」(同ページ、通解)と讃えられています。
 欠点がない人などいない。仕事で壁にぶつからない人もいないでしょう。いじめや嫌がらせなどもあるかもしれない。
 しかし、自分らしく、信心を根本に、大誠実に徹していけば、全てを生かして、必ずいい方向に転じていくことができる。仕事で勝ち、信頼を広げることができる。これが、妙法です。
 私には三つの宝があります。
 一つは、この偉大なる「妙法」です。また「師弟」すなわち師匠である戸田先生と、愛弟子である君たちです。そして「誠実」です。
 どこまでも「誠実一路」で行こう! 朗らかに堂々と勝とう! 仕事で。人生で。
 みんな、私の弟子なのだから。最後は必ず勝てる!
2012-05-24 : 若き君へ :
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若き君へ 新時代の主役に語る 第3回

若き君へ 新時代の主役に語る

第3回 人間を結べ! つながりは力
             (2012.3.27/28/29付 聖教新聞)

これまで以上に幸福に!

最も苦しむ人の心に、寄り添い続けるのが仏

 ──東日本大震災から1年、被災地の同志は、池田先生が震災直後から贈り続けてくださった励ましを抱きしめ、苦難に耐えて、厳しい現実と戦ってきました。
 東北は、聖教新聞の拡大でも全国模範の拡大を成し遂げました。「師匠の大激励に、せめてもの恩返しを」との思いから、皆で頑張った結晶です。新入会の友も相次ぎ誕生し、東北から新たな広布のうねりが巻き起こっています。

名誉会長 東北の尊き同志の奮闘は、よく、伺っています。本当にありがたいことです。
 先日(3月18日)、宮城県、岩手県、福島県を中心に行われた「青年教学1級」の追加試験にも、真剣に取り組み、実に立派な歴史を残してくれました。これも、「行学の二道」の鑑として、必ずや光り輝いていくでしょう。
 日蓮大聖人は、「大難《だいなん》来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(御書1448ページ)と言われました。
 何ものも恐れない、何ものにも屈しない。どんな苦しみも喜びに変えられる──この信心こそ、究極の「心の財」です。
 東北の同志は、未曽有の苦難に、“今こそ信心だ”と歯を食いしばって、不屈の魂で立ち上がられた。この金剛不壊の信心という「心の財」に、黄金の如くダイヤモンドの如く、無量の輝きが備わっていくのです。負けない心、たくましい生命力、広々とした境涯、豊かな福運、みずみずしい智慧、温かな人間性……要するに、風雪を越えた堂々たる人格です。
 そうした人格に触れれば、皆がほっとする。安堵する。希望が湧いてくる。元気になる。
 人に希望を贈ると、自分の希望は減るだろうか。相手が明るくなった姿に、自分もまた力をもらうはずです。それは、「心の財」を分かち合っているからでしょう。「心の財」は、分かち合えば合うほど、増えるのです。
 南米チリの大詩人ネルーダは、「人間とのつながりは、私を豊かにしてくれる大地」と謳っています。大地震で苦しんだチリの同志も、火山灰の被害が広がった隣のアルゼンチンの同志も、皆で手を携えて乗り越えています。
 励まし合い、支え合い、分かち合うなかでこそ、「心の財」は、よりいっそう輝きを増すのです。
 東北の同志は「心の財」の大長者です。人と人のつながりを一段と強め、さらに広げて大偉業の歴史を残しておられる。
 大聖人が、どれほど誉め讃えてくださっていることか。
 私の胸には、「未来までの・ものがたりなに事か・これにすぎ候べき」(同1086ページ)との御文が、東北の団結への御賞讃として響いてきます。
 「信心は東北に学べ!」という時代が来ました。
 御聖訓には「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」「心の財をつませ給うべし」(同1173ページ)と仰せです。
 「心の財第一」で生き抜かれてきた東北家族の福徳は無量無辺です。
        †
 ──今月は、春季彼岸勤行法要が、全国の主要な会館、墓園・納骨堂などで厳粛に行われました。
 震災で犠牲になった全ての方への追善とともに、被害を受けた方々の安穏、被災地域の復興を真剣に祈念する会座となりました。

名誉会長 「常彼岸」「常盆」と言われるように、私たちは毎日の勤行・唱題で、朝な夕なに、亡き家族も先祖も追善しております。これほど深い孝養はありません。
 私と妻も、東北の同志の健康と長寿と勝利、そして1日も早い復興を強盛に祈り抜いています。
 大聖人は、家族を亡くした門下に、温かな励ましを贈り続けてくださいました。
 南条時光の弟である七郎五郎が16歳の若さで亡くなった時には、母の上野尼御前に真心の手紙を送り、共に悲しまれ、同苦された。
 亡くなってから1年以上、大聖人が、御自身の最期まで、一人の青年を追悼された御手紙は、分かっているだけで、10通近くになります。
 肉親を亡くした悲嘆、とりわけ、わが子を亡くした母の悲しみは、時とともに薄れたりはしないことを、ご存じだったと拝されてなりません。
 最も苦しんでいる人、最も苦労している人の心に、ずっと寄り添う。これが御本仏のお心です。学会精神であり、東北の心意気です。
 「上野殿母御前御返事」では「(七郎五郎殿は)南無妙法蓮華経と唱えて仏になられたのです」(同1570ページ、通解)と断言されるとともに、こう綴られています。
 「悲母であるあなたがわが子を恋しくお思いなら、南無妙法蓮華経とお唱えになって、亡き夫の南条兵衛七郎殿、亡き子の七郎五郎殿と同じ一所《ひとつところ》に生まれようと願っていってください。(中略)三人が顔をお揃えになる時の、そのお悦びは、どれほどか嬉しく思われることでしょう」(同ページ、通解)
 妙法に生き抜いていくならば、生前、苦楽を共にした家族と必ず会えるとの仰せです。死をもってしても、妙法の家族の絆は断ち切れない。たとえ先立たれることがあっても、生命はつながっています。三世永遠の妙法の絆で、親子一体、夫婦一体です。わが胸中に厳然と生きて、見守ってくれています。いつも一緒です。
 夫の高橋殿を亡くした妙心尼には「ご夫君は、誰も訪れない草葉《くさば》の陰で、この娑婆に残した幼子らの行方を聞きたがっているでしょう。しかし、あなたが唱えている題目の妙の文字が仏の使いとなり、娑婆のことを冥途に伝えているから大丈夫です」(同1483ページ、趣意)とも仰せになっています。
 ですから、御本尊を拝すれば、いつでも心の対話ができます。題目を唱えれば、“無線”のように生命は通じます。
 亡くなった家族や友人のためにも、広宣流布のために生きて、生き抜いて、これまで以上に自分が幸せになっていただきたい。それが、最高の追善となるからです。
        †
 ──今回の震災を通し、学会員の励ましの行動が、識者の方から、あらためて評価されています。仙台白百合女子大学の大坂純教授は、「学会には人と人とを『つなぐ力』があります。つながったとき、人は強くなるのです」「創価学会が活躍して、社会の中に温かな『つながりの力』を満たしていただきたい」と期待を寄せてくださっています。

名誉会長 温かな、また深い教授のご理解に心から感謝します。
 東北は、もともと地域で助け合う伝統が生きており、「人のつながり」が豊かな天地です。その地域のつながりが、復興の大きな推進力と光っています。
 一方で、従来の地縁や血縁を頼りにするだけでは乗り越えられない課題があることも、この未曽有の震災で浮き彫りになりました。公的な復興への取り組みが、なかなか進まないと指摘される中で、ボランティアの方々の活躍には目を見張るものがあります。全国各地から集まったボランティアの中には、その地に直接ゆかりのない方々も多くおられたでしょう。
 私たちも、会館での被災者の受け入れや、さまざまな救援活動をするに当たって、学会員であるか否かにかかわらず、目の前の困っている方、苦しんでいる方に手を差し伸べてきました。
 それまで、つながりのなかった人たちも、共に力を合わせて問題を解決していく。それでこそ、これまでにない力が発揮され、初めて問題が解決できる──そういう時代に入ってきたのではないかと、私は思います。
 識者の方々が私どもへ寄せてくださっている大きな期待も、従来の「つながり」を強めることはもとより、新たなつながりを広げていく。しかも、そのつながりが温かな励ましと希望に満ちたものであることに注目されているのではないでしょうか。
 17世紀、スペインを代表する思想家グラシアンは語りました。
 「友垣《ともがき》とは逆境からの唯一の救出策であり、魂の安らぎでもある」
 苦悩に沈む人が立ち上がれるまで祈り、励まし続ける。古い友情を大切に、新しい友情を結ぶ。そうした人のつながりから、また新たな価値を創造する──私たち「創価」の真骨頂です。

※グラシアンの言葉は東谷頴人訳『処世の智恵』(白水社)。

「人のため」に今、何ができるか


青年の連帯が時代を変え、新しい価値を創造する


 ──池田先生は、ハーバード大学の著名な宗教学者ハービー・コックス博士と、仏法とキリスト教を結ぶ対話を重ねられ、『21世紀の平和と宗教を語る』を刊行されています。
 博士は「宗教(レリジョン)とは、本来、『再び結び付けること』を意味します。人と人との絆を、もう一度、取り戻すこと。そこにこそ、現代における宗教の果たすべき役割もあると思います」と述べ、創価の運動に期待を寄せられています。

名誉会長 真の知性の方との忘れ得ぬ対話です。
 仏教は、社会の大きな転換期に、その歩みを開始しました。
 釈尊の時代は、いくつもの大国が林立し、それまでの地縁・血縁の濃い社会から、いわば、つながりの薄い、多種多様な人々が集まる社会が拡大していました。
 そこで、釈尊は「一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。また全世界に対して無量の慈しみの意《こころ》を起すべし」と説いています。それは、一次元からいえば、“慈愛と信頼で結ばれた社会をつくろう”という呼びかけだったともいえるでしょう。
 新たな「人のつながり」が求められた時代──世界は文明の伝播とともに、こうした歴史の潮流に入っていきます。その要請に応え得る仏教は、世界へと広まっていく力を備えていたといえます。
 わが師・戸田城聖先生は、そうした仏教の世界性を踏まえつつ、私たち青年に「地球民族主義」の理念を提唱してくださいました。
 先生は、未来を託す少年少女の会合でも、こう語られています。
 「将来、誰もが幸せを噛みしめることができて、国境や民族の壁のない地球民族主義の平和な世界を築かねばならない」
 エゴイズムといった、生命に巣食う魔の働きは、人と人の間に「壁」をつくり、分断します。これに対し、生命尊厳、人間尊敬の内なる仏の働きは、分断の「壁」を取り払い、人と人を結びます。
 戸田先生は、冷戦という東西の巨大な障壁が立ちはだかる中で、青年が、まず身近なところから、人間を隔てる「壁」を破る対話に打って出ることを教えてくださったのです。
 現代の世界は、地球環境の問題をはじめ紛争、貧困、格差など、一人では当然のこと、一国でも解決できないし、国と国の政治・経済の次元だけでも解決できない問題が山積みです。今こそ、いかなる壁も破りゆく、民衆に根を張った「つながりの力」が必要です。これが世界を変える希望です。
 わが192力国・地域のSGIの平和の連帯、とりわけ次代を担う青年部の皆さんの「つなぐ力」に皆が感嘆しています。人類が、青年と青年の「連帯の力」を待望しているのです。そこから、時代を変革しゆく、新しい価値創造が始まるからです。
        †
 ──東北学生部が昨年夏、東北6県の学生を対象に行った震災意識調査の結果が反響を呼びました。それによると、「何のために働くのか」との問いに、震災前は「お金を得るため」「生活の安定のため」などと考えていた人が43%を超えていました。震災後では「人のため」「社会貢献のため」という答えの方が多くなり、約22%から35%超へと格段に増えています。

名誉会長 自分のことだけではなく、人のために、何か社会のためになるように働きたい──人や社会との「つながり」を大切にしていこうと、多くの青年が考えるようになったといえるでしょう。私は、新たな青年文化の台頭を予感します。
 それだけに、これまでにもまして、人間主義の仏法が求められる時代が到来していると思う。
 なぜ、東北の同志は、自分が大変なのに、人のために尽くせるのか──それは、日頃から「法のため」「人のため」「社会のため」という、立正安国の精神を心に刻み、実践してきたからです。
 「何のために生きるのか」──その問いに明確に答えて、「人間の絆」を蘇生させていけるのが、日蓮大聖人の仏法です。

 ──青年が今、陸続と学会に入会しているのも、「何のため」という問いに、確かな答えがあるからだと思います。

名誉会長 その通りだね。
 自分のことばかりに汲々としていると、何を、どうしたらいいかは、なかなか見えてこない。しかし発想を変えて、「人のために、社会のために、今、何ができるか」と考えれば、やるべきことがはっきり見えてくる。
 御書には、「人のために明かりを灯せば、自分の前も明るくなる」(1598㌻、通解)と示されています。
 目の前の苦しんでいる一人の人に手を差し伸べ、世の中で困っていることを解決するために、具体的な一歩を踏み出す。その中で、自分の夢も、進むべき人生の道も見えてくる。何より心が決まる。
 人は「他人を支えている」ようで、実は「支えられている」のです。「人を助ける」ことで「自分が助けられる」のです。これは、仏教が展開する縁起的な世界観に通じるものといえましょう。
 ロシアの文豪トルストイも、「この人生における疑う余地のないただひとつの幸福は、他人のために生きることである」と言っています。

 ──でも、何をどこから始めればいいのか、わからないという声もあります。

名誉会長
 難しく考える必要はありません。まず、青年らしく率直に語り合うことから、始めればいいんです。
 「はじめに対話ありき」です。一切の価値創造は、「対話」から始まります。
 大仏法を持《たも》った青年たちによる「対話」が、力ある行動を生み、慈愛と信頼のネットワークを広げる。「対話」こそ「人のつながり」の起点であり、結合力なのです。
 今月の座談会の拝読御書として研鑽した「諸法実相抄」の結論には、「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(1361ページ)と仰せです。持てる力の限り、自分らしく誠実に対話をし、「一人」の心の変革を促すことです。目覚めた一人一人の連帯を結ぶところから、時代を変革する力が結集されます。

 ──東北に応援に行った青年たちからも、「少しでも役に立てばと行ったのに、かえって東北の方の温かさや強さに触れて多くを学び、自分の人生観が変わった」という声が寄せられています。

名誉会長 応援に駆けつけてくれている友に、私からも重ねて「尊い地涌の菩薩の行動、本当にありがとう! ご苦労さま」と申し上げたい。
 人を幸福にできる人が、真に幸福な人です。
 仏道の根幹は菩薩の実践です。
 菩薩の実践の全ての基本は、「あらゆる人を救いたい」との「衆生無辺誓願度」という誓いです。
 縁する人を全て幸せに。それが実現してこそ、自身の真の幸福、成仏もあるのだ──そう決めて智慧を尽くし、身を粉にして戦う。
 その最も優れた手本が、法華経に登場する不軽菩薩です。
 「あなたにも幸せになる力がある。一緒にその力を発揮していきましょう」と、あらゆる迫害や反発に耐え、訴え続けて仏となりました。不軽菩薩は、釈尊自身の過去の修行の姿です。
 大聖人も、この不軽菩薩の実践を、生涯、貫かれたのです。
 「他人だけが不幸」はありえない。と同時に「自分だけが幸福」もありえない。ならば「人を幸せにする」ことが「自分が幸福になる道」です。自他共に幸福を勝ち開いていく。ここに、法華経の真髄の行動があります。これが、我らの学会精神です。

※コックスの言葉は『21世紀の平和と宗教を語る』(潮出版社)。釈尊の言葉は中村元訳『ブッダのことば』(岩波書店)。トルストイの言葉は小沼文彦訳編『トルストイの言葉』(彌生書房)。

「話せばわかる」「話せば変わる」

祈り、動き、語る。その積み重ねの中で、強く賢く大きくなれる


 ──八王子の創価大学では、「法華経──平和と共生のメッセージ」展(東洋哲学研究所主催)が開幕しました。ぜひ友人にも見せたいと思います。

名誉会長 展示では、「法華経の七譬」も紹介されています。
 その一つ「衣裏珠の譬え」は、友情を根底とした譬喩です。
 すなわち、貧窮した友を見かねた親友が、その友が寝ている間に衣の裏に、価がつけられないほどの宝の珠を縫い付けて、所用のために立ち去った。貧窮の友は気づかないまま、その後も苦悩の流転を続けてしまう。
 やがて再会した時に、親友から、衣の裏にある宝の珠の存在を告げられ、初めて大歓喜するという物語です。
 この価がつけられないほどの宝の珠とは、仏性を賢えています。衣の裏とは、生命の奥底ということです。万人の胸中に、もともと尊極な仏性が具わっていることを象徴しています。
 その自らの仏の生命に目覚めて、「歓喜の中の大歓喜」の人生を生きゆくことを教えているのが法華経です。そして、その歓喜の自覚は、友情の対話によって呼び起こされていくのです。
 法華経展の会場である創大の記念講堂には、文豪トルストイの像も立っています。
 文豪は人類愛の精神の闘争で、人間と人間を結び、世界平和を実現しようとしました。だからこそ、もがいて苦しんだ。
 自分を含め、なぜ人は自己中心的でバラバラに生きているのか、と。
 そして、こう結論して、自分の大理想を貫き通しました。
 「彼等と私は一つである。現在生きて居り、嘗《かつ》て生き、また将来生きるであろう人々も一つなのだ、──私と一つなのだ。そして私は彼等によって生き、彼等は私によって生きているのだ」
 仏法に通じる人間観です。自分に縁ある人とは、三世にわたってつながっている。自他不二です。
 ゆえに互いに励まし合い、仏の生命という最高無上の宝を光らせながら、価値ある有意義な人生を生き抜いていくことです。
 他者の人生を輝かせれば、自分の人生も輝く。その「つながり」を実感するのが対話です。「対話の道」が、自他共の「歓喜の道」であり「幸福の道」なのです。
        †
 ──なかなか対話のきっかけがつかめない、という青年の声も聞きます。

名誉会長 あいさつは、それ自体、素晴らしい対話です。
 かの釈尊も「自分から語りかける人」だったと言われています。あせらず、臆さず、元気なあいさつから始めればいいのです。
 「おはようございます!」「こんにちは!」と、さわやかに声をかける。明るくはつらつと接する。それだけで声をかけられた人はうれしい。信頼関係も築かれる。
 気持ちのよい「あいさつ」──私自身、近所でも、職場でも、また学会活動の中でも、きちんとあいさつをしようと決めて、実践してきました。
 大田区山王のアパート「秀山荘」に引っ越した時も、「このたび越してまいりました池田です」「今後ともお世話になりますが、どうかよろしくお願い致します」と名刺を持って、近所へごあいさつに回りました。
 多くの来客がありましたので、近隣の迷惑にならないよう配慮しました。妻がよく、気を配ってくれました。そうして結んだご近所との信頼関係は、貴重な人生の財産となりました。
 友好拡大といっても、広宣流布といっても、すべて足もとから始まります。また、近隣の方々との交流というのは、自分の心を豊かにしてくれる。生活に温かみが出てくるし、何ともいえない安心感も生まれる。
 来月から新社会人としてスタートするメンバーもいるでしょう。次回あらためて語り合いたいと思いますが、職場や地域で信頼を勝ち得ていく上でも、さわやかな「あいさつ」が基本です。
 また、身近な人の行動などを見て、「素晴らしいな」と思うことがあるでしょう。その時に一言、声をかけることからも、対話は深まります。他人のいいところは、「素晴らしい!」「感動しました!」と率直に伝えることで、自分の心が相手の心に届いていきます。
 さらに、相手を尊重し、その人から学んでいこうと質問していくことからも、対話は弾みます。
 こちらが良い聞き手になれば、相手自身が気づいていない力まで引き出していけるものです。

 ──ただ、いろんな人がいますし、話が通じないことや、うまくいかないことも多いのですが。

名誉会長 今、対話の達人と言われる先輩たちも、最初はうまくいかなかったんだよ。大丈夫、心配はいりません(笑い)。
 大事なことは、失敗してもクヨクヨしないことです。すべて勉強だと思って、また明るく朗らかに対話していけば、いいんです。
 対話に限らず、何かしようとすれば失敗はあります。失敗は挑戦者の勲章です。恥ずかしく思う必要などありません。
 若いんだから、悔しいこともステップにして、題目をあげて前進してください。「これから、どれだけ成長できるか」──それが、勝負です。
 日蓮大聖人は「この法門を弘めてきたので、他の人とは比べものにならないほど多くの人と会ってきましたが、真にいとおしいという人は、千人に1人もいませんでした」(御書1418ページ、通解)とも仰せになられています。
 御本仏の大きな御境涯から御覧になっても、本当に尊敬できる、信頼できる立派な人は少ないものだと、達観なされているのです。
 いわんや、凡夫と凡夫の人間群の只中で、対話を進めていくことが、どれほどの難事か。一回一回が尊い尊い仏道修行です。
 祈り、動き、語る。また祈り、動き、語る。その積み重ねの中で、自分自身の生命が強く賢く大きくなっていくのです。やがて多くの人を包容し、正しく自在にリードしていける力が、必ず具わっていきます。
        †
 ──池田先生は、世界中の知性の方々と文明を結ぶ壮大な対話を繰り広げてこられました。
 発刊された対談集も、すでに60点を数えますね。今も、各界のリーダーと対談を重ねておられます。

名誉会長 すべて「戸田大学」の卒業生としての行動です。
 御書には、「言葉というのは心の思いを響かせて、声に表したものをいう」(563ページ、通解)と仰せです。声に心が表れる。勇気を出して声を惜しまず、対話を続けていくことです。
 『星の王子さま』で有名なサン=テグジュペリが味わい深い言葉を残しています。
 「真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ」
 また、こうも言っています。
 「他人の心を発見することによって、人は自らを豊富にする。人はなごやかに笑いながら、おたがいに顔を見あう。そのとき、人は似ている、海の広大なのに驚く解放された囚人に」
 自分の世界に閉じこもっていれば、気楽かもしれないけれども、成長もない。孤立してしまえば、真の個性も光らない。
 人と交流してこそ、人生を豊かにしていける。広々と心を開いて、つながっていくことです。
 大聖人の生涯にわたる御化導は「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われます。その「立正安国論」は、主人と客の問答形式で書かれています。一対一の対話です。
 目の前の一人と胸襟を開いて語り合い、共々に生命尊厳の哲理に立って、より良き平和な社会の建設を目指す。この「一人」と「一人」のつながりの拡大によって、現実の世界を「仏国」「宝土」に変えていく。ここに「立正安国」の方程式があります。
 孤独地獄が憂慮される現代に、この真実の人間のつながりを結び広げているのが、創価学会です。
 敬愛する東北の同志を先頭に、青年の湧き立つ熱と力で、信頼のつながりを強めてください。
 若き皆さんが、共々に生きる喜びを漲らせて、勝利の青春道を歩み、希望の新時代を開いていただきたい──これが、私の願いです。

※トルストイの言葉は除村吉太郎訳『トルストイ日記抄』(岩波書店)、現代表記に改めた。サン=テグジュペリの言葉は堀口大學訳「人間の土地」、『世界文学全集77』所収(講談社)。
2012-03-30 : 若き君へ :
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若き君へ 新時代の主役に語る 第2回

若き君へ 新時代の主役に語る

第2回 悩みと向き合う   (2012.2.15/16/17付 聖教新聞)

苦悩は歓喜に変えられる

恩師の大闘争を思えばそんな苦難にも耐えられる。断じて勝ち越えてみせる

 ──先月、掲載された第1回の「若き君へ」には、全国の多くの読者から反響が寄せられました。青年の世代はもちろん、壮年・婦人の方々にも、大きな喜びと感動が広がっています。
 ある男子部員は「池田先生が私自身に語りかけてくれているように思い、感動しました」と綴っていました。
 一人の女子部員からは「家族のことで悩んでいますが、まずは自分自身が成長することの大切さを教えてくださったのだと感じました。きょうから、ここから、私らしく前進していこうと決意ができました」と声が寄せられています。

名誉会長 皆さんが喜んでくれ、私もうれしい。
 青年の喜びこそ、私の最大の喜びです。
 私は幸福にも、青春時代、毎日毎朝のように、恩師・戸田城聖先生から直々に薫陶を頂くことができました。「戸田大学」での一対一の真剣勝負の訓練です。
 できることならば、私も一人一人の青年と直接会って、皆の声に耳を傾け、語り合いたい。一緒に学び合っていきたい。そうした思いを込めて、私は日々、小説『新・人間革命』等を執筆しておりますし、この連載にも臨んでいます。

 ──読者から寄せられたメールには、仕事や職場の人間関係、自身の病気や家族の問題など、さまざまな悩みに直面しながらも、池田先生の励ましを胸に、信心根本に前進する決意が数多く綴られています。そこで、今回は「悩みと向き合う」とのテーマでお話を伺えればと思います。

名誉会長 青春は、誰もが悩みとの戦いです。悩みのない青年など、いない。なかんずく、大いなる希望と使命に生きる魂には、苦悩も大きい。
 悩むことは、強い向上心と責任感の表れです。人間の能力の一つともいえる。人のため、未来のために悩むのは、人間にしかできません。
 私が対談した大歴史学者のトインビー博士も「悩みを通して智は来《きた》る」という古代ギリシャの箴言を、大切にされていました。悩んでこそ、偉大な智慧が光る。
 そもそも仏も、衆生のために「悩む人」です。
 私たちの勤行の「自我偈」の結びには、「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身』とあります。簡潔に言えば、仏は常に、いかにして衆生を無上の道に入らせ、速やかに成仏させるかを、念じ続けているという意義になる。
 どうすれば人々を救えるか。幸福にできるか。悩んで智慧を尽くし、行動を貫くのが「仏」です。

 ──今は、悩みを避けたい、また、真剣に悩む姿を見せるのは、カッコ悪いと考えるような風潮もあります。

名誉会長 それは誰だって、よけいな苦労はしたくない。好きこのんで悩む人はいません。
 ただ、苦労もなく、悩みもなければ、それで幸せか。そうではないでしょう。幸福の実体は、生命の充実です。その本当の充実感とは、悩みに立ち向かい、苦労して勝ち越えていくなかでこそ、得られる。この喜びは、皆が大なり小なり実感しているはずです。
 飛行機だって、翼に強い「向かい風」を受けることで、揚力という力を得て飛翔できる。若き日の苦難の烈風は、わが人生を大きく飛翔させてくれる力です。
 人生には、想像も絶する試練の嵐が襲いかかることがあります。しかし、真っすぐに向き合う勇気があれば、断じて乗り越えられる。その究極の勇気が、信仰です。
 戸田先生は、『巌窟王』の物語(『モンテークリスト伯』)を青年たちに読ませながら、勇気の真髄を教えてくださった。
 嫉妬の悪人たちに陥れられ、無実の罪で牢獄に囚われた青年エドモン・ダンテスの心の動きを通して、先生は言われました。
 「最初は、いつ牢獄から出られるかを問題にして、あくせくしていたが、やがて、一生出られないと分かってきた。
 難を受け、牢獄に入った場合、たとえ出られなくともかまわない。一生涯、戦い通してみせると、死ぬまで覚悟することだ。そうすれば強い。必ず勝っていくのだ」
 これは、戦争中、軍部政府による投獄を、牧口先生にお供して耐え抜いた、戸田先生ご自身の信念でした。この恩師の大闘争を思えば、どんな苦難にも耐えられるし、勝ち越えられないわけがないと、私は一念を定めてきました。
 悩みがあることは、カッコ悪いことではない。むしろ悩みと向き合うことは、人間として誇り高いことです。ゆえに悩みを隠したり、取り繕ったりする必要はありません。青年に見栄などいらない。ありのままでいいんです。

 ──悩んでいるとネクラ(根が暗い)などと言われたりします。

名誉会長 だったら、明るく朗らかに悩めばいいんだよ(笑い)。
 私も青年時代、体が弱かった。貧しかった。時代は荒れ、悩みは尽きなかった。ただ私は、悲観や感傷には決して流されたくありませんでした。
 何があっても、希望に燃えて朗らかに! 悩みがあればあるほど、歯を食いしばりながらも、笑顔で前進する──これが変毒為薬の妙法を持《たも》つ青年の特権です。
 戸田先生は、事業が最悪の苦境に陥った時も、悠然と言われた。
 「私は、かりに地獄に堕ちても平気だよ。なぜならば、地獄の衆生を折伏して、寂光土に変えてみせるからだ。信心とは、この確信だよ」
 私は、この師子王に鍛えられました。だから何も恐れません。
          ☆
 ──若き池田先生が、戸田先生から「人生は悩まねばならぬ。悩んではじめて信心もわかる、偉大な人になるのだ」と励まされたことは、小説『人間革命』第10巻で学びました。昭和31年の「大阪の戦い」の直前のことでした。

名誉会長 その通りです。
 あの戦いは、誰もが勝利は不可能と見ていました。しかし、絶対に負けるわけにはいかない。私は一人、深い苦悩に身をさらしていました。その私の悩みを、師匠は全部、ご存じでした。
 私は、悩んで悩んで、悩み抜きました。戸田先生の構想を実現するために、広宣流布の前進のために、愛する関西の友の幸福のために──何ができるのか。先生だったら今、どうされるのか。
 祈りに祈り、一歩も退かず戦い抜いた。そして関西の同志と共に勝った。
 「“まさか”が実現」です。それはそれは、壮絶な戦いだった。しかし、あれだけ悩んで戦い抜いたからこそ、病弱な私の生命から生き抜く力、勝ち抜く力を湧き立たせることができたともいえる。
 御義口伝には、「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」(御書790ページ)とあります。
 広布のために真剣に悩むことによって、わが身から仏の大生命力を出すことができるのです。
          ☆
 ──仏法では「煩悩即菩提」と説かれますね。

名誉会長 日蓮大聖人は「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火《えか》現前するなり」(同710ページ)と仰せです。
 「煩悩」とは悩みの根源であり、「菩提」とは悟りのことです。悩みを消し去るのではなくて、逆にそれを「燃料」として燃やすことで悟りの智慧の炎が現れる。
 大きな悩みが、自分を大きく成長させるのです。また、悩みがあるから、同じように苦しむ人の気持ちが分かる。その人たちのために、尽くしていくこともできる。
 煩悩「即」菩提の「即」は、単純な「イコール」ではない。
 「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(同732ページ)と示されている通り、「即」の一字は変革の原理です。
 御本尊に強盛に題目を唱え、広布のために粘り強く行動していく時、一切の苦悩は自身を荘厳する財宝に変わる。悩みが深ければ深いほど、苦悩に沈む友の心を照らす希望の光源となるのです。
 女子部国際部の優秀なリーダーたちが、自ら翻訳して届けてくれた手作りの箴言集に、アメリカの詩人フランシス・ハーパーの一節が記されていました。
 「暗闇の先には光がある。現在の苦悩を越えたところに歓喜がある」
 私たちの信心は、あらゆる「苦悩」を「歓喜」へ、「マイナス」を「プラス」へと転じゆく無限の力を持っている。どんな悩みであっても、唱えた題目は、すべて、自身の福運となる。そして自分が成長し、光った分だけ、広宣流布は進むのです。

学べ! 学べ! 苦闘の中からも

心を変えるのは心です。自分が変われば、相手も必ず変わります

 ──東日本大震災より、まもなく1年になります。被災地では、青年たちがさまざまな困難や悩みを抱えながら一歩一歩、復興の先頭に立って奮闘しています。

名誉会長 よく、伺っています。本当に尊いことです。
 私は毎日、亡くなられた方々の追善回向を懇ろに行わせていただいております。とともに、被災された皆様、復興支援に汗する方々の健康幸福、無事安穏、そして、前進勝利を祈っています。
 日本は、国全体の行き詰まりが指摘されて久しい。では、それを転じゆく力は、どこにあるか?
 その底力は、我らの東北にある! 「負げでたまっか」と立ち上がる一人一人の「人間革命」が、絶望から希望へ、苦悩から歓喜へ、一家を、地域を、一国を、未来を変えていく。それこそ、東北健児のスクラムです。
 「恐れや悲観にわれわれの希望を挫かせてはならぬ、われわれの勇気をそがせてはならぬ」
 これは、牧口先生の友人であった、東北出身の世界市民・新渡戸稲造博士の心意気でした。
 今、東北青年部の不屈の貢献に、日本の識者からも、世界の知性からも、深い賞讃の声が寄せられ始めています。
 やがて日本全国、いな全世界が、東北の友に感謝の大喝采を捧げる日がやってくるでしょう。
 「広宣流布の総仕上げは東北健児の手で!」とは、私の願いであり、決意であり、確信です。
 しかし激闘が続けば、疲れ果てることもある。体調が良くない時や気持ちが沈む時だってあるでしょう。今日できなかったことは、明日の元気な自分に託して、休める時は上手に休むことです。
 戦いは長い。焦ることはありません。価値的に行動することです。時には、ゆったりと大空を仰ぎ、大きく深呼吸をしてもらいたい。また良き友と互いの健闘を労《ねぎら》い、讃え合い、守り合うことです。
 苦楽を共にするのが同志です。
 東北の皆様方と、共に苦しみ、共に楽しみ、共々に勝ち栄える。これが、私の決心です。

 ──若い世代の話を聞くと、人間関係で悩んでいる人が多いです。職場や学校などで、周りの人と気が合わないとか、ぶつかってしまうとか……。

名誉会長 どんな悩みでも、本人にとっては、切実な悩みです。
 信頼されて相談を受けた人は、誠実に親身になって応じていただきたい。またプライバシーは、絶対に厳守することです。問題によっては、より経験豊かな、信頼できる先輩に一緒に指導を受けるべきです。
 まあ、どんな世界にも「あの人だけは……」と思うような苦手な人がいるものです。
 私にも、ずいぶん意地悪な先輩がいました。
 友人同士だって、いつもうまくいくわけではない。家庭の中でも悩む。学会の同志の間でも、気が合わない場合もある。
 「四苦八苦」とは、もともと仏法の言葉です。「生老病死」という四つの根本の苦しみに、さらに四つの苦しみが挙げられています。その一つが「怨憎会苦《おんぞうえく》」です。嫌な人に出会い、憎たらしいと思う人とも一緒にやっていかねばならない苦しみです。
 要するに「人間関係の悩み」は、誰でも生きる限り、必ず直面する。一生の課題です。ですから若い皆さんが、多少、人とうまくいかなくても、むしろ勉強だと思って、大きな心で悠々と乗り越えていけばいい。それが自身の成長の土台となるのです。
 「怨憎会苦」が「四苦八苦」の一つであるということは、見方を変えれば、8分の1の苦しみに過ぎない。だから、人間関係の悩みに振り回されて、若い時代に成すべき勉学や研鑽を怠ってしまえば、損をします。
 「人がどうあれ、周りがどうあれ、自分は学び鍛えて前進する」という毅然とした信念だけは、青年として手放してはなりません。
          ☆
 ──今、インターネットやメールなどが悪用されて、青少年が事件に巻き込まれる場合があります。時代は濁り、悪い人間もたくさんいます。

名誉会長 その通りです。
 御書には、「悪知識と申すは甘くかたらひ媚び言《ことば》を巧《たくみ》にして愚癡の人の心を取って善心を破る」(7ページ)と喝破されています。
 悪い人間に誑かされて、自分の善なる心を破られてしまえば、こんな不幸なことはありません。
 賢くならねばいけない。強くならねばいけない。正しき哲学と善き連帯が大事なのです。
 「悪」は「悪」と鋭く見破って、近づけてはならない。愚かなお人好しでは、正義は貫けないし、善の世界を守ることもできません。これが大前提です。

 ──よく、わかりました。そのうえで、家族や友人など、身近な人間関係でも、難しい現実がさまざまにあります。

名誉会長 お互いに凡夫だからね。自分が人間ドラマの名優になるんです。
 戸田先生のもと、女子部の「華陽会」で、『小公子』という小説を学んだことがあります。
 主人公は、アメリカ生まれの快活な少年セドリック。父を亡くし、英国にいる貴族の祖父と一緒に暮らすことになった。高慢で偏屈だった祖父が、純粋で心優しい孫に感化され、温かな気持ちを持つように変わっていくという物語です。
 祖父は皆から敬遠されていましたが、セドリックはその立派な人間性を疑いませんでした。そして、強い尊敬と愛情をもって、粘り強く、しかも明るく祖父と接していきました。その振る舞いが、氷のようだった祖父の心を、徐々に溶かしていったのです。
 戸田先生は、「小公子(セドリック)が祖父を絶対に信頼したことが、意地悪な心を良くし、あらゆる状態を変えていったんだよ」と洞察されました。
 心を変えるのは、心です。自分が変われば、必ず相手も変わります。御義口伝には「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(御書769ページ)と仰せです。
 相手の生命の「仏性」を信じて、心から尊敬していく。大切にしていく。その時は、かりに反発したとしても、実は相手の仏性も、こちらを礼拝し返しているのです。
 人を軽んじる傲慢な人間は、結局、自分も軽んじられる。
 人を尊敬し、その人から何かを学ぼうとする。そうすれば、人生は楽しく豊かになります。そして鏡に映すように、人からも尊敬され、最後は必ず勝つのです。

 ──なかなか思うようにいかない人間関係の中で、つい自信を無くしてしまうこともあります。

名誉会長 だから、祈るのです。祈りは、自分の強き深き一念の力用で、周囲を調和させ、価値創造の働きへ変えゆく究極の力です。
 また、相手のことを祈ることは、仏の振る舞いです。これほど尊く高い生命の位はありません。
 戸田先生も、よく言われました。
 「法華経には『魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る』と説かれる。どんな相手でも、自分の信心を強くしていけば、広宣流布という幸福と正義のために働く存在に変わっていきます。これは不思議なのです。ゆえに、祈れば勝ちだよ」と。
 祈りには、どんな人間関係も、幸福の「仏縁」へ、勝利の「善知識」へと変える力があるのです。

 ──陰で悪口を言う人間などもいますが……。

名誉会長 悪口なんか怖がってはいけない。平然と見下ろしていくのです。どんな偉人だって、さんざん悪口を言われています。
 日蓮大聖人は、御自身を迫害し抜いた権力者・平左衛門尉らのことを悠然と「日蓮が仏にならん第一のかたうど(=味方)」(同917ページ)とまで仰せです。
 戸田先生は、この大境涯を偲ばれながら、「敵など、断じて恐れるな! 全部、自分自身を完成させ、仏にしてくれる、闇の烈風に過ぎない」と叫ばれました。
 誰が何と言おうと、悩んでいる人のために、苦しんでいる人のために、断固として仏の使命を果たしていくのです。

※新渡戸稲造の言葉は佐藤全弘訳「編集余録」、『新渡戸稲造全集』第20巻所収(教文館)

何があっても生き生きと!

「苦楽ともに思い合わせて」題目を唱え、恐れずに前進していくことです


 ──若い女性の悩みで多いのは「人と比べて落ちこんでしまう」ことです。自分の容姿や性格など、「あの人はすごいけど、私はダメだ……」と自信が持てなくなってしまうのです。

名誉会長 それは男性も同じでしょう。男は見栄っ張りだから言わないだけです(笑い)。
 今、女子部の皆さんが学んでいる「一生成仏抄」には、「日夜に隣の財《たから》を計《かぞ》へたれども半銭の得分もなきが如し」(御書383ページ)という譬喩があります。
 自分自身の生命を離れて一生成仏の道を求めても、徒労に終わってしまうことを示されています。
 大事なことは、人と比べて落ち込むのではなく、「よし自分も!」
と発奮し、自らの心を明るく高めていくことです。
 あの豪放聶落な戸田先生も、“若い頃は自分の卑屈さを直すために努力したものだ”と、率直に教えてくださいました。
 そもそも「あの人はすごい」と、友人の長所を評価できること自体、偉い心根です。今度は、自分の良いところを自覚して大いに伸ばすんです。
 「桜梅桃李の己己《ここ》の当体を改めずして」(同784ページ)と仰せのように、桜は桜、梅は梅、桃は桃、李《すもも》は李の良さがある。背伸びなどしなくていい。ありのままの姿で、自分らしく思い切り、花を咲かせればいいんです。
 ヒルティというスイスの哲人は語りました。
 「すべての真の財宝は、われわれの力の中にあるものにあるのだから、嫉妬や羨望はおよそ意味をなさない」と。
 大切な自分を卑下して心を暗くしては、絶対になりません。
          ☆
 ──悪い出来事が重なると、「ついてない。運が悪い」などと、嘆いてしまうものですが……。

名誉会長 そういう時こそ、強気でいくんです。魔という働きは、こちらの命が「困ったな。まいったな」と弱気になると、どんどん付け込んでくる。
 題目を朗々と唱え、「さあ、かかってこい」と迎え撃てば、必ず退散していくんです。
 私は今、ドイツの世界的な学術機関ワイマール・ゲーテ協会顧問のオステン博士と対談を進めています(「人間ゲーテを語る」、月刊誌「潮」4月号から掲載)
 大文豪ゲーテも、若き日は恋に悩み、就職に悩み、仕事に悩みました。就職難や不安定な雇用などに悩み苦しむ今の青年世代と同じく、青春の課題に挑戦し、苦労したことは全く変わりません。
 そして、病気に悩み、5人の子ども全員を自分より早く亡くすなど、家庭のことでも苦悩しました。
 しかしゲーテは、何があっても「生き生きと」生きた。
 生きて生きて、生き抜いて、大文豪は、悩みさえも創造の源泉として、あれほどの壮大な偉業を成し遂げました。
 人間は、うんと悩みながらも、「生き生きと」生きられるのです。苦労の連続であっても、張り切って、今なすべきことに全力で取り組み、自分でなければできない、価値を創造していけるのです。
 ゲーテは言います。
 「快活さとまっすぐな心があれ 最終的にはうまくゆく」
 いわんや、皆さんは妙法という最高の「絶対勝利の信仰」を持《たも》つことができた。
 快活に生きることだ。真っすぐに生きることだ。青年ならば!

 ──池田先生は、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐ(居)させ給へ」(同1143ページ)との御文を引かれ、題目に勝るものはないことを何度も教えてくださいました。

名誉会長 「苦をば苦とさとり」──なんと深い仰せでしょうか。生きている以上、苦しみは避けられないのだから、そう覚悟して、悩みを見下ろしていきなさいと励ましてくださっています。
 いかなる現象も、信心の眼《まなこ》から見れば、自身の成長の因にしていける。そして、一つ一つ眼前の壁を打ち破りながら、境涯を開き、福運を積んでいけるのです。
 「楽をば楽とひらき」とは、ありがたいな、うれしいなと喜びを見つけ、感謝していく心でもありましょう。
 どんな状況でも、そこに喜びを見出せる人、感謝できる人は、幸福です。人生の「楽」を自他共に広げていけるからです。
 青年は「苦楽ともに思い合せて」題目を唱えながら、何ものも恐れず、前進していくことです。
 敬愛してやまない不屈の人権の獅子である、南アフリカのマンデラ元大統領も語っておられた。
 「厳しい闘いが、私たちをはがね(鋼)のように強くしたのです」と。《()内は編集部注》
 わが創価の青年たちも、試練の闘争の中で、金剛不壊の生命を鍛え上げていただきたい。

 ──折伏していると、友人に「悩みがないから、信心する必要を感じない」と言われることがあります。「とりあえず今、生きていけるから悩む必要がない」と。
 青年の意識調査を見てみると、2割近くが「悩みや心配事はない」と答えています。

名誉会長 しかし、ひとたび目を転ずれば、社会には、悩みや心配事が渦巻いています。その苦悩を見つめながら、青年らしく真摯に胸襟を開いて、対話を深めていってもらいたいのです。これが「立正安国論」で示された対話の実践だからです。
 御書には、「今の乱れた世にあっては、これということがなくても仏道を求める心が起こることは当然である」(1083ページ、通解)と述べられ、社会の混乱を嘆く人々の姿が記されています。現代の様相にも通じます。
 最も鋭敏であるべき青年が「今さえよければ」と安住しているようでは、未来は暗い。
 だから折伏なんです。法華経では「動執生疑」という化導法が用いられています。それまでの執着を揺り動かして、より高い次元へとリードしていくことです。
 青年に希望と勇気を贈るのは、青年です。
 青年が青年に、哲学を、理想を、確信を語る。人間が持つ偉大な力を語り合う。これが折伏です。これこそ、人のためになり、自分のためになり、そして、共々に成長して、世の中に活力を漲らせていく、最も偉大な対話なのです。
          ☆
 ──昨年末、先生が私たちに贈ってくださった一首があります。
  「いやまして
    広布の山を
      登りゆけ
    自身の力は
     無限の仏力《ちから》と」
 いよいよ、無限の仏力を発揮しながら、各地での座談会や青年セミナー等を元気に進め、人材の連帯を大きく広げていきます。

名誉会長 うれしいね。皆、本当によく頑張ってくれている。
 御義口伝には、「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(同788ページ)と説かれています。
 妙法を受持した青年の連帯こそ、この「歓喜の中の大歓喜」を躍動させながら、人類全体の悩みをも赫々と照らしゆく、希望と勇気の太陽なのです。
 愛する君たちに、命をかけて広布大願に生き抜かれた恩師の師子吼を贈ります。
 「私は天空に届くほど、広宣流布をしたいという大煩悩の炎を燃え上がらせている。
 青年もかくあれ!」

※ヒルティの言葉は氷上英廣訳「幸福論I」、『ヒルティ著作集1』所収(白水社)。ゲ一テの言葉は内藤道雄訳「格言風に」、『ゲーテ全集1』所収(潮出版社)。マンデラの言葉は浜谷喜美子訳『ネルソン・マンデラ 闘いはわが人生』(三一書房)。
2012-02-17 : 若き君へ :
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