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随筆 人間世紀の光 No.213=完

随筆 人間世紀の光 No.213=完  (2009.12.29付 聖教新聞)

創価の正義のスクラム

「異体同心」の信心に 勝利あり
勇んで民衆の中へ! 「対話」の花また華を‼


 断固して
  健康長寿を
   祈り 勝て
  仏天までも
    必ず護らむ

 それは50年前(昭和34年)の師走。
 「人生は、生き抜くことだ」と、私は日記に記した。
 「その原動力は題目だ」
 「妙法より頂戴した寿命──大切にして、生き、戦おう──」と。
 医師から「30歳まで生きられない」と宣告された私であった。しかし、恩師・戸田城聖先生のご逝去後の学会を担い、31歳の1年間を渾身の力で走り抜くことができた。師が「俺の分も生きよ」と、くださった命である。
 そして、さらに半世紀。全世界の同志の真心の唱題に包まれながら、私は、いよいよ壮健で、広宣流布の指揮を執っている。
 創価の師弟には、「更賜寿命」「宿命転換」の大功力が漲っているのだ。
 今、病気と闘う健気な友に広大無辺の生命力あれ! 病魔よ立ち去れ! と、私と妻は祈り続けている。
 日蓮大聖人は、病魔との闘争が続いていた富木尼御前に仰せになられた。
 「一日の命は三千界(=大宇宙)の財にもすぎて候なり」「而して法華経にあわせ給いぬ一日もい(活)きてをはせば功徳つもるべし」(御書986㌻)
 人生は生き抜くことだ。一日一日、断じて戦い抜くことだ。そして一年一年、断固と勝ち抜くことだ。
        ◇
 新たなる
  道を開けや
   広宣の
  使命の自覚を
     深く忘れず

 この一年、わが同志の皆様方の偉大な奮闘に、心から感謝申し上げたい。
 秋以来、中心者が新任になった組織も多い。新しい一歩が踏み出されている。
 組織は、生命体である。前進するか、停滞するか。人の心、とくに中心者の一念で大きく変わっていく。
 ゆえに、男女青年部はもとより、壮年も婦人も、フレッシュな「新人」の心意気で、新たな城の建設へ、祈り、行動しゆくことだ。
 英国の詩人ブラウニングの詩に、こうあった。
 「出来上がったものの上に安住するよりも 自ら造り上げることを期して、未熟な技に励むことこそ、青年には ふさわしい」
 「真剣」に勝る力はない。果敢に困難に挑め! これが若さだ。創価の青年だ。

「一は万が母」なり

 維新の大教育者・吉田松陰は、弟子に語っている。
 「一身一家より手を下し、一村一郷より同志同志
と語り伝えて、この志を同じゅうする者 日々盛んにならば、一人より十人、十人より百人、百人より千人、千人より万人」──と。
 いかなる運動も、一人が次の一人と同志の絆を結ぶことから始まる。その真の同志の輪が、歴史を変える潮流を起こしていくのだ。
 創価の人間主義の拡大も、この方程式である。
 「一は万が母」(御書498㌻)である。
 まず、誠実な対話で一人の友をつくることだ。その一人の先に、二人、三人、さらに十人、ひいては千万の友の笑顔の花また華が広がっていくのである。
 戸田先生は言われた。
 「仏法の英雄が集まった! 人間革命の英雄が集まった! 社会変革の英雄が集まった! 広宣流布の英雄が集まった!
 一緒に連戦連勝の人生を生き抜こう!」
        ◇
 インドの初代首相ネルーは師匠ガンジーを「すべての人たちを一つにつなぐ人」と讃え仰いだ。
 偉大な師弟を根幹とすれば、偉大な団結が広がる。
 17年前、インドを訪れた折、お隣ネパールから12人の友が駆けつけてくれた。
 この時、私は尊き使命の友に、「第一に仲良く、第二に仲良く、第三にも仲良く」と指針を贈った。忘れることはできない。
 嬉しいことに、ネパールもインドも、釈尊ゆかりの天地で、わが友は仏法の真髄たる異体同心の前進を、仲良く続けてくれている。
 「異体同心」とは、個人的な感情や好き嫌いなどに左右されるものではない。
 御聖訓に、同志は「仏の如く互に敬うべし」(御書1383㌻)と仰せだ。その姿は、法華経の宝塔品で、多宝如来が釈尊に半座を分かって並び座るように、あまりにも麗しい。この通りの尊極の仏の会座が、創価学会なのである。
 わが恩師は「戸田の命よりも大事な広布の組織」と言われた。学会は妙法流布を遂行する同志の結合だ。仏意仏勅の和合僧である。
 世間の上下関係や、親分子分の関係ではないのだ。
 もちろん、ありのままの人間の集まりである。なかには付き合いにくい人もいよう。それでも、「仲良くしていこう」というのが、日蓮仏法の精神である。
 大聖人は、短気で一本気な四条金吾が、同志と思われる夜回り(警備)の人たちと協調できないことを心配し、「いかに心にあはぬ事有りとも・かたらひ給へ」(同1172㌻)と御指導されている。
 「異体同心」を祈って、努力していくこと自体が、尊き仏道修行となる。互いに尊敬し合い、仲良く前進していく──そこに、妙法が脈打っていくからだ。
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して 異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(同1337㌻)
 異体同心の団結、そして師弟不二の結合のなかに、「万人成仏」の妙法も顕れ、赫々たる広宣流布の勝利が輝くのである。
        ◇
 副役職の方々をはじめ、中心者を支える先輩・同志は、「異体同心」の要だ。
 私は、蒲田支部の「二月闘争」の時も、さらに文京支部の「大前進」の折も、正役職ではなかった。副役職の支部幹事であり、支部長代理であった。しかし、「必ず日本一の支部長にします!」と、真剣に守り抜き、誠実に支え切った。
 心臓部は目に見えない。それでいて皆に力を送る。自分は脚光を浴びなくとも、友を盛り立てて、目覚ましい躍進を成し遂げていく人は、最も気高き陰徳を積んでいるのである。
 55年前の新春、恩師・戸田先生は不滅の一首を詠まれた。永遠に忘れてはならない学会精神である。

 妙法の
  広布の旅は
     遠けれど
  共に励まし
    共々に征かなむ

「地涌」の大力《だいりき》を!
 経文には、地涌の菩薩を讃えて、「日月の光明の 能く諸《もろもろ》の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」と説かれる。
 一切の闇を打ち破る地涌の大光で、今こそ社会と時代を照らすのだ。
 地涌の大使命を果たしゆく、創価の集いを見よ!
 ここに、上行・浄行・無辺行・安立行の四菩薩の大力も厳然と顕れている。
 群雲《むらくも》を見下ろし、先頭に立って道を開いていく──これが「上行」に通ずる。
 最高に清らかな創価の集いは「浄行」だ。
 この清浄なる集いが無限に広がる──それが「無辺行」である。
 そして、何ものにも揺るがぬ、威風堂々の前進は、「安立行」であろう。
 あらゆる壁を打ち破れ!
 本気で民衆の勝利を願った地涌の「行動」に、行き詰まりはないのだ。
        ◇
 創価の女性のスクラムは、人類の希望である。
 アメリカの未来学者ヘンダーソン博士も言われた。
 「社会を根底から変える力を持つのは“草の根”の力です。しかし、哲学を持たない運動は、情況の変化に左右されて、“根なし草”のように浮遊してしまいます。だから私は、哲学を持った創価の運動、とりわけ婦人の運動に注目しているのです」
 創立80周年も、世界一の婦人部がトップランナーとして、グループ単位で婦人部大会を開催される。常日頃の感謝を込めて、皆で成功を祈り応援したい。
        ◇
 インドネシアの信念の文豪プラムディヤは叫んだ。
 「みんなの気持ちがひとつになれば、なんだって可能なのだ。なんだって!」
 喜びは心を結ぶ。結ばれた心は、新たな力を得て、勢いよく弾ける。
 明年もまた、歓喜に溢れた「一閻浮提第一」の新年勤行会から出発しよう! そして痛快なる師弟の勝利劇を、断固と打ち立てていこうではないか!

 新しき
  正義と勝利の
     スクラムで
  完勝 飾れや
     偉大な同志《どうし》よ

 ブラウニングは『対訳ブラウニング詩集』富士川義之訳(岩波書店)。吉田松陰は『講孟余話』(岩波書店)=現代表記に改めた。ネルーはメンデ著『ネールは主張する』大山聰訳(紀伊國屋書店)。プラムディヤは『プラムディヤ選集6 足跡』押川典昭訳(めこん)。
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2009-12-29 : 随筆 人間世紀の光 :
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随筆 人間世紀の光 No.212

随筆 人間世紀の光 No.212  (2009.12.11付 聖教新聞)

我らの「大座談会運動」

ここに人間共和の故郷が!
“仏を敬うが如く”一人一人を大切に


共に語ろう!共に進もう
励ましの“座談の園”こそ広布前進の原動力



 君もまた
   そして私も
    晴ればれと
  元初の同志か
    勝利の王者と

 「もっとも快適な集会とは、各員の相互に対する畏敬の念がみなぎっている集会である」
 今から200年前の1809年、ゲーテが小説『親和力』に記した言葉である。
 ──ここで「畏敬の念」とされた個所は、「明るい尊敬」や「晴やかな気分で敬意を払いあう」などとも邦訳されている。
 かの大文豪も、創価の座談会に参加したならば、驚嘆の声をあげるであろう。
 友と友が相互に尊敬の眼差しを交わす麗しき集い。それが、私たちの誇り高き学会伝統の座談会である。
        ◇ 
 「他人の心を発見することによって、人は自らを豊富にする。人は和やかに笑いながら、お互いに顔を見合う」
 フランスの作家サン=テグジュペリの洞察である。
 「それでは、“ザダンカイ”を始めましょう!」
 地球の東西南北、いずこの地でも、その一言とともに笑顔がはじける。
 北極圏の島々でも、南米エクアドルやアフリカのウガンダなどの赤道直下の国々でも、大陸の南端の地域でも、さらに仏教発祥の天地インドでも、民主主義の源流のギリシャ・アテネでも、世界の大都市・ニューヨーク、ロンドンでも、モスクワや香港、マカオでも、“ザダンカイ”は朗らかに開催されている。
 “心の砂漠化”が憂慮される世界にあって、創価の歓喜の語らいが弾む“民衆のオアシス”は、地球上を潤しながら広がっている。今や“ザダンカイ”は世界の友の共通語なのだ。
 この国境を超えた共感の理由は、座談会には「当如敬仏」(当に仏を敬うが如く)と、法華経に説かれた人間主義の精神が脈打っているからだ。
        ◇
 万年の
  創価の道は
    多宝なる
  歓喜と幸《さち》の
   世界の家族と

 日蓮大聖人は「立正安国論」の初めに、「屢《しばしば》談話を致さん」(御書17㌻)と、胸襟を開いた座談の対話を宣言された。
 この大聖人の御心に直結した座談会には、他者を冷笑する無慈悲はない。人を抑圧する権威主義もない。差別もない。感傷もない。
 いかなる苦悩があろうとも、“誰もが幸せになる権利がある”“絶対に幸福になれる”と確かめ合う、温かい「人間尊敬」の励ましと信頼が光っている。
 だから垣根がない。南太平洋の楽園の島フィジーでは、座談会にキリスト教やイスラムなど宗教各界の関係者も加わり、友情の花が咲き広がる。
 座談会は、人種や民族、宗教の差異、社会的立場の相違を超え、苦しみも楽しみも、皆が分かち合う、人間共和の故郷なのだ。
 インドネシアのイスラム指導者でもあられるワヒド元大統領も、座談会の意義に共感して語られた。
 「お互いに良いところを学び合い、お互いに良いところを与え合う──そうしたプロセスこそ人間性をともに高め合う道にほかなりません」
 また、「苦しい時、辛い時にこそ、励まし合い、支え合う。友情は、まさに人生の宝ですね」と。
        ◇
 戦雲が日本を覆う昭和17年の4月、東京は初の空襲を受けた。その恐怖も覚めぬ翌5月、初代会長・牧口常三郎先生は、勇んで中野支部の座談会に出席されている。そして御書を踏まえ、集った40人に大確信の激励をなされた。
 「魔の出るのが法則」、そして、「魔を恐れてはならない、従ってはならない」と。
 広宣流布と宿命転換の戦いには、必ず三障四魔が競い起こることを厳然と教えていかれたのである。
 無差別爆撃の危険に晒されるとともに、軍部政府の民衆統制が強まり、座談会を開くだけでも大変だった。当時、会員に配布された資料の注意事項には、座談会は「警戒警報発令中は中止」とある。特高警察が座談会に来ることも多かった。
 牧口先生が、蒲田にあった私の妻の実家での座談会に出席してくださった時も、特高が監視していた。
 妻は先生のお側についていた。妻の母は、幼い少女が一緒ならば、特高の監視も少しは和らぐと考えたのだ。創価の母は強く賢い。
 牧口先生は、狂気のファシズムなどには断じて屈しなかった。
 逮捕の直前まで、敢然と座談会を、そして確信の対話を続けられたのである。

創価興隆の原点!
 いかなる時代、いかなる社会になろうとも、学会は座談会を根幹に邁進する!
 これが、創立の父の烈々たる信念であった。
 この先師の心を、恩師・戸田城聖先生が寸分違わず受け継がれたのである。
 軍部政府の弾圧で、信心弱く臆病な幹部たちは退転した。だが、尊極の師弟不二の魂は、国家権力の暴圧にも微動だにしなかった。
 「学会の再建にあたっては、座談会の復活が根本である」──昭和20年7月の出獄後、先師・牧口先生の御遺命を継ぎ、復興に立たれた戸田先生は決意なされたのである。
 そして先生は、敗戦から9カ月と経ない昭和21年の5月5日、自ら率先して蒲田の座談会場に赴き、友を励まされた。
 その年の9月には、戦後初の地方指導で栃木を訪問し、座談会に出席された。いな、自ら最高に楽しき座談会を推進されたのだ!
 今、その源流の天地である那須の栃木研修道場には、「座談会の碑」が建立されている。
 私は、両先生を偲び、碑文を贈った。
 「学会再建と発展の軌道は この座談会の地道なそして粘り強い開催をもって描かれた」
 座談会は、「創価興隆の原点」である。生気潑剌たる座談会の勢いがあるからこそ、我らの前進も、拡大も、勝利も生まれるのだ。
 あの「二月闘争」も、「大阪の戦い」も、座談会が大拡大の舞台となった。

自ら歯車を回せ!
 座談会があるから、学会は強い。絶対に崩れない。
 戸田先生は叫ばれた。
 「百万言の耳当たりの良い理論よりも、一つの座談会の実践のほうが、はるかに広宣流布の歯車を回すことになる」
        ◇
 卑劣なる
  迫害 破りて
   決然と
  創価の家族は
   スクラム愉快に

 昭和53年の5月18日──この日、中国方面の最高協議会を終え、私が向かったのは、山口県の大歳《おおとし》支部の座談会であった。
 急遽の出席で、私が会場のお宅の縁側から顔を出すと、驚きの歓声が起こった。家に上がらせてもらうと、皆、緊張気味である。そこで、私が司会を買って出た。“集って良かったと心から思える盛会に”と座談会を進めた。元気いっぱいの未来部も大勢いた。
 嬉しいことに、中国方面では、座談会を通して未来部を育む良き伝統がある。
 笑いが渦巻く家族団欒の温かさのなか、自然に質問会となり、私は友の声に耳を傾け、誠心誠意の励ましを贈ったのである。
 「まじめで愉快な会話がわれわれの力を倍加することは、きわめて確実である」とは、アメリカ・ルネサンスの思想家エマソンの達見であった。
 ともあれ、各人の幸福のための信仰であり、座談会も、その一人の信心を触発するためにある。参加した全員が主役なのだ。
 ゆえに担当幹部と中心者の一念が大切になる。
 真剣に友の幸福を祈り抜いて集うのだ。事前の準備も大事である。一人ひとりに敬意と感謝の心遣いをしていきたい。
 特に、陰で健闘する同志を真心から讃えることだ。
 フランスの思想家モンテーニュは記した。
 「私は他人に立派な点があるのを見れば、それを心から誉めたたえる」「友人たちに見いだした美点は彼らのために喜んで証言する」
 限られた時間では、皆が話せぬ場合も多い。だが、勇気と決意に漲り、和気あいあいと心の通った座談会ならば、誰でも「次もまた来よう!」と満足していけるものである。

幸福勝利のリズムを
 座談会は「地域に開かれた広場」である。
 私は、山口の大歳支部の友に呼びかけた。「参加者は、共々に信心の向上と地域の発展のために尽くすことを忘れてはなりません」
 座談会から、どう社会で勝利を開いていくことができるのか。一人の信仰者として、次の座談会までに、どれだけ前進と勝利の実証を示していけるのか。
 「月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし」(御書1190㌻)とは、日蓮大聖人の厳命であられる。
 リーダーも、副役職の方も、担当幹部も、座談会を軸に据えて、個人の日々の戦い、同志の家庭指導に力を注いでいくことが肝要となる。わが後継の男子部、女子部、学生部の皆さんも、大いに活躍してもらいたい。
 会合の成功だけでなく、当日までの地道な実践が勝負である。
 個人指導、対話の拡大、地域・社会での実証、当日の座談会の充実──座談会に連動したダイナミックな“幸福勝利のリズム”が「大座談会運動」の本質ともいえよう。
 この生命錬磨の連続作業のなかに、学会永遠の指針に示された、「各人が幸福をつかむ信心」も、「難を乗り越える信心」も、「絶対勝利の信心」も、厳然と一人ひとりの胸中に打ち立てられていくのである。
 そして、座談会に集えなかった友には、より懇切な励ましを尽くす。座談会場を提供してくださる同志には、心から感謝の言葉をかけていく──こうした誠実一路の振る舞いも、新時代の「大座談会運動」の要諦であることを忘れまい。
 もう一点、近隣への丁寧な心遣いをお願いしたい。社会の中の座談会だ。自己満足ではいけない。
 駐輪・駐車や、屋外での無遠慮な私語などで、周囲に迷惑をおかけしては、なんのための座談会か。
 戸田先生は教えられた。
 「座談会は、慈愛に満ちあふれた、この世で一番、楽しい会合にしたいものだ」
 「社会が不安で殺伐であればあるほど、絶対に明るい、自信と勇気に充ち満ちた座談会にするのだ」
        ◇
 はるばると
  友好城に
   集い来し
  皆様 守らむ
    梵天 帝釈

 現在、全国各地で本部幹部会の「インターネット中継」が開催されている。
 日本の最西端の与那国島などの離島や、山間部、交通が不便で会館が近くにない地域等々、今まで衛星中継を見られなかった場所で、直結の集いが行われるようになった。終了後、寄せられる喜びの報告を、私と妻は、いつも胸を熱くして拝見している。
 どんなに遠く離れていても、心と心は通い合う。
 私が、あの伊勢湾台風の被災直後に駆けつけてから50年を迎えた三重でも、師弟の思い出を刻んだ写真を大切に飾りながら、会場を提供してくださる友がおられる。
 健気な同志の姿に、ただただ合掌する思いである。
 法華経には、正法が説かれる場で「(人に)勧めて坐して聴かしめ、若しは座を分って坐しめば」、その功徳で梵天・帝釈・転輪聖王の座を得るとある(随喜功徳品第18)。
 会場提供の大功徳が子々孫々まで流れ通うことは、絶対の生命の因果律だ。
 地域に根を張った同志への信頼から、地域の有力者や新来者の方が、衛星中継に喜んで参加してくださっている所も多い。
 「百聞は一見に如かず」
 友人の方からは、映像を通し、仏法の理解が深まったという感想が届く。
 創価の青年のパワーに感動し、最後に一緒に唱題をされる参加者もおられるようだ。

小単位の対話から!

 あの地にも
  また この天地も
   勝ち戦
  地涌の凛々しき
    正義の若武者《きみたち》

 「小さな集い」には人の心を変える力がある。
 以前お会いしたアメリカの女性木版画家・スモックさんが、人権の闘士・キング博士の思い出を語ってくださった。
 「キング氏とは、氏の亡くなる数週間前に、少人数のミーティングに参加したことがあります」
 それは、極めて啓発的な場となったという。
 「彼との対話によって、私の考えは発展し、脱国家、多文化といった、新たな文化のパラダイム(基調の考え)が必要であると考えるようになったのです」
 スモックさんは、このミーティングを節に、「文化の橋渡し」を自身のライフワークと定め、大活躍されるようになるのである。
 第2次世界大戦下、ナチスの侵略をはね返したフランスのレジスタンス(抵抗)運動もまた、“小さな強き集団”による戦いであった。血の通った小さな集まりが冷酷な独裁組織に打ち勝った、重大なる歴史である。
 私が対談したミッテラン元大統領をはじめ、アンドレ・マルロー氏、ルネ・ユイグ氏も、レジスタンスの闘士であった。
 ある研究者の方は、このレジスタンス運動の“団結の要”として、「唯一つ奪うことの出来ない手段があった、それは会話である」と分析されている。
 そして、同志間の自由で率直な会話の結果として、小グループが生まれ、共同目標が設定されていったと考察しているのだ。
 「小単位発」──これが最も地味にして、最も強力な勝利の源流なのである。
 私の平和の大闘争も、座談会から始まった。
 昭和22年、終戦記念日を迎える前夜の8月14日、蒲田の座談会で、初めて師・戸田先生にお会いできたのである。
 今、新たな「大座談会運動」のうねりが頼もしい。
 50年先、60年先まで、広宣流布を担い立つ地涌の若人が欣喜雀躍と広がりゆくことを、私は妻と共に強く深く祈る日々だ。
        ◇
 釈尊は、5人との語らいから説法をスタートした。
 大聖人も「少少の大衆にこれを申しはじめて」(御書894㌻)と仰せの通り、少人数の法座から、末法万年尽未来際への広宣流布の波を起こされたのである。
 「座談」の「談」の字には「炎」が躍っている。
 心が燃えてこそ、座談も熱をもつ。
 さあ、広布への情熱に燃えた「大座談会運動」の勢いで、自らが「人間革命」しながら、「創価完勝」の突破口を開こう!
 青年部よ立ち上がれ!
 婦人部よ朗らかに!
 壮年部よ勇んで集え!
 混迷の社会の暗雲を振り払い、勝利の凱歌を響かせていくのだ!
 輝ける創立80周年は、座談会とともに勝つ!

 千万の
  創価の友を
    讃えなむ
  元初の誓い
   果たしゆくまで


 ゲーテの言葉は『親和力』実吉捷郎訳(岩波書店)。また、言及された別訳は吹田順助訳、浜川祥枝訳。サン=テグジュペリは『世界文学全集40』所収「人間の土地」堀口大学訳(集英社)。エマソンは『エマソン選集4 個人と社会』原島善衛訳(日本教文社)。モンテーニュは『エセー』原二郎訳(岩波書店)。レジスタンスに関する論評は、淡徳三郎著『抵抗』(創藝社)=現代表記に改めた。
2009-12-12 : 随筆 人間世紀の光 :
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随筆 人間世紀の光 No.211

随筆 人間世紀の光 No.211  (2009.11.14付 聖教新聞)

師弟こそ「創価の魂」

創立日 万歳叫ばむ 師弟かな
一日一日 我らは新たな出発だ!


一切は弟子の誓願と戦いで決まる
さあ80周年! 勝利の山へ晴れ晴れと


 創立日
  万歳 叫ばむ
     師弟かな

 「一日一日、進歩する人が青年である」
 これは初代会長・牧口常三郎先生の信念であった。
 わが創価学会は、昭和5年(1930年)の11月18日──牧口先生の教育思想を集大成した『創価教育学体系』第1巻の発刊日をもって創立とする。
 民衆のため、青年のため人間教育の希望の光を贈る──この新しき言論戦が学会の出発点であったことを、我ら末弟は忘れまい。
 一日一日、新たな出発だ。
 一日一日、新たな前進だ。
 一日一日、新たな言論戦を起こすのだ。
 一日一日、新たな出会いを結び、人を育てるのだ。
 一日一日が、新たな学会の創立なのだ。
 これが、「月月・日日につよ(強)り給へ」(御書1190㌻)との御金言のままに、勇猛精進する創価の師弟の息吹である。
        ◇
 偉大なる
  師匠に仕えて
    悔いもなく
  創価の城をば
     厳と築けり

 法華経は「師弟不二」の経典である。師匠と巡り合えたことで、わが尊極の仏の生命に目覚めた弟子が、大歓喜に踊躍する。そして深き報恩の心で、いかなる強敵《ごうてき》も打ち倒して、一閻浮提に広宣流布しゆくことを断固として誓願するのだ。
 「在在諸仏土常与師倶生」──至るところの諸仏の国土に常に師とともに生まれ、妙法を弘通する、とは化城喩品の一節である。
 創価学会の誕生の根源も深遠なる師弟にあった。

不二の呼吸で誕生
 牧口先生は、32歳の若さにして、大著『人生地理学』を発刊した大学者であられた。それは中国からの留学生たちも即座に翻訳に取り組む名著であった。
 だが、大正5年(1916年)に『地理教授の方法及内容の研究』を出された後は、牧口先生が十余年にわたって研究書を出版されたことはなかった。
 東盛、大正、西町、三笠、そして白金──と各小学校の校長を歴任され、教育現場の最前線での激務が、本を執筆する時間を奪っていたのであろう。
 しかし、寸暇を惜しんで先生が書きためた、珠玉の思索のメモは、優に数巻の教育書を成す、膨大な量となっていたのである。
 ある寒い冬の晩であった。師・牧口先生は愛弟子・戸田先生の家で、火鉢を囲んで語り合われていた。
 教育の混迷を憂う師は、「現場の小学校長として、自らの教育学を世に問いたい」と願望を口にされた。けれども、資金の当てはなかった。躊躇する師に、若き弟子は声を強めた。
 「先生、やりましょう。お金のことは、私が全部、投げ出しますから、やりましょう!」
 師匠の願いを実現するためなら、何も惜しくない。いかなる労も厭わない。
 弟子は真剣だった。
 「牧口先生の教育学は、何が目的ですか」
 「それは、価値を創造することだ」
 「では先生、創価教育、と決めましょう」
 「創価」とは、この師弟の不二の呼吸から、燦然と誕生したのである。
 このお話を、戸田先生は幾たびとなく、私に聞かせてくださった。
 「俺とおまえも同じだな」との笑顔であった。

弟子の自発能動で
 師弟不二
  ありて歴史は
      輝けり

 『創価教育学体系』の出版に向け、牧口先生は原稿の整理・編集を、当初、戸田先生ではなく、別の一人の弟子に頼まれた。事業で多忙を極める戸田先生を案じられたゆえである。
 ところが、数カ月もかけながら、その弟子の編集には思想的な統一性も体系もない。まるで教育漫談で、とても偉大な師匠の思想を伝えるものではなかった。
 「これでは駄目だ……」
 困り果てた師匠を見かね、戸田先生は勇み立って「全部、自分がやります。やらせてください!」と申し出たのである。
 若き戸田先生は反古紙や広告の裏に書かれた草稿を一枚一枚、部屋に並べ、重複を除きながら、体系的に整理された。この原稿を、牧口先生が徹底的に推敲していかれたのである。
 出版資金は戸田先生のべストセラー『推理式指導算術』等の収益をあて、本の編集作業も戸田先生が支えられたのだ。完成した『創価教育学体系』の表紙の題字と著者の牧口先生のお名前は、金文字で飾られた。
 牧口先生は「緒言」で、戸田先生に最大の感謝を捧げられた。
 「戸田城外君は、多年の親交から、最も早い(創価教育学説の)理解者の一人として、その自由な立場で経営する時習学館で実験して小成功を収め、その価値を認め、確信を得た。
 それで私の苦悶の境遇に同情し、自らの資財をなげうって本学説の完成と普及に全力を捧げようと決心してくれたばかりか、今や、主客転倒、かえって私が彼に引きずられる有り様となったのである」(現代文に改めた)
 師匠が「主客転倒」とまで言ってくださる。その一言の背後に、どれほど弟子の粉骨砕身の激闘があったことか。どれほど師は安心されていたことか。
 師から命じられて動いたのではない。師の悲願の実現を誓った弟子が、進んで戦いを起こしたのである。
 自発能動である。「弟子の道」は、弟子自身が断固として決定していくのだ。
 私自身、戸田先生の事業が破綻し、忘恩の弟子たちが裏切り去っていく中で、ただ一人「われ戸田先生の弟子なり」と声を上げた。
 戸田先生こそ、この濁悪の世において、人類救済の広宣流布を遂行する、現代における「法華経の行者」であり、世界第一の師匠である。私は、弟子として、勇んで、その聖業を実現させていただくのだ、と。

「最も正しい軌道」
 ブラジルの大天文学者モウラン博士は、私との対談の中で、弟子の道の意義に注目されながら、「人間が生まれもつ能力は、師弟の関係において、最も強く、崩れない花を咲かせます。師弟こそ、人間の最も正しい軌道であると思います」と語ってくださった。
 “私には師匠がある”と一生涯、胸を張って、堂々と言い切れる自分自身であることが、自分を無限に成長させるのだ。
 ともあれ、師弟不二とは、弟子の側の決意、誓願によって決まる。
 創価学会は、師が創って弟子が続いたのではない。その最初から、師弟不二の尊き結晶なのである。
 この師弟の道に徹する生命には、誉れ高き大勝利者の力が湧き起こってくる。最高に愉快な充実の青春、そして最大に満足の人生を送っていけるのだ。
        ◇
 三類の
  嵐に勝ちゆく
      師弟山

 牢獄で殉教される2年前(昭和17年)の11月、牧口先生は、創価教育学会の総会で師子吼なされた。
 「自分ばかり御利益を得て、他人に施さぬような個人主義の仏はないはずである。菩薩行をせねば仏にはなられぬのである」
 「自分の一個のために信仰している小善生活の人には決して魔は起らない。之に反して菩薩行という大善生活をやれば必ず魔が起る。起ることを以って行者と知るべきである」
 仏法は、永遠に「仏」と「魔」との大闘争である。釈尊、そして日蓮大聖人の広宣流布の大願を、末法濁悪の世に実現するために、創立の父は決然と立ち上がられた。
 経文通り、御書の通りに三障四魔、三類の強敵を呼び起こされた牧口先生は、何ものも恐れることなく、「師子王の心」で戦い抜くことを示してくださった。
 そして昭和19年(1944年)の11月18日、奇しくも創立の記念のその日に、巣鴨の東京拘置所で荘厳な殉教を遂げられた。
 創価のすべての門弟が、広宣流布への「不惜身命」「死身弘法」の魂を、わが生命に厳粛に燃え上がらせゆく原点の日──それが、11月18日である。

 偉大なる
   君も私も
      巌窟王

 牧口先生が、過酷極まる獄中からご家族に送られた書簡には、「何の煩悶もない」「何の不安もない」、また“何の不足もない”等々、書き記されている。
 いずれの書簡からも、牧口先生の澄み切った安心立命のご境涯が拝される。
 それは、法華経と御聖訓を身で読み切られた大確信とともに、法難の獄中まで共に戦う不二の弟子・戸田先生がいたからである。
 牧口先生は、たとえ獄に倒れようとも、遺志を継ぐ戸田先生が必ず広宣流布を断行してくれることを、固く信じておられたのだ。
 その師の心を、戸田先生は知悉されていた。

戸田先生の御書
 弾圧の際、当局に押収された戸田先生の御書に、厳然と朱線が引かれた一節がある。それは、大聖人が流罪の渦中に認められた「四恩抄」の仰せである。
 「法華経の故にかかる身となりて候へば行住坐臥に法華経を読み行ずるにてこそ候へ、人間に生を受けて是れ程の悦びは何事か候べき」(御書937㌻)
 戸田先生は、牢獄にまで連れてきてくださった師に命の底から感謝し、報恩を誓われていた。
 獄中にあって、戸田先生が一心不乱に祈り抜かれたことは、難が自分の一身にのみ集まり、高齢の牧口先生は一日も早く釈放されることであった。
 だがしかし、昭和20年の1月8日、戸田先生は、牧口先生の獄死を告げられた。戸田先生は憤怒に慟哭しながら誓われた。
 「日本は、この正義の大偉人を殺したのだ! 私は必ず仇を討つ!」
 ──それ以後、戸田先生が獄中から家族や知人に送られた書簡からは、事業の再建への細かい指示などが増えてくる。
 牧口先生の分身として、断固として生き抜く決意を固められ、獄中にあって、広宣流布のための新たな戦いを、人知れず開始されていたのである。
 「いかなる困難に際しても勇者は勇気を失わず」
 『巌窟王』の作者デュマの本に記された言葉だ。

師の思想を世界に
 師を護り
   嵐も怒濤も
     恐れずに
  今日も広布の
    英雄 君たれ

 昭和28年(1953年)の11月17日、戸田先生は、先師・牧口常三郎先生の10回忌法要で、こう烈々と宣言された。
 「私は弟子として、この先生の残された大哲学を、世界に認めさせる!」
 これこそ、学会本部が東京・西神田から信濃町に移転した直後、最初の公式行事で、戸田先生が放たれた師子吼であった。
 戸田先生は、牧口先生の『創価教育学体系』第2巻に収められた『価値論』を校訂増補し、装いも新たに発刊されたのである。
 一つ、また一つと、戸田先生は、師の宣揚を具体的に積み重ねていかれた。
 観念論でも、口先だけの大言壮語でもない。現実に何をしたか。広宣流布をどれだけ進めたかだ。
 「一歩も退かず、大折伏をして、牧口先生の仇を討っていくのである」とは、青年に語られた戸田先生のご指導である。
 『価値論』の再版を果たした戸田先生は、世界への宣揚を私たちに託された。
 「もしも私の代にできなければ、君らがやっていただきたい。頼みます!」

“三代”の勝利こそ
 この一生
  尊き勝利の
    歴史たれ
  師弟は不二との
     人生 飾れや

 第2代の悲願を、第3代の私は実現してきた。
 第3代が勝ってこそ、初代・2代を正しく宣揚できるからだ。
 「先人のあとを嗣ぐ者には、先人の敷いた道を正しく承けつぎ、それを大きく発展させて、立派な業績として成しとげることが、なによりも求められるのです」
 恩師が好きであられた『三国志』の名言である。
 初代会長・牧口先生、第2代・戸田先生のお名前とともに、創価の教育思想、平和思想を、私は世界に広め抜いてきた。
 日本中、世界中から賞讃される「人間教育」の道を開き、「創価教育」の城を堂々と建設した。
 そして、全世界192力国・地域にまで、妙法の大音声を響かせ、平和と人道の連帯を築き上げた。
 ブラジル・サンパウロ州のジャボチカバウ市の議会では、こう忘れ得ぬ宣言をしてくださった。
 「牧口会長は平和の信念を貫き獄死しました。続く戸田会長、そして池田会長は『仏法を基調とした教育・文化運動こそ世界に平和を実現する』との信念で行動されています。
 三人の行動は、『人間には、使命のため、理想のために戦う勇気がある』ことを教えてくれました」
 弟子として、ありがたい限りだ。私の心を心として、地域に、社会に貢献を積み重ね、信頼を勝ち広げてくださる同志のおかげと、感謝に堪えない。
 現在、民音主催で、中国国家京劇院の新作「水滸伝」が全国公演中である。
 恩師のもとでも学んだ、その『水滸伝』の一節には、「御大恩《ごだいおん》のかたじけなさ、それを思えば命も惜しからず」とある。命を賭して、師恩に報じてきた私には、一点の悔いもない。

“大楠公”の歌声
 君たちの
  子孫末代
   長者たれ
  大楠公の
    誓い嬉しく

 「皆で歌を歌おう!」
 先月の本部幹部会で、私の提案に勢いよく応えて、立ち上がってくれたのは、仏教発祥の天地インドの青年リーダーであった。
 12年前、私がインドを訪問した時に、陰の運営役員として迎えてくれた青年である。見事に成長し、今、世界的な企業で立派に活躍しながら、インド男子部長として指揮を執っている。
 そして、必死に覚えた“大楠公”の歌を、日本語で凛々しく披露してくれたのである。

 ♪此 正行は年こそは
  未だ若けれ諸共に
  御供仕えん死出の旅

 私は心で泣いた。青年時代、私もこの“大楠公”を戸田先生の前で、何度お聞かせしたことであろうか。
 その命の響きを、世界の青年リーダーが、そのままに受け継いでくれている。牧口先生、戸田先生も、どれほど、お喜びくださっていることか。
 この11月も、世界60カ国・地域からSGIの指導者が来日し、尊き研修会を行っている。
 「終《つい》には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし」(御書816㌻)
 この御聖訓を、創価の我らは晴れ晴れと遂行したのである。
        ◇
 創立の
  この日を祝さむ
   千万の
  苦楽を刻みし
    尊き 同志と

 「創立」の闘魂が脈打つ今月、歓喜と決意と和楽の「大座談会運動」が、全国津々浦々で、朗らかに、生き生きと行われている。
 この創価の平和と人道の大連帯を見よ!
 この尊き民衆の真実と正義の声を聞け!
 創立80周年の壮大なる勝利と栄光の尾根は、今、堂々たる姿を現してきた。
 それは、「師弟」の勝利の山であり、「人間」の勝利の山である。
 大聖人も敬愛されていた中国の大詩人・白楽天は詠み歌った。 
 「千里は足下より始まり、
 高山《こうざん》は微塵より起こる。
 吾が道も亦た此くの如く、
 之を行いて 日々に
 新たならんことを貴《たっと》ぶ」
 新たな一歩を踏み出さなければ、決して目的地は近づいてこない。
 さあ、明日を見つめて、意気高く出発だ。青年を先頭に、民衆の勝鬨が轟く、輝く創価の新時代へ!

 共々に
  常勝の馬
   跨りて
  勝利の道を
   断固 開かむ

 デュマの言葉は『ダルタニャン物語4 謎の修道僧』鈴木力衛訳(ブッキング)。また、『完訳 水滸伝2』吉川幸次郎・清水茂訳(岩波書店)、陳寿著『正史 三国志6』小南一郎訳(筑摩書房)から引用。白楽天は岡村繁著『新釈漢文大系101 白氏文集5』(明治書院)。“大楠公” (青葉茂れる桜井の)の歌は落合直文作詞。
2009-11-18 : 随筆 人間世紀の光 :
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随筆 人間世紀の光 No.210

随筆 人間世紀の光 No.210  (2009.11.6付 聖教新聞)

崇高なる信心の継承

青年を伸ばせ 青年が立ち上がれ
わが多宝会よ! 堂々と仏法証明の勝鬨を


 後継の
   若き指導者
     育ちけり
  世紀の舞台に
    踊り立ちたり

 「青春とは、すばらしいものだ。つねに私を鼓舞してくれる源泉である」
 中国・四川省の成都に誕生された文豪・巴金先生の言葉である。私も、4度の出会いの劇を重ねた。
 青年をこよなく愛し、信ずる指導者であられた。
 「我々には清い純白な心がある。激しく燃える切なる願いがある。腹に満々とたぎる血潮がある。そして眼にはこぼれんばかりの同情の涙がある。我々は青年なのだ」とも綴られた。
 この11月の1日、巴金先生の故郷である成都から、西南交通大学の先生方をお迎えし、青年部の大会、そして全国の学生部総会が意気軒昂に行われた。
 巴金先生がおられれば、どれほど喜んでくださったかと、私の胸は高鳴る。
 会場の東京牧口記念会館には、輝く生命の高等部、中等部の笑顔も弾けていた。
 この日は、地元の第2総東京の各地域でも、未来部総会が元気に開催された。どの会場でも、新たに誕生した愛唱歌「平和の太陽」が力強く歌われた。

♪自分が変われば
     未来も変わる
 未来を変えゆく
     平和の太陽

 「平和の太陽」を育んでおられる未来部の担当者の方々に、私と妻は、いつも感謝の題目を送っている。
        ◇
 今この時、希望の未来部も、英知の学生部も、師子の男子部も、華陽の女子部も、新体制で出発した。
 11・5「男子部の日」、11・12「女子部の日」が光る今月は、後継の若き友の姿が、いやましてまぶしい。
 学会創立80周年へ、我らは生まれ変わった勢いで前進を開始したのだ!
 スコットランドの国民詩人バーンズは喝破した。
 「たとい損と苦難とは、/真に辛い教訓であろうとも、/其処にこそ智慧があり、其処でこそ得られる、/他処には何処にもない」
 青年時代に悩み、望んで苦労するのだ。その分だけ、人を大切にでき、自らを誇れる境涯が開ける。
 忘恩の背信者は必ず滅び、正義の人を迫害する輩には厳然と鉄槌が下る。
 真実は、歴史が必ず証明するのだ。
 その正邪の勝負の決定打を放つのは青年だ。いな、青年しかいない。
 君たちの団結と勇気で、勝利への不滅の青春を飾りゆくのだ!
        ◇
 この一生
  広宣流布に
    捧げたる
  尊き その名は
    多宝なるかな

 7月、サンフランシスコの芸術の殿堂「ハーブスト劇場」で、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)の多宝会の総会が行われた。サンフランシスコは、私が海外指導で真っ先に訪れた地の一つである。

人生の“金の舞台《ゴールデン・ステージ》”

 参加者の多くは、アメリカ広布の草創を築いたパイオニアの方々であった。
 準備に携わったメンバーには、80代の友もおり、片道2時間の距離を通いながら、総会の大成功に尽力してくださったという。
 アメリカでは、多宝会を「ゴールデン・ステージ・グループ」と呼ぶ。“金の舞台”──何と誉れ高き響きであろうか。
 信心に引退はない。第三の人生とは、「一生成仏」の信心の総仕上げの時期だ。ゆえに、荘厳な夕陽に照らされた全山紅葉の勝利山の如く、最も輝く黄金の晴れ舞台となるのである。
 多宝会の総会に出席した全米のリンダ・ジョンソン婦人部長は、万感を込めて参加者に呼びかけた。
 「アメリカの大英雄の皆様!」
 私たち夫婦も、全く同じ真情である。
 病苦も経済苦も、非難中傷も勝ち越え、慈折広布の大道を切り開いてこられた多宝会の友こそ、最も尊貴な魂の王者、女王である。
 総会を終えると、皆、口々に誓い合ったという。
 「人生の最後の一瞬まで、広宣流布に戦い抜こうじゃないか!」
 私は、その心意気が嬉しかった。誇りに思った。心から最敬礼して、合掌を捧げた。
 あの「大阪の戦い」をはじめ、私と共に勝利の金字塔を打ち立てた歴戦の勇者の皆様も、今や70代、80代だ。本年も元気に、美事に活躍してくださった。
 共に広布に戦った同志は、永遠に私の胸から離れない。君も私も、人生のゴールデン・ステージを、常楽我浄の妙法と共に、朗らかに勝ち進んでゆこう!
        ◇
 「多宝」とは、法華経の宝塔品に説かれる「多宝如来」に由来する。釈尊が法華経を説く会座に、宝塔とともに出現し、「皆な是れ真実なり」と宣言する法華経の大証明者であられる。
 多宝会の皆様方は、経文通りの悪口罵詈等をはね返して、仏道修行を貫き、堂々と勝利の実証を打ち立ててこられた。
 その人生の黄金の足跡それ自体が、学会の正義の証明であるといってよい。そして、不老長寿の生命をもって、妙法の偉大さを、次の世代へ伝えゆく、大切な令法久住の大使命を担い立っておられるのだ。
 「宝寿会(東京)」「錦宝会(関西)」という名前にも、尊き「宝」の同志を讃える、あまりにも深き意義が込められている。

若い人に心を注げ
 私がこれまで対談を重ねてきた皆様も、私より高齢の方々、学会でいう多宝会の世代が多かった。
 皆、若々しい心の持ち主であられた。生きる喜びにあふれていた。それは、自らの使命を強く深く自覚されていたからに違いない。
 なかでも忘れ得ぬ一人が、生涯を核兵器廃絶の推進に捧げられた、パグウォッシュ会議名誉会長のロートブラット博士である。
 「これまでの世界より、ずっと良い世界を築いていけるよう、若い人々を、私たちの持てるすべてを注いで育んでいかねばなりません」と博士は言われた。
 このやむにやまれぬ大情熱から、博士は若い科学者の集まりである「スチューデント・ヤング・パグウォッシュ」を結成された。
 博士を敬慕する彼らは、後の研究プロジェクトにロートブラット博士の名を冠することを決定した。
 未来を語る博士の顔は真剣であった。輝いていた。
 未来は、青年に託す以外にない。青年を伸ばし、育てるのだ!──この信念と誓願に生きる最晩年の姿は、何ものにも増して美しかった。
        ◇
 師弟不二
  親子一体
    最高の
  人生勝ち抜く
    広布城かな

 思えば、日蓮大聖人をお護りした門下の中核の一家は、信心の継承においても模範の存在であった。
 「破邪顕正」の行動も、「一家和楽」が力となる。
 青年門下・南条時光の母である上野尼御前は、夫や最愛の末子の死など幾多の難や悲しみに遭った。
 だが、師匠であられる大聖人の励ましを希望の源泉とし、立派に妙法広布の母として生き抜いていったのである。
 この母に続いて、時光も純真な信心を貫いた。蓮祖の御入滅に至るまで、母と共にお仕え申し上げた。のみならず、不二の弟子・日興上人を真っ直ぐにお護り申し上げたのである。
 「水のごとくと申すは・いつも・たい(退)せず信ずるなり、此れはいかなる時も・つねは・たいせずとわせ給えば水のごとく信ぜさせ給へるか たう(尊)とし・たうとし」(御書1544㌻)
 大聖人が時光に与えられた真心の御手紙である。
 他にも阿仏房・千日尼夫婦とその子・藤九郎守綱など、親子一体で信心の道を貫いた求道の門下を、大聖人は心から讃嘆された。

後継の君ありて 広宣流布は永遠
世々代々 若々しく 創価家族の座談会へ!


断固して わが人生を 勝ちまくれ 父母思い 同志を思いて

 先祖をも
  また子孫まで
    末代に
  大福運の
   妙法受持かな

 ここで、家庭における「信心の継承」について、幾つか確認しておきたい。
 まず、親は子に「やりなさい」と押しつけるのではなく、「一緒に信心を実践していく」ことである。
 親の背中を見ながら、子は育ち、信心という「志」を受け継いでいくからだ。
 我が家でも、できる限り、家族で一緒に勤行をすることを大切にしてきた。私が留守の時は、妻が導師で子どもたちが唱和した。
 時には子どもが朝寝坊をして、勤行できずに学校に出かけたこともある。そんな時、妻は叱るのではなく、「しっかり祈っておくから、大丈夫よ!」と、笑顔で気持ちよく送り出すことを心がけた。
 妻はまた、「会合は教育の場」と常々語っていた。これは、草創の個人会場の家に育ち、牧口先生を我が家での座談会にお迎えした妻の大確信であった。
 会合に参加すること自体が、偉大な仏縁を結んでいるのだ。気づかぬうちに、子の生命の大地には信心の種が芽生えている。
 お子さんを連れて会合に参加する婦人部、ヤング・ミセスの方々の奮闘には、妻も私も、いつも頭が下がる思いである。
 その姿は、幼子を連れて佐渡の日蓮大聖人の元へ馳せ参じたと伝えられる日妙聖人の如く、健気で美しい。
 そして、親はどこまでも、子どもの可能性を信じていくべきだ。祈り続けていけばよい。たとえ今は発心していなくとも、立派な「広宣流布の闘士」へ成長する時は、必ず来るからだ。
 偉大な妙法である。信仰は一生涯のものであり、三世永遠である。大切なのは、信心を持《たも》ち抜くことである。大らかな気概に立って、長い目で子どもの成長を祈り抜くことだ。
 信心継承の美事な模範として、忘れられないご家族がある。東京・調布総区の功労者のご一家だ。
 邪宗門の卑劣な裏切りに真っ先に声を張り上げた、正義の一家でもある。
 私も、30年前(昭和54年)の9月15日──当時の「敬老の日」に訪問し、懇談させていただいた。
 今、お子さん、お孫さん、ひ孫さんまで、皆が信心を立派にされている。
 今年の9月にも、丁重なお便りとアルバムを頂戴し、世々代々のご一家がそろってのお元気な様子を嬉しく拝見した。
        ◇
 久遠より
  家族か 同志か
   妙法と
  諸天に護られ
    この世 愉快に

 創立80周年へ、学会は大座談会運動を開始した。
 家庭の絆が「タテ」であれば、地区を舞台とする学会活動は「ヨコ」の継承である。

麗しき交流の歌声
 1991年の12月、私は懐かしき大田文化会館での第1回川崎文化音楽祭に出席した。晴れやかな希望の祭典であった。
 数ある演目のなか、ひときわ大きな喝采が送られたのが、今の多宝会である指導部のメンバーと、少年少女部が一緒になっての「お月さまの願い」の合唱であった。本当にほほ笑ましい学会家族の和楽の姿に、感動が広がった。
 勉学、仕事、学会活動の最前線で戦いながら、世代を超えて、皆が集って練習を重ねるのは大変だ。
 しかし、若々しい多宝会の方々に励まされながら、少年少女は温かな学会の世界の心を呼吸していった。
 そして伸びゆく未来部の姿は、壮年・婦人の方々に「さあ、頑張ろう」と生命の息吹を送ったのである。
 信心の大先輩と、その後継の友が、一つの目的に向かっていく歌声は、あまりにも偉大な信心継承の行進曲であった。
 座談会もまた、世代を超えて、人と人を結ぶ。
 親がいない青年もいる。子を持たない壮年、婦人もいる。しかし、座談会で学会家族に会える喜びが、一人ひとりを元気にする。
 日蓮大聖人は、子どものいなかった佐渡の年輩の国府入道・尼御前に、書き送っておられる。
 「『その中の衆生は、悉く是れ吾が子なり』との経文の通りであるならば、教主釈尊は入道殿と尼御前の慈父であられる。
 日蓮はまた、あなた方の子であるはずである」(御書1323㌻、通解)と。
 この大聖人の大慈大悲に連なって、少年少女部、中・高等部、そして男女青年部から、多宝会の壮年・婦人まで、老若男女が生命の家族として集い合う世界が、学会であり、座談会である。温かく楽しい、活気に満ちた仏の会座そのものの座談会こそ、永遠に広布発展の要である。
        ◇
 「父祖に負けない気持ちになって、いま、ぼくははるかかなためざして行く。父祖の栄誉を、ぼくはけっして忘れえぬのだ」
 イギリスの青年詩人バイロンは高らかに歌った。
 壮大な事業を達成するためには、青年が先駆者の魂を受け継ぎ、次世代に伝えていかねばならない。

若さには勇気が!
 米国の黒人(アフリカ系アメリカ人)が自由を求めた闘争も、世紀を超え、世々代々に継承されてきた。
 1860年代の南北戦争を境に、黒人奴隷制度撤廃の声が広く唱えられる。第16代リンカーン大統領の
 「奴隷解放宣言」は解放運動の烽火を上げたが、人種差別は公然と続けられた。
 1955年暮れ、公営バスでの非道な人種差別に、私たちの敬愛する人権の母ローザ・パークスさんは、一人、「ノー!」と声を上げ、毅然と抗議した。
 彼女の不当な逮捕を機に、目覚めた市民は団結し、バス・ボイコットなど、非暴力抵抗運動を開始した。アラバマ州モントゴメリーを拠点として、正義の声は燎原の火の如く全土に広がっていったのである。
 先頭に立った、若きキング博士が訴えた信念とは何か。それは“青年の糾合なくして、戦いの勝利はない”との確信であった。
 その熱情は、私も痛いほどわかる。海の向こうで、キング博士たちが戦っているその時、私も関西の天地で、青年を糾合し、新しき同志をもり立て、正義の大民衆運動を指揮していたからである。
 経験の浅い若い人間を加えることを、嫌がる人もいる。しかし、キング博士は微動だにしなかった。
 「若いひとたちは、われわれの呼びかけに応じる勇気をもっている」
 次々に青年が立ち上がった。体の不自由な若者も勇んで運動に参加した。キング博士は「若さ」を偉大な徳と信じ、戦いの原動力と見たのである。
 若いということは、何でもできるということだ。
 ボイコットに協力する人の中に、高齢の婦人がいた。「なぜ、あなたまでも」──問われて、婦人は答えた。
 「私は、私の子や孫のために歩いているのです」
 その願いに応えて、この人権闘争で最も活躍したのは、老婦人の子や孫にあたる世代たちであった。
 1964年、「公民権法」の制定により、黒人差別は法の力のもと、ついに撤廃される。
 青年の可能性を信じ、その育成に全力を注ぐ先人たち。そして人生の大先輩から学び、その薫陶に感謝し、戦いの先頭に勇み立つ青年たち──。
 世代を超えた者たちが一つになり、総立ちになった時、新しき歴史の扉は、勢いよく開かれるのだ。
 「青少年を手助けする活動は、仕事でなく、責任だと思っています。私は、青少年と一緒に何かをすることの必要性をいつも感じてきました」──微笑みの勝利の母ローザ・パークスさんの忘れ得ぬ一言である。
        ◇
 広宣流布の闘争においても道なき道を切り開いた先輩たちの功績を絶対に忘れてはならない。その深い感謝を胸に、今度は青年が立ち上がるのだ。
 南条時光への御聖訓には、こう仰せである。
 「とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず・信心をすすめ給いて過去の父母等をすく(救)わせ給へ」(御書1557㌻)
 妙法弘通の大願に生き切る青春のなかに、父母への孝養も、お世話になった方々への報恩も、そして自他共の未来の幸福の創造も、一切が包含されている。
 詩人バイロンは叫んだ。
 「ああ、私に、物語のうちの偉大な人の名など語るな/われわれの青春の日々こそ栄光の日々だ」
 今いる場所で勝利を!
 そう誓い、祈り、走り、戦い、勝つのが青年だ。
 私が信頼する若き友よ!
 偉大なる信力を奮い起こし、永遠不滅の勝利の城を築きゆくのだ!
 青年よ、勝ちまくれ!
 母たち、父たちの願った民衆勝利の朝を、威風も堂々と開きゆけ!

 断固して
  わが人生を
   勝ちまくれ
  父母《ちちはは》 思い
     同志を思いて

 巴金の言葉は『巴金回想録』 『巴金選集』=中国語版。バーンズは『バーンズ詩集』中村為治訳(岩波書店)=表記は新字に改めた。バイロンは順に『世界の詩集4 バイロン詩集』斎藤正二訳(角川書店)、『世界の詩7 バイロン詩集』阿部知二訳(彌生書房)。キングは『黒人はなぜ待てないか』中島和子・古川博巳訳(みすず書房)。ほかに『自由への大いなる歩み』雪山慶正訳(岩波書店)などを参照。パークスは『勇気と希望』高橋朋子訳(サイマル出版会)。
2009-11-07 : 随筆 人間世紀の光 :
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随筆 人間世紀の光 No.208/9

随筆 人間世紀の光 No.208/9(2009.10.23/24付 聖教新聞)

創価一貫教育の大城㊤㊦

勇気で開け! 君に勝利の使命あり
「何のため」忘れず 挑戦と向上の青春を


 陸続と
  また陸続と
   後継の
  世界に広がる
    栄光 君らよ

 南米ボリビアを代表する師範学校のペレイラ学長は語ってくださった。
 「子どもの幸福を第一に考える牧口常三郎初代会長の教育思想こそ、教育のあるべき姿です。現代の教育者は、創価教育学から学ばなければなりません!」
 明年は、わが創価学会の創立80周年。すなわち、その淵源である『創価教育学体系』の発刊から80周年となる。これまで『創価教育学体系』は英語、スペイン語、イタリア語、ヒンディー語など14言語に翻訳され、各国で大きな反響を呼んできた。
 「人間を根本とする創価教育学は、21世紀の人類に最適の教育学理論である」とは、台湾・中国文化大学の劉焜輝《りゅうこんき》教授の、深い大きな賛同の声である。
 「教育の世紀」の希望を担い立って、海外には、アメリカ創価大学(SUA)が建った。香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル、韓国に、夢を育む幼児・児童教育のネットワークも完成した。創価教育を実践する学舎《まなびや》は、今や日本だけでなく地球規模の広がりをもっている。
        ◇
 教育は
  人間世紀の
     根本か
  創価教育
    恩師も賞讃

 「教育こそは、新しい世界を開く鍵である」と、イギリスの大哲学者ラッセルは洞察した。
 自分自身の可能性を開くのも、未来という大海原を開くのも、未知の世界に挑む力を開くのも、みな教育である。
 妙法の「妙」には「開《かい》」──開くという意義がある(御書943㌻)。教育の真髄も、この「開く」力にあるといえまいか。
 御聖訓には、「鳥の卵は初めは水のようなものにすぎないが、その中から誰が手を加えなくても、やがて、くちばしや目が出来上がってきて、ついには大空を飛ぶ鳥となる」(通解、同1443㌻)と仰せである。
 一人ひとりの生命には、自分にしか発揮できない、大いなる才能や個性が厳然と具わっているのである。
 その自らの可能性を最大に引き出し、社会のため、人類のために、尽くしゆく生き方を教えたのが仏法である。仏法そのものが、最高の教育法なのだ。

108人の大樹の誓い
 牧口先生は、「“青は藍より出でて藍より青し”。これが創価教育の特色なんだ」とも力説された。
 この21日、修学旅行で東京を訪れていた、わが関西創価小学校の6年生(27期生)108人から、元気いっぱいの便りが届けられた。
 皆が暗唱するほど胸に刻んだ、尊い宣言文「大樹の誓い」や決意文集、また自分たちが育てた藍で染めた「扇」を、私と妻は微笑みながら嬉しく拝見した。
 この大樹に伸びゆく子どもたちを育まれた、ご父母の皆様、教職員の方々に深く感謝申し上げたい。
 どうか、「努力の人」に! 「希望の人」に! そして「正義の人」に!
 そこに、「出藍の誉れ」の勝利の人生が必ず開かれるのである。
 ともあれ、創価教育は、仏法の人間主義の思想を根底にして、弟子が師匠を、子が親を、学生が教師を、後輩が先輩を超えて、人類の未来に貢献する人材を次々と育み、送り出していくのだ。
 この創価教育の特質を、ここでは、三つの「育成」──「可能性の育成」「心の育成」「世界市民の育成」という次元から考えてみたい。
        ◇
 生き生きと
  価値ある人生
    勝ち取らむ
  英知の博士の
      輝く瞳よ

 第1には、一人ひとりの「可能性」を大きく開き、子どもたちが自ら幸福をつかんでいくことである。
 自らの可能性を開くことは、自分だけではない、自他共の幸福と勝利を開いていく土台となるものだ。
 なぜなら、自己の生命の可能性を信じられなければ、本当に他人を思いやる心は持てない。
 「どうせ自分は駄目だ」と思っていて、どうして他者を励ませるだろうか。
 生命の持つ可能性を開いて、自分に勝っていくことが、「皆が勝利する世界」を築く出発点になるのだ。
        ◇
 偉大なる行動は、偉大なる「誓願」から始まる。
 日蓮大聖人は12歳で修学の道に入り、「日本第一の智者となし給へ」(同888㌻)と誓いを立てられた。そして、その誓願通りに、民衆と社会を救う智者となり、一切衆生の苦悩を救済しゆく大法を究められた。これが日蓮仏法の起点である。
 人間教育の次元においても、誓願に限界はない。誓願そのものが「無限の可能性の卵」といってもよい。
 だからこそ、私は、一人ひとりの持つ「可能性の育成」のため、若き友に「何らかの分野で一番を目指そう」「十年一剣を磨け」と呼びかけてきた。
 大きな目標を立て、それぞれの道で最高峰を目指して努力を重ねていく。
 その労苦のなかでこそ、自らの秘められた可能性が解き放たれていくからだ。
 それは、他人と比較してどうかではない。昨日より今日、今日より明日へと、向上していくことである。
 学園生、創大生たちは、私の思いを受けて、日々、自分自身に挑戦しながら、美事なる日本一の伝統を築き上げてくれた。
 東京校の創価雄弁会は、全国ディベート甲子園で、中高で合わせて十度の日本一になった。「国際化学オリンピック」「国際哲学オリンピアード」などでも、東西両校の高校生が日本代表として大活躍している。
 本年は、関西校の高校箏曲部が文化庁長官賞を受賞し、高校ダンス部は、3度目となる日本一の栄冠を手にした。
 創価大学では、今年、経済学理論同好会が、経済学検定試験の第11回「大学対抗戦」で堂々の4連覇を達成した。柔道部も、パイオニア吹奏楽団も、そして落語研究会等もこれまで、日本一に輝いている。
 明年、開学25周年を迎える創価女子短期大学も、資格試験に強いという伝統を築き上げてくれた。英語能力試験、秘書技能やビジネス文書技能の検定でも最優秀の成績を収めている。先日も、学生エッセイコンテストで「日本一」の嬉しい報告を届けてくれた。
        ◇
 何のため
  忘れず
   君よ 学びゆけ
  偉大な人生
    輝くばかりに

 第2の「心の育成」を願って、私は知性を磨く意義、つまり「何のため」に学ぶかという一点を強調してきた。
 創価大学の開学に際して私が贈った一対のブロンズ像の台座には、こう刻んである。
 「英知を磨くは何のため
 君よ それを忘るるな」
 「労苦と使命の中にのみ
 人生の価値《たから》は生まれる」
 フランスの高名な彫刻家アレクサンドル・ファルギエールの力作の像は、向かって左側が若き希望の印刷工であり、右側が熟練の信念の鍛冶工である。
 苦闘のなかで使命を開く学徒の英姿とも、創価教育を支え護り、期待してくださる方々の象徴とも思い、私は像を仰ぎ見てきた。
 陰で苦労している人の思いを知らなければ、世界の民衆のために尽くしていくことはできない。
 「大学は大学に行けなかった人のためにある」と、私が訴えてきたのも、そのためである。

世界まで 我らの舞台は無限なり
民衆に尽くし 平和に尽くすリーダーが雄飛


 教育の世界は、何にもまして「励ましの心」の世界である。また、そうでなければならない。
 現在、私が対談を進めている中国教育学会会長の顧明遠《こめいえん》先生も、「愛がなければ教育はない」との信念を語ってくださった。「心を育む」ためには、まず、こちらが真心を注いでいくことだ。
 ──ある年の創価学園の卒業式のこと。
 この晴れの日に、どこか寂しそうな顔があった。実は、大学への進学が決まらず、浪人することになったメンバーだった。
 終了後、皆を呼んで、「負けるな!」と固い握手を交わした。力強く握り返してきた手の感触を、私は忘れない。
 また、ある時には、「この1年は、必ず5年にも10年にも匹敵するものになるよ!」と、真剣に励ました。
 長い人生である。勝つこともあれば、負けることもある。将来、勝ち続けていくために、今の悔しい試練もある。これから勝てばよいのだ。
 私は、一人ひとりにサーチライトを当てるように、東京でも関西でも、励ましのエールを送り続けた。
 奮起を誓い、難関大学に合格し、凱旋の報告をしてくれた友もいた。後年、向学の炎を燃やして博士号を取得したメンバーもいる。
 高校に入学して間もなく、お父さんを亡くした学園生かいた。

 美しき
  心と心の
   父子の詩《うた》
  三世に薫らむ
    諸天の守りは

 私は一首を贈り、彼と妹を激励した。今、その彼は、ドイツ国立重イオン研究所で原子核研究の国際プロジェクトをリードし、マインツ大学の教授にも就任している。
 苦労を厭わず、立派な仕事を果たし、創立者に応えたい、お母さんに喜んでもらおうという心が嬉しい。
 今、私が対話を重ねる、アメリカのエマソン協会のサーラ・ワイダー前会長は、創価教育の特徴として「学生たちが常に激励を受けている。それは学生を力づける激励であり、さらなる努力を促す激励である」「そして創価の教育には、感謝の心がある。それは共に学ぶことへの感謝でもある」と論じてくださった。
 感謝といえば、学園や創大を志願してくれた若き友、また受験を勧め、励ましてくれた方々のことが、私と妻の心から離れることはない。
 “皆、学園生、創大生”との思いで、大成長を願い、ご一家の繁栄勝利を祈り続けてきた。これが、私ども夫婦の偽らざる心である。
        ◇
 世界まで
  我らの舞台は
   無限なり
  希望に生きぬけ
    われに勝ちゆけ

 第3の育成は、「世界市民の育成」である。
 それは、いかなる国の人びととも、慢心にも卑屈にもならず、一個の「人間」として、堂々と誠実に交流できる「実力」と人類に貢献しゆく「開かれた心」を持つことだ。
 そのためには、「世界を知る」ことが欠かせない。知らないことが、偏見や先入観を生む。学ぶ勇気が、自分の心を世界に向かって開くことになる。語学力も大切だ。
 ともかく、日本の小さな物差しではなく、地球規模のスケールで考え、手を打っていけるリーダーが躍り出なければならない。
 私が「君たちの舞台は世界だ」と語り、学園生や創大生に、世界の指導者や一流の文化人や芸術と触れ合う機会を数多く作ってきたのも、そのためである。
 現在、ロシア語同時通訳の第一人者として活躍する関西校・創大出身のメンバーは、私が学園のお茶会の席で、「日本は、まだロシア語の通訳が少ない」と語ったことが、通訳を目指すきっかけとなったという。
 そして昭和56年(1981年)5月、私の3度目のソ連(当時)訪問の折には、彼女は学生の代表として共に訪ソし、大いに啓発を受けたようである。
 モスクワ大学への留学が決まった時、私は門出を祝して声をかけた。
 「皆に好かれるようになるんだよ。皆から慕われるようになりなさい」
 その通りに、よき先輩後輩と励まし合いながら、自らが関わった日露双方の方々に親しまれ、慕われながら、平和友好の道を毅然と歩み続けてくれている。
 先月、私は、創価一貫教育の創立者として、韓国の名門・弘益《ホンイク》大学から、栄えある名誉文学博士号を拝受した。あまりにも深きご厚情に、感謝は尽きない。
 この弘益大学とは、既に20年来の交流がある。
 その発端について、大教育者であられる李勉榮《イミョンヨン》理事長が語ってくださった。
 以前、韓国を訪れた数人の創大生が、同大学を訪問した。突然の来訪にもかかわらず、懇談の機会をもってくださったのが、李理事長(当時、総長)であった。創大生は帰国後も丁重な礼状などを送り、友好を深めていったというのである。
 この交流を通して、理事長は「創価大学生の誠実で真面目な態度に感心しました」と大変に喜ばれ、信頼してくださったのである。
 今、先輩たちが築いた伝統を継承し、学園生、創大生たちは、私と同じ思いで、はつらつと人間外交を進めてくれている。頼もしい限りである。
 先日、女子留学生日本語弁論大会(東京西大会)で、韓国出身の創大生が“友情の波を世界に!”と堂々と語り、優勝した。わが留学生の成長と活躍も本当に嬉しい。
        ◇
 偉大なる
  文武の伝統
    受け継ぎし
  創価の王子は
     何と頼もし

 それは、昭和56年の秋11月1日のことである。
 学会本部に掛かってきた一本の電話の声は、喜びに弾んでいた。サッカーの試合を終えたばかりの創価高校の学園生が、会場近くの公衆電話から掛けてきたのであった。
 「東京大会の準決勝に勝ちました。決勝戦はテレビで放映されます!」
 私は、直ちに、この“第一報”を入れてくれた友への伝言を、校長に託した。
 「やったな! 本当におめでとう」
 チームは決勝に勝ち、年明けの全国高校サッカー選手権大会に、学園として初出場。正月2日の初戦にも、美事、勝利を飾ったのである。
 日本中の創価の友が、喜びと誇りに沸き上がった。当時の選手たちも、応援してくれた仲間も、皆、立派なリーダーと育っている。
 たった一通の手紙、報告、一本の電話であっても、学園生、創大生の勝利の報告は、何ものにも勝る喜びである。
        ◇
 インドネシアが誇る不屈の大文豪プラムディヤ先生は、私が対談するワヒド元大統領の親友であられた。その代表作の中で、インドネシア大学の前身に学んだ信念の医学者が、若き学生たちに、民衆のための行動を訴える名場面がある。
 「なにが人間をして崇高たらしめるかといえば、それは一にも二にも良い教育である。良い教育こそが崇高で良い行ないの基礎になる」
 「ひとびとの魂を治癒し、その未来をどう切り拓いていくか、それもまたわれわれの任務でなければならない。教育を受けた諸君がその任務を担わなくていったい誰が担うのか」
 事実、この学府から、近代インドネシアの夜明けを開く勇者たちが澎湃と躍り出たのである。
 この烈々たる勇気と大情熱は、先日、創価大学にお迎えした、インドネシア大学のグミラル学長はじめ、諸先生方に脈打っていることを、私は感銘深く感じ取った。
 「明るい未来を迎えるために闇を突き破るのは、教育を受けた者ひとりひとりの責務である」
 このプラムディヤ先生の信念は、私たち創価教育の決意でもある。

 学びゆけ
  また学びゆけ
   指導者に
  なりゆく君の
    前途のためにと
        ◇
 わが創価の教育機関は、今、次なる峰へ、大きく前進を始めた。
 創価学園では、2011年3月に向け、総合教育棟が建設中である。アメリカ創価大学の講堂と新・教室棟の建設も順調に進み、明年秋の完成へ、建設の槌音を響かせている。さらに、創大の新総合教育棟は、2013年の完成を目指している。
 モスクワ大学のサドーブニチィ総長は、深い信頼を語ってくださった。
 「創価大学をはじめ、創価一貫教育そのものが、人びとに尽くす人材を育んでおられます」
 さらにまた、アメリカ実践哲学協会のマリノフ会長も、「創価一貫教育は、人類にとって最高の啓発を与える崇高な理念の上に構築されています」と讃えておられる。
 創価教育80周年を前に、創価大学、創価学園、アメリカ創価大学など、わが一貫教育の卒業生は世界で約8万人を数える。「八」の文字の如く、未来は洋々と末広がりだ。
 まさに、鳳雛から鳳に成長した創価同窓の弟子たちが、その使命光る翼を世界に開いて、地球を舞台に雄飛する時代が始まったのだ!
 民衆の幸福と勝利の世紀を開くために!
 世界の平和の大道を限りなく開くために!

 いざや征け
  創価の同窓
   悠然と
  白馬にまたがり
    勝利を目指して

 ラッセルの言葉は『教育論』安藤貞雄訳(岩波書店)。プラムディヤの言葉は『プラムディヤ選集6 足跡』押川典昭訳(めこん)、3番目のみ『プラムディヤ選集7 ガラスの家』押川訳(めこん)。
2009-10-24 : 随筆 人間世紀の光 :
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